プロセスと練習を重ねることがとても楽しい2010/05/14 23:58:34

寒さが今日も続いて、ちょっとこたえた一日。

その今日は夜から、手話つき朗読舞台の手話訳づくりと練習。

何度もここで書いたことだけれど、手話を使って朗読をするにあたってのコンセプトというか基本ルールは――
まず、中途難聴者が使う、日本語の文法に沿って表す日本語対応手話と異なり、ろう者が使う日本手話あるいは日本手話的手話で表すこと。ろう者にも中途難聴者にもわかる手話が目標。
次にもとになる台本は基本的に変えない。一字一句、変えたりカットしたりしない。著者の意図を尊重するため。

ということを踏まえて、先生からいただいたことは、「手話表現はできるだけシンプルかつ明瞭に、表すときはゆっくりはっきりと」。

今日、いくつかの手話表現を変えてみた。

「台所から、ひょいとさやかの顔がのぞいた」
顔がのぞいた、を「さやかの顔が見えた」としたのだけれど、さやかがこっち(吾朗)を見たのだから、さやかがこっちを向いたように、ゆっくり指をこちらへ向けるようにしてみた。

「いつもの笑顔が目に痛かった」
つらい、と訳した「目に痛かった」だけれど、目を合わせづらいという意味で、吾朗の目線を下にずらすようにする。

「さやかの手の動きが止まる」
先生と議論を交わしたのは、さやかが手を止めたのはどこから、ということだった。前のくだりでエプロンで手を拭いているとあるから、もう料理は中断しているか料理が出来上がっていて終えているかのどちらかだろう。とするなら、手の動きはエプロンで手を拭いているときから始まっているはず。吾朗が「主人公が妊娠を告げられるシーン」というところで、同じように妊娠しているさやかも、自分に突きつけられたような気がしてうろたえ戸惑っただろう。いきなり手を拭くしぐさを止めるのではなく、手の動きを止めるようにしたほうが、感情の動きが表われるのではないか。

さきに「手話表現はできるだけシンプルかつ明瞭に」と書いた。
「そんな大事なこと、なんで早く言わなかったんだよ!」
日本語対応手話なら、大事+こと+早く+言われる+なぜとなるだろう。
このせりふは感情を込めたものだから、このとおりにやるとあわてたり速すぎて表現したりしてしまう。
そうならないように、大事+こと+(さやかを指さして)内緒(口にチャックをするしぐさ)+なぜとしてみた。

もちろん、完成したわけではなく、今後も検討したり修正したりして何度も何度もつくりなおしていくのだろうけれど、そのプロセスと練習を重ねることがとても楽しい。

やっぱりほんとうにやりがいと生きている実感を感じるのは、こういった取り組み、そして舞台に立つ瞬間だね。
わたしにはこれ以上の生きている喜びを感じていられるときはない。