감사합니다 カムサハムニダ2011/03/20 21:42:46

イ・ビョンホンなど国挙げた支援ムード
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20110320-750954.html

韓国には一度も行ったことがないのだけれど、若いときに友人と韓国焼肉店に何度も行ったり、大久保の「リトル・コリア」と呼ばれる韓国物産店に行ったりしているから、嫌いだとは思わない。けれど30年以上前、中学生のころに同級生が「朝鮮って嫌いだ」と公言していたのを覚えている。
過去に日本が植民地支配をしていた歴史と、「韓国ブーム」「韓流」といわれるほどに韓国からタレントや女優さんが日本で活躍しているいま。まだまだお互いに壁はあるだろうし簡単にはいかないのは承知の上で、しかし今回の大災害を間近に見て、韓国の人たちが立ち上がり、日本のためにと行動している姿に、率直かつ素直な気持ちから、「ありがとう」と言いたい。
これはなにも韓国だけに限ったことではない。中国、ロシアやニュージ-ランド、スイス、アメリカ、タイ、パキスタンやインドなど今回の災害で各国から大勢の人が来て救援にあたってくれている。ロシアとは北方領土などの問題、中国とは尖閣諸島などの問題でぎくしゃくしているさなかだ。だのに救援に来てくれたというのは、大きなことだといっていい。

わたしではなくみんなが喜んでもらえるものを2011/03/21 22:40:26

さて、そういったもろもろのことを見聞きしていく中で、わたしのなかにもある「変化」が生まれてきた。

今年9月17日に予定している「コスモス朗読会」で、先月『鬼平犯科帳』から「鈍牛」という作品を読みたいと考えて、手話通訳士や朗読の先生にとりあえずの仮台本を見ていただけないかとお願いしている。『鬼平犯科帳』は時代劇だ。当然現代にはない言葉があり、表現があり、それを手話でどう表すかということにも挑戦しようと、手話通訳士と相談していたところだった。ひとつの参考として能や歌舞伎といったジャンルに挑戦している手話劇団。そういったところも参考にしながら手話表現をつくっていこうと思っていた矢先の、今回の災害。

時代劇の言葉を手話にするという取り組みも、わたしの手話のレベルを上げる、そしてろう者や難聴者、手話のわかる人たちにみて喜んでもらえるものにしたい。それはできないことはないだろう。

『鬼平』はだめなのか? そもそもわたしの思いは何を言おうがどうしようが結局は自己満足なのか。

この難しい課題に挑戦してみよう。それがわたしではなくみんなが喜んでもらえるものとなるように。

お互いに助け合うこと2011/03/22 21:21:43

ついさきほど、21時04分ごろにまた地震があった。これで今日3回目の余震。

さて昨日の新聞と今日の雑誌に、地震と障がい者を取り上げた記事があった。
昨日の新聞には「障害者 忘れないで」の見出し。今日の雑誌には多賀城市で避難生活を続けているろう夫婦をインタビューした記事。「『音もなく迫る』恐怖をろうあ者が明かした」というものだ。

はじめの新聞記事では、視覚障がい者と聴覚障がい者、自閉症や発達障がい者を取材している。視覚障がい者は救援物資を配布するときにはアナウンスもしてほしい、という。阪神大震災のさい、自分の目で物資到着や配給の様子を確認できないために、必要な物を受け取れない人が多かったという。見えないために壁伝いに歩く彼らにとって避難所では通路や部屋にも注意が必要だという。「壁際は通路として確保したほうがいい」という指摘があった。
聴覚障がい者はどうだろう。16年前から格段に情報伝達のスピードが速くなり、携帯メールなどを使っている聴覚障がい者は多い。
「(携帯メールは)つながりにくくて苦労しているはず。筆談も紙とペンが不足した状況では難しい」と、兵庫県聴覚障害者協会の事務局長が言う。ちょっとまってほしい。そもそもそのまえに、聴こえないということは見た目ではわかりにくいこと、「書いてほしい」とすなおに言い出せるだけのゆとりがわたしたちにあるか? 言っても断られる、お前だけのために書いている余裕はない、などと面と向かって断られた経験がある。そんなことをまず理解してもらう必要がある。
その上で、要約筆記について訓練していないふつうの人たちにお願いするのは気がひけるけれども、いやな顔をせずに、書いてくださるととてもうれしい。
自閉症は……。
パニックから声を上げたり興奮している人もいるだろう。だがそんなときは奇異の目ではなく、休ませてあげるとか距離を置いてみるとか。隔離ではない。そういう障がいなのだから、ワンクッションおいて休ませてあげれば、落ち着く。

多賀城市のろう夫婦の記事は、聞こえないゆえの情報伝達の難しさと、聴こえなくても一瞬の判断の差が生死を分けるということを示している。
ご夫婦は近所に手話のできる方がいて(その息子さんも聴こえない方だそうだ)、津波が来るということを伝えた。そして逃げた。車に乗って逃げるさなかに津波が迫ってくる。車の中にある保険証や通帳を取ることに気をとられていた夫の服を引っ張って間一髪、難を逃れたのだそうだ。

お互いに助け合うこと。
新聞記事では「障がい者はすべての被災者のカナリア的存在だ」というくだりがあった。カナリアかどうかはさておき、聴こえなくても見えなくても、生きているいのちに変わりはない。
お互いの力を出し合って日ごろから助け合うこと。小さな積み重ねが大事なのだろう。

それでも自分たちの主張を押し通したいのだろうか?2011/03/23 21:49:17

またか。というおしかりを覚悟の上で、書かせてください。
今年のプロ野球開幕をめぐる問題だ。

当初セ・リーグは今月25日開幕と発表しました。その後猛烈な批判が起きて、4日ずらしただけの今月29日開幕、4月までナイトゲームはやらない、などということを言い出したけれども、監督官庁である文部科学省や蓮舫・節電啓発担当相は22日、「(パ・リーグと同じ4月12日を求める)選手会の考えをくみ取っていない」と再考を求めるなど、問題はいっそう混迷の度を深めています。

あきれ怒りを覚えたのは……。
「開幕はお上が決めることじゃない」巨人滝鼻オーナー
http://www.asahi.com/sports/update/0322/TKY201103220470.html?ref=reca
「(パ・リーグが先行していることについて)交流戦がいらないなら、いろいろ組み合わせはできるけど」などと言っていることだ。
これは見方によっては、セ・リーグだけでできるからパはいらないということであり、日本シリーズも含めた、パへの脅しともとれなくもない内容です。

プロスポーツを経営するのはたしかに会社であり経営者としてはあくまでも予定通り進めたいのだろう。巨人はドームで試合をすることで得られる収入が大きい。ドームで食堂やおみやげを販売している業者など関連している会社にも与える影響を無視することはできない。隣接しているドームアトラクションが事故のため閉園していることもあって、もしナイトゲームができなくなれば経営収入上、大きな損害をこうむるかもしれないということはわかります。
けれども、いまのこの国はかつてないたいへんな状況にあるのです。災害発生から12日が過ぎて、新たな問題も山積している。そのなかで一球団一リーグだけの言い分を通していたら、めちゃくちゃになってしまいかねないのではありませんか。
選手は「煌々(こうこう)とした明かりの中で野球をやることに胸が痛む」(ヤクルト・宮本選手)と言っている。やりたくないのではなく、やりたいけれどいまはそのための状況にはない、けれどもシーズンスケジュールは144試合を維持して日本シリーズまでやる。そのためなら連戦もいとわない、シーズン終了が後にずれてもかまわない、と言っているのです。

それでも経営者たちは自分たちの主張を押し通したいのだろうか?

明日(24日)セ・パがそれぞれひらく緊急理事会で何らかの方向性なり結論なりが出るものと思われます。
それを待ってみたいと思いますが、いったいこの国のプロ野球はどうなってしまうのだろう……。

いかにわれわれの生活がもろいかということ2011/03/24 21:15:17

地震発生からまもなく2週間になろうとしているが、余震がまだ続く。今朝も出かける直前に強い揺れを感じた。自宅壁にかけている、『塩狩峠』の直筆原稿複製が壁伝いに左右に揺れたほど。
今日弁当箱や食器を洗って片づけようと棚をのぞいたら、ビールグラスが何本も転がっていてあやうく棚から落ちるところだった。へたに棚のドアを開けるわけにはいかないから注意してグラスを下ろして、事なきを得た。危機一髪といったら大げさかな。11日の揺れが原因かその後の余震が原因かはわからないけれど、一瞬ヒヤリとした。

ようやくプロ野球の開幕問題は、4月12日にセ・パがそろって同日開幕という結論を出した。巨人-ヤクルトが山口県宇部市のユーピーアールスタジアムで開かれるという。……え? ユーピーアールスタジアム? 初めて聞いたのだけれど、もとは山口県宇部市の宇部市野球場。パレットなど物流機器レンタルを扱う、ユーピーアールという会社が命名権を獲得してこのような名前になったらしい。
こんなにももめたのは、ひとえにセ・リーグ、特に巨人の強硬姿勢が問題だった。経営上の理由はわかるけれど、危機管理や世の中の雰囲気を読めないようでは、いったいなんのためのプロ野球だと思う。まして巨人の親会社がどういう会社かわかっていればなおさらのこと。

今回の災害であらためて感じさせられるのは、いかにわれわれの生活がもろいかということだ。
こうしてブログを書いたりネットで情報を得たりできるのは、電気があるから。逆に言えば電気がなくなると、一瞬でわたしたちの生活が崩れてしまう。あの日は電車がまったく動かず、歩いて6時間もかけて帰ってきたが、いまもなお輪番停電、計画停電が予定されており、いったんは5月で終えるけれど今夏の電力需要を考えれば、7月ごろには計画停電を再開せざるを得ない、と東京電力も認めている。そして銀行のトラブルでお金の引き落としや振り込みに大混乱が生じた。
防災もそうだが計画停電では、情報を得るためにラジオが大切、という。でも聞こえないわたしに、ラジオをといわれても困るだけだ。ミニノートPCを、電池の消耗に気をつけながらネットに接続するなどして情報を得るしかない。
かといっていまさら電気のない生活には戻れない。だが、今回の福島原子力発電所のトラブルで、エネルギー問題についても再考しなければならないだろう。

今日から東京都知事選が始まった。
石原氏の言動は言うまでもないことだけれど、ほかの候補者にもしっかり目を向けつつ、これからの東京をどうしていきたいのか、口先だけのものであるかないか、しっかり目を向けていかなくては。

こういう試合なら大歓迎!2011/03/25 00:13:38

ドルトムント、欧州の日本人選抜と対戦か
http://www.nikkansports.com/soccer/world/news/f-sc-tp3-20110324-752575.html

自粛自粛もいいけれど、こういう災害のときに、何ができるか何をしたかということも大事なことだ。

サッカーには本当に詳しくないのだけれど、ドイツ、ブンデスリーガのドルトムントが欧州でプレーしている日本人選抜と対戦する、という。話の信憑性実現性は「?」。というのも日本人が所属している各チーム、たとえばインテル・ミラノ(イタリア)CSKAモスクワ(ロシア)フェイエノールト(オランダ)などとの了解がどこまで得られているのか、契約との兼ね合いでチームが日本人選手に対して参加を許可するのかどうか、試合で負傷した場合の補償はどうなるのか、など課題がいくつもある。記事にあるだけの材料では判断しかねるし不明確としかいいようがない。
けれども、この記事にもあるように同じブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンが来日して震災復興支援の慈善試合をするという話は、ついこのあいだ聞いたことがある。

こういう試合なら大歓迎。ましていま、放射能汚染など新たな問題がおきつつある。
事態の展開にもよるけれど、今秋のメジャーリーグ終了後に、NPBとMLBのオールスターが日本で慈善試合をしてくれたら、あるいはNFLチームが今夏、日本でプレシーズンでもいいから試合をしてくれたら、とも思う。実際はNFLもMLBも、選手組合とリーグ・チーム側との労使紛争があり、その解決を待たなければならないけれど。

ともかく、だ。
わたしの朗読舞台もそうだが、困難を前にして、何ができるか何をしたかということも大事なことだ。

挑戦する意味があるのは言うまでもない。

上からの目線ではなく 下からの目線で2011/03/25 22:00:00

地震発生から2週間がたった。
亡くなった方、いまも行方が分からない方、あわせて2万名を超えるという。太平洋戦争後の自然災害としては最悪の数字になってしまった。

宮城県には震災前も一度も行ったことがないのだけれど、津波による被害も激しかった同県山元町でこの21日から開局した災害臨時のFMコミュニティー放送局「りんごラジオ」(周波数80・7MHZ)が、復興に向けた街のシンボルになっている、という。仙台市内の別のコミュニティーFMラジオ局は、家の中で使われていないラジオを探し出してラジオが聞けない被災地にいる人たちに贈る運動をしているそうだ。

「りんごラジオ」は震災にあった東北放送の元アナウンサー、高橋厚さんが地元の震災関連情報を発信しているという。同局は高橋さんの旧友で第1級陸上無線技士の免許を持つ「FMながおか」の脇屋雄介社長から機材を借りて総務省に開局届をだし、わずか4日で開局にこぎつけたという。局名の由来は、太平洋戦争後にラジオから流れた、あの歌――「リンゴの唄」だという。宮城県山元町かお近くにお住まいの方でラジオが聞ける方がいらしゃったら、一度聞いてみてください。

太平洋戦争を直接には知らないわたしだが、1945年10月11日公開の映画「そよかぜ」の主題歌として歌われた故・並木路子さんと霧島昇さんのデュエット曲は知っている。
あの戦争が終わって誰しもがさあ、これから立ち直っていこう、という思いをこめて聴きあるいは歌ったに違いない、「リンゴの唄」。
まさに下から、草の根からの市民の声が込められているといえないか。上から目線で「復興だ、元気が出せる」などとぶち上げても人はついてこない。

ついつい手話ソングでやってみたくなり、合間に手を動かしてみた。

まだまだ厳しい状況に変わりはないけれど、ふと思い出したときにこの歌を口ずさんでみてはいかがだろう。

「がんばろう!日本」2011/03/26 00:33:28

春夏の高校野球の選手宣誓。昔は片手を挙げて、いかにも絶叫するという感じがしたけれど近年はそういう紋切りやワンパターンではなく、気持ちのこもった、それでいて若者らしさが感じられるものが増えてきた。

いま開催中の春の選抜高校野球。

引用してみたい。
____________________________

宣誓。

私たちは16年前、阪神大震災の年に生まれました。

いま、東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。

被災地ではすべての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。

人は仲間に支えられ、大きな困難を乗りきることができると信じています。

私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。

「がんばろう!日本」。

生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。

____________________________

昨日書いた「リンゴの唄」とならんでついつい、手話でどう表すかな、などと考えてみた。

ここで語られていることをまとめてみよう。

① 仲間に支えられていることで大きな困難を乗り越えることができる、あるいはその可能性がある
② 大きなことでなくていい。できることは、この甲子園大会を精いっぱい、元気を出して戦うこと
③ わたしたちは生かされているのだ。そのことに感謝しよう

どれも、平常日常では気づかない忘れてしまっていることだ。
3万人に達そうという、亡くなられた方行方不明の方がいらっしゃる、この悲しみはそう簡単にはいやされない。いや簡単にいやされてたまるか!
でも、少なくとも生きているいま、困難から立ち上がろうとすることはできるのだ。

手話も朗読も日々の生活も、仲間の支えと精いっぱい、今日元気を出せたら明日もまた、元気で。感謝をもって生きていこう!

どこかで見ているだろう、いまはこの世にいない、大切な人に恥ずかしくないように。

変わらないのは、人を信じること、愛すること2011/03/27 23:45:42

ここ2~3年ほどは、見る番組といえばスポーツ中継かニュースがほとんど。連続ドラマなんてあまり見ない。けれど今日の午後7時から4時間あまりにわたって放送された「3年B組金八先生 ファイナル」は途中からだけれど終わりまで見た。

現実の中学時代にはいい思い出がなく、同窓会さえも断っているわたしだが、最初のシリーズに出演していた生徒さんがほぼわたしと同世代で親近感をおぼえた。最後のほうはあまりみていないが、高校でずっとB組だったことから親しみを感じている。

「やっぱりドラマだよな」というフィクションらしさもあるけれど、出演している生徒さん、卒業生、もう芸能界から離れて一般人として過ごしている方も芸能界で活躍している方も、みなさん真剣に演じている。短い時間で一緒に過ごした思い出があるからだろう。
金八先生を演じ続けた武田鉄矢さんもパワーダウンしたような気がするけれど、円熟といっては失礼だけれど味がある演技を見せてくださった。

ふりかえってみれば「飛び出せ! 青春」「われら! 青春」などといった学園ドラマを見て育ったわたしには、そのほとんどは舞台が高校だった。無理もないことで、小学生からみれば高校生なんて大人も同然。親しみ深く見るにはちょっと無理があった。
金八先生は多感な15歳という時期を舞台にした。そして卒業したあと、彼らがどうなっていったか、という思いを見るわたしたちに抱かせてくれた。「飛び出せ! 青春」「われら! 青春」の生徒はその後どうなったのだろう? という目で続編やスペシャルがつくられていないのは、高校生と中学生の違い――だからだ。

時代は変わり、荒川の土手を歩いていた金八先生の目に映るのは高い高いスカイツリー。32年前はあんなのなかったよ。
けれど変わらないのは、人を信じること、愛すること。今日のドラマでも語っていたね。

こんな大震災がおきて不安がたくさんあるけれど、人を、未来を信じていくことができれば、きっとその向こうに大きな喜びがあるのだとわたしは思う。

クールギャグ……なるほどねえ!2011/03/28 22:33:15

震災から2週間が過ぎて、いまだ悲惨ながれきのなかから立ち上がろうとしている被災地の人々の姿に勇気づけられている。今日は高校野球で東北高校が大垣日大と対戦。0-7で負けてしまった。けれどこの試合を見ながらわたしは「大きな勝利であり敗戦だ」と感じたのだ。震災後、ボランティア活動などで十分な練習ができないまま、甲子園に行った。はた目には無謀な、意味のない試合だったかもしれないけれど、ひたむきに戦うことが、被災地でなくても人々のこころを揺さぶる。だからこそ、甲子園に行ったことは人々に希望をもたらす勝利なのだ。

自粛ばかりでもよくない。
時には大きな声をあげたっていいじゃないか。悲しい思いを感じたときはそのまま声をあげよう。下を向いてばかりでいないで、少しずつでいいから上を向いていこう。
そんなことを考えていると、デープ・スペクターさんのクールギャグ(寒いダジャレ)がネット上でいま静かな人気を集めているという話を聞いた。
こういうとき、げらげら大爆笑するような笑いはちょっと困るけれど、くすくす笑うくらいのギャグはあってもいいんじゃないかと思う。
たとえば、「辛気くさい話は嫌われるけれど陰気な話はやめて、勇気がでるようなお菓子を食べよう。え? それこそおかしくないって?」なんていうふうに。それこそつまらないか。失礼しました。
デープさんのクールギャグにこんなのがあるそうだ。
「こういうときこそ、オチがつく=落ち着くことが大切です。希望をもってがんばりましょう!」
なるほどねえ。

先月からすすめてきた『鬼平犯科帳』のテキストを編集して、当初18ページ近い分量のものを7ページまで圧縮した。
4月から6月までの通常の朗読のレッスンと並行して手話訳作りを進めて、7月からのレッスンで声の表現とともに同時進行していくことになる。

明日からまた日本手話の学びも再開することになった。
計画節電や練習場所など不安があるけれど、聴こえるひと聴こえないひと、手話がわかるひとわからないひと、みなさんに楽しんでもらえる舞台になるように、これから新しいチャレンジが始まる。