寛容性2013/04/24 23:03:43

自分をわかってもらうのも相手をわかろうとするのも、ともに時間がかかる。
手話もそうで、なかなか通じないな、もっと早く表してくれないかななどとこころの中でつぶやきが生まれる。

でもそういうあせるこころやつぶやきが、時には「わかりにくいからもういいや」「わからないから相手にしないでおこう」などという心理や行動に及ぶ。

最近の社会は寛容性が薄くなって、自分と異なる他者を理解するより排除しようという空気が増えている。恐ろしいことだ。
ネットの存在も大きいかもしれない。パソコンにしろスマートホンにしろタブレットにしろ、立ち上げてネットに入ればいながらにしていろんな情報を得ることができる。生身の人間がいないかわりに、いろんな情報を得ることができるから、生身の人間相手では時間がかかることも、ネット上ではあっというま、ということさえある。

すぐに分かり合えるものなら、手話も会話も必要ない。わかりづらいからこそ、異なる相手を理解するために手話であれ音声言語であれ、コミュニケーションがあるのだ。

はじめから100%分かり合えることを期待しないで、ゆっくり時間をかけていこう。今日は50%できたら、こんどは70%、その次には80%、というように。