次は朗読台本づくりへ セカンドダウン2011/03/01 00:37:00

四苦八苦悪戦苦闘とはこのこと。
秋の朗読舞台で使う予定の『鬼平犯科帳』から「鈍牛」の全文をパソコン内に取り込むことに成功した。といっても簡単ではなかったのが本音。
プリンタのスキャン機能を使って取り込みPDF処理をしたまではよかったが、長すぎてこのまま朗読に使うには無理。スキャンした全文を削除するなどの作業がないと、どこを読むか手話訳をつくるかの検討にも入れない。
便利なもので、そういった、スキャンした文書を読み取るソフトの体験版をネットからダウンロードして、読み取りにかけてみた。全体の75%は確実に読み取れ、欠落や足りないところを、原文をもとに入れて、パソコンの文書ソフトに入れた。フットボールにたとえるなら、スキャンと読み取りはファーストダウン。セカンドダウンが朗読台本づくりというところだろうか。

次は朗読台本づくり。今週中に入れた文書を組みなおしたり切ったりしてすすめる。ワードだから切ったり張ったりできるので、作業自体はそんなにたいへんではないと思う。

いままでたくさんの思い出をありがとう2011/03/01 23:26:36

ポケモンジャンボ
バイバイ、ジャンボ 日航で最終便
http://www.asahi.com/national/update/0301/TKY201103010188.html

生まれて初めて乗った旅客機は日本航空のジャンボジェットだったと記憶している。札幌に住んでいた小学校3年生を終えて4年生にすすむというときに転勤で東京へ行くことになり、鶴丸マークのジャンボに乗ったと思う。
それから中学進学で北海道へ帰る便、高校時代の全国弁論大会、また大学卒業直前の就職活動で東京へ来るときは全日空のジャンボだった。
初めての海外旅行だったトロントへはジャンボでなかったけれど、ニューヨークやロサンゼルス、シアトルへ行くユナイテッド航空便はジャンボだった。ポーランドからの帰り、乗るはずだった日本へ向かうルフトハンザのジャンボ機が目の前を飛んで去っていきあ然としたまま、鶴丸ジャンボへ振り替えのチケットを渡されたことも懐かしい。

一度に500人ものいのちと夢を乗せて飛ぶ飛行機はとりわけ日本で重宝されたようで、札幌-東京間はいわば「ドル箱路線」だったし、記事にもあるように国内線の短い路線を頻繁に飛ばすため、数多くの離着陸に耐えられるよう部品を強化した専用の機体747-SR(SRはショートレンジの意。短い航続距離向け)も開発された。 写真にあるようなペイントを施されたジャンボ機は子どもから大人まで人気を集めた。初代のマリンジャンボが好きで、なくなってしまったのがいまでも残念だと感じるほど。

みなさんにもジャンボと聞いて思い出をおもちの方がいらっしゃるだろう。
大量輸送時代だったからこそ存在しえたといえるジャンボ機。

いままでたくさんの思い出をありがとう。

すごさはわかるけど共感できない2011/03/02 23:10:08

最近も健康ドリンクのコマーシャルに使われていた、子どものころに見たテレビアニメ『ど根性ガエル』のなかで、カンニングの場面があったと記憶している。
たしか、主人公であるひろしがアタマにのせているサングラスのそばにもう一本、めがねをつけている。このめがねで反射鏡よろしく、答案を盗み出すというやり方だった。

いうまでもなく、ケータイを使った、同志社大学・早稲田大学・立教大学・京都大学の入試カンニング事件が伝えられてから、このアニメを思い出した。

もちろんカンニングを是認するとか見て見ぬふりをしていいわけはない。許されるものではないことはいうまでもない。ある新聞で、この事件を知った受験生の女子生徒が「受験生である前に人間として不合格」と言い放ったが、当然だろう。

しかしまあ、カンニングの手口がだんだん巧妙になってきたと驚嘆したのはけさのテレビ番組でのこと。
そで口にカメラを埋め込んだボールペンを入れて答案を撮影する。かめがねのつるに仕込んだ、やはり超小型のカメラで撮影して無線で流す……。へえ。そんなことまでできるんだ……。

ITなど技術を駆使したあたり、『ど根性ガエル』のようなほのぼのとした、ある種見つかっても笑い話で済ませられるレベルではない。
時間がたつにつれて、この事件で使われたケータイがDocomoの1機種であること、ヤフーやDocomoが通信記録を提出したことで、ケータイの持ち主が東北地方の在住であることなど、ほぼ絞られつつあるようだ。今日明日にも判明するかもしれない。

ともあれ、今回の事件はすごいなとは思うけれど、やった本人には共感を覚えない。
カンニングをするくらいなら、正々堂々と試験に臨んでほしかった、と思う。

卓球練習2011/03/03 23:03:19

いろいろあったけれど卓球同好会の練習もあと2回。
楽しみ集中してできた。

部が休部になっても、わたしは生きている限りは卓球と手話はやめることはないだろう。

多くの人たちに来てほしい2011/03/04 23:21:35

寒の戻りだろうか、気温が下がった日が続いた。おかげでまた風邪がぶりかえしてしまった。

明日から2日間、東京都身体障害者福祉会館でひらかれる、「耳の日文化祭」。
仕事を終えてからパンフレットやチラシなどの袋詰め作業に参加するため会場入りした。
若いろう者や手話通訳士の方など総勢80人ほどが来ていただろうか。袋に入った資料には、手話通訳士検定試験や手話辞典、手話DVD、火災報知器などのチラシも入っていた。

明日は朗読の前に少しだけ参加する。夜はナイトバーで飲むかな?

自然体で2011/03/05 23:22:45

2年前の『塩狩峠』取材旅行を除き、毎年のように参加していた、「耳の日文化祭」に今年も行ってきた。

第40回耳の日文化祭 ウェブサイト   http://www.deaf.to/

一年に一度の、聴こえない人たちのためのお祭りというか交流の場であるから、皆さんとても楽しみにしていらっしゃるのはいうまでもない。
各展示コーナーや販売物コーナー、名物となりつつある占いコーナーなど、たくさんの人で埋まっていたし、夜のナイトバーは立錐の余地もないくらい、にぎわって手話べりの光景があちこちでみられた。

わたしは午前中の部にちょっとだけ顔を出した後、新宿であった朗読のレッスンに行ってきた。今日は1月から2ヵ月間学んだ課題作品のミニ発表会。
読むところは2週間前に与えられた個所と異なる、地文(セリフなどのない)ところだと知って一瞬戸惑ったが、群読(集団で読む)でわたしの隣に立ってくださった女性がいま読まれている個所をペンでなぞりながら示してくださり、とてもやりやすかった。読むほうだが、セリフのある文と異なり、地文は目立ってはいけない。だからこそ背景や状況説明となる地文を、いかに聞いている人たちに説得力と情景が浮かぶように聞かせるかというのが大事だ。
セリフなら登場人物になりきって読むため、感情を込めたり押したり引いたりと変化をつけて読むが、地文はそうはいかない。
穏やかにゆったり、自然体で読むことをこころがけた。そのせいか、読んでいるときも読み終わってからも、気持ちは乱れることがなく、静かななぎのようでさえあった。2ヵ月間学んだ課題作品は、また新たな心境と世界をひろげてくれたように思う。終わってからの先生の講評でおほめをいただいた(と思う)。

朗読の先生と手話を教えてくださる先生に、それぞれ『鬼平』のテキストを差し上げた。A4で18ページあるものを削除して11ページまで減らしたが、これでもまだ多い。とりあえずお目通しをお願いして、4月ごろまでに再度カットして原稿に仕上げたい。

朗読のあと仲間と筆談をしながら食事とコーヒーを終えて、再び耳の日文化祭会場へ戻る。手話を教えてくださる先生や仲間とナイトバーで 飲んで楽しいひととき。飲みなおしで居酒屋へ移動。ここでも手話についてなど豊かな話題が尽きなかった。

自然体で。しかし実現するのだと信じていれば、奇跡は必ず実現する。それをもはや奇跡とは言わない。

どっと疲れが出た2011/03/06 21:28:04

楽しい一日だった「耳の日文化祭」。あちこちで手話べりの花が咲いた。

終わってからどっと疲れが出て風邪薬を買い求める。漢方薬は効き目がゆっくり出るという。ふろに入ってからだを温めて牛乳でも飲んだらずっと楽になるだろうね。

また明日から忙しい日になる。

備えあれば憂いなし2011/03/07 21:15:05

パンダナ
昨日まであった『耳の日文化祭』で、手話落語のDVDなどを購入してきた。
手話朗読にも参考になると思うこのDVDは字幕ありと字幕なしの両方を選択することができる。はじめに字幕付きで見て、次に字幕なしで見ることもできるから、折を見てゆっくり見たいと思う。
「おっ」と思ったのは、紫色のパンダナだ。

対向する角にそれぞれ「耳が聞こえません」「手話ができます」とプリントされたこのパンダナ。首に巻いたり頭に巻いたり、いろいろ考えろられるが、何よりもこれは災害時に使えるのが大きい。

添付されたチラシによると――
「『耳が聞こえない』ということは、見た目ではわかりません。特に災害時では、情報が届かないことや、手話や筆談でのコミュニケーションが必要なことを、自らアピールしていくことも大切です」「是非このパンダナを日頃から携帯していただき、困った時に活用していただけたらと思います」

書くのが遅れたが、これは墨田区聴覚障害者協会と手話サークル「すみだ」が作成したというオリジナルのものだ。
だが災害時に手に持ったり振ったり、首や頭に巻いたりと、自分を知らせる目印になるだろう。

一枚400円で販売されているという。
ぜひみなさんにも購入をおすすめしたい。

http://www5.hp-ez.com/hp/tetoteto/page1

普通の言語として書店や図書館に置かれる日2011/03/08 23:54:27

今日の朝刊 中央が手話通訳士
夜から図書館の一室で日本手話の学び。手話通訳士検定3級に出てくる単語を学んだ。

さて。
今日の朝刊をひらいておやっと思った方がいらっしゃるだろうか。
日本人がひとり亡くなったという悲しい知らせを伝える、ニュージーランド・クライストチャーチの対策本部記者会見を撮影した写真に、中央に黒い服を着た男性が映っている。
彼はニュージーランドの手話通訳士だ。地震発生後、対策本部の記者会見の場面でいつも見るようになったが、テレビをご覧になったかたは、なぜ、手話通訳が? と疑問に思われたことだろう。ニュージーランドでは手話も英語と同じく言語として認知されているのである。しかも職業としても認知されているのだ。そして男性も手話通訳士を務めている。男性の手話通訳士が少なく、ほとんどが女性でしかも薄給である日本とは大きな違いだ。

図書館でなくても書店を回ってみてもわかるだろうが、手話に関する本を探そうとすると、日本では残念ながら福祉のカテゴリーである。だがカナダやアメリカやオランダを訪れて書店をのぞいてみると、手話は日本語や英語、アフリカやアジアの各国各地方の言葉と並んで言語のカテゴリーに分類されているのだ。旅行関係の本と並んで各国語の本もあり、そのなかにちゃんと手話に関係した本が置いてある。

中東の革命を伝える、たぶん中東のテレビ局だろう(なぜなら映像が日本や欧米ほど鮮明ではなかったから)ニュース番組でも、男性の手話通訳士が画面の隅に映っていた。
こうしてみると手話が文化や国を超えて、言葉として確立されているのだ、とあらためて感じざるを得ない。

ひるがえって日本だ。
以前にも書いたように、手話を日本語や英語と同じように、言語として認めてほしい。できたら手話を学校教育の中で教えるプログラムも設けてほしい。普通学校で育ったわたしは、親の考えもあってろう学校に通わず、聴こえる人のなかで育ってきた。だが、手話を学んでいたら、もっとコミュニケーションが楽しく感じられたに違いない。わたしの会社で手話を教えている同僚のひとりは小学校で手話を学んだことがあったという。うらやましいとさえ思ったほどだ。

手話はなんだろう。聴こえない人だけの特別な言葉だろうか。聴こえる人には必要ないのだろうか。
そうではない。英語を学んでカタコトでも話せたら世界が広がり楽しくなるのと同じように、手話も聴こえない人と聴こえる人を結ぶ言語だ。
福祉のカテゴリーではなく、みなさんが使う言葉と同じく、普通の言語として書店や図書館に置かれる日が来ることを、切に待ち望んでいる。

みなさんのまえで手話スピーチ2011/03/09 23:15:07

今日お昼前、午前11時45分にあった地震はニュージーランド地震からまもないこともあってか、わたしの周りでも一時騒然となった。都庁ビルは長周期振動によりエレベーターが一時停止したというし、わたしの自宅からすぐ近くの東京スカイツリーも揺れを感じただろう。出かける前に皿を洗って台所に置きっぱなしだったので不安だったが異常はなかったのは幸い。

さて夜から都内にある手話サークルへ行ってきた。
まだ入ってまもないのだけれど、3つある学習会のなかでわたしが参加したのはコミュニケーションクラス。職場でも教会でも自宅でも(ひとりしかいないんだからアタリマエだ)手話で話をすることがないから、いわば会話で読み取りと表現のブラッシュアップが目的だ。着いて部屋をのぞくと誰もいない。来るまでの短い時間、ものすごい肩こりだったものだからストレッチをしたり動いたり。やや遅れてきたご年配の方に肩をもんでいただいた。ナサケナイ。
このクラスはとくにルールが決まっているわけではないらしく、思い思いに話したいことを話す、テーマを出し合ってスピーチするという方向らしい。
 
もし特にテーマが決まっていなかったら、わたしが3分スピーチというか日々感じたこと思ったことを語ろうと、テーマを決めてきた。昨日書いたニュージーランドの手話通訳士から、「手話を公用語に」と、「公共機関に聴覚障がい者用の警報器を設置義務化へ」という話。

聴覚障害者用光る警報器、公共施設に義務化へ
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110308-OYT1T00624.htm

どちらかというと反応が多かったのは聴覚障がい者用の警報器についてのほうだった。当事者だからだろうねぇ。

まあ手話表現のほうは読み取ってもらえたようで、そのあとも話が弾んで楽しかった。
ホッとしたからか、居酒屋ではほとんど飲まず食わずですごし、体調がきつかったけれど、初めて皆さんの前で手話スピーチができたし会話もできたから、楽しい充実したサークルだった。