忘れられない日2010/05/01 16:34:00

アイルトン・セナ  ピンバッジ
今日、5月1日はいままでもこれからも、忘れられない日だ。
そう、アイルトン・セナの事故死があった日だ。

あの日の夜の出来事についてはもう何度も書いたり話したりしてきたので繰り返す必要はないが、あの事故からF1では死亡事故は起きていない。
だが安全になったとかこれから二度と事故は起きないと言えるものではない。

ひとつだけはっきりしていること。セナが人生をかけて伝えたかったことはなんだろうか。
あきらめない、希望を持っていくこと。
セナが抱き続けたように、神への信頼と自分の行くべき道への確信をもつこと。

思い出は永遠に色あせない2010/05/02 23:50:39

礼拝後に、急いで教会を辞して銀座へ。知人と顔を合わせるのも忘れてしまうくらい、足の歩みを速めていた。

というのは、小学校時代の同級生と再会する約束を入れていたからだ。
わたしは都合3回、小学校を転校している。札幌市内の小学校を1年から2年生いっぱいと、3年生の1年間。最後が4年生から卒業まで。
その最後を、足立区の小学校で過ごした。

ひょんなことからネット上で再会して、この連休に「じゃ、一度会おうか」という話がトントン拍子に決まって今日、約束の日を迎えたというわけ。

といっても32年ぶりの再会。先方もわたしも、イメージは子どものころのままだから、思いだせるかどうか。
時間より15分早く着いて待っていたところに「こんにちは」と声をかけられた。……えっ? 現れたのはとても美しい、笑顔がすてきな人だった。

先方はわたしをみてすぐにわかったらしい。そりゃそうだ。事前に服装などの情報をお伝えしていたからね。

ともに食事をすませ、行きつけの喫茶店にご案内して、メモ帳とペンを使ってやりとりをする。もちろん手話ができないから、いつもと同じように筆談で。
会話はいまの近況から仕事先のこと、小学校卒業後に北海道へ戻ったいきさつ、東京へ帰ってきたきっかけ、小学校時代の思い出やしかられた話、林間学校や授業での思い出、ほかの同級生の近況……。
会話を交わしているうちに、時間は遊んだり机をともにしたりした32年前に戻ったような気さえした。

うつ病で自死さえ考えていたこともあったし、すべてに行き詰まりを感じていたころもあった。まさか今日、こんな楽しい日を迎えることができるなんて思ってもいなかったね。やっぱり生きていてよかったと思う。
年をとってきて、だからこそなんだろうな。中学時代よりは小学校時代と高校時代に分かれるけれど、共有した時間も思い出もたくさんあるこの2つの時代をともに生きた仲間たちにまた会いたいなと思うのだ。

いつになるかわからないけれど、都内にお住まいの恩師にも連絡をとって、集まれる人だけでも同窓会をするかもしれない。またの再会を約して、いったんお別れしてきた。

こちらこそ、楽しい会話と弾んだ話に、あっというまに時がたつのを忘れるくらい楽しかった。
ほんとうに今日はありがとう。

いろいろ勉強になった2010/05/03 22:09:58

自宅でまたカレーをつくって、いろいろ勉強になった。

ニンジンを入れず、たまねぎとジャガイモだけ。ルーはインド風と日本の固形ルーのミックスに。辛さがあっておいしい。

楽しみができた2010/05/03 23:06:57

連休。
以前行きつけだったペットショップへ行ってきて犬や猫、インコを見てくる。癒されるねえ。もうペットロスはない。インコを見てもかわいいなと思う。ペテロやパウロを思い出すには思い出すけど幻影を追いかけることはない。

ある人から、煮込みハンバーグのつくり方を書いたレシピをいただいた。さっそくつくってみた。

味はまあまあ。かたちがいびつなのがちょっとなあ。へたくそ。

またひとつ、楽しみができた。

小林多喜二の新しい小説2010/05/04 22:01:57

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100422/t10014001961000.html

http://www.47news.jp/CN/201004/CN2010042101000256.html


「蟹工船」などで知られる小林多喜二の、未発表の小説が見つかったという。正確には未発表とはいえない全集に未収録のものらしい。作家として初期のころの作品らしいが、社会的弱者に多喜二が深い関心を寄せていたことが感じられる。

亡くなってもなお未発表とはいえ、作品が読まれるとは。

いまからどうのこうのは言えないけれど、もし現代日本語訳になって出版されたら、いつの日か朗読で使ってみたい。

これをやってみたかったんだよ!2010/05/05 22:45:15

お、カレー弁当
昨年購入した、保温性のある弁当箱。3段重ねの容器にごはん、みそ汁、おかずを分けていれることができる。

で、カレーを入れてみた。レンジで温める必要がなくておいしいのはいうまでもない。

やってみたかったんだよねえ、これを!

とても楽しい。

大事に末長く使い続けたい2010/05/06 23:51:14

このあいだいただいたふきんで包んだ弁当
ここ数日の暑すぎるくらいの気温は、立夏が過ぎたことを教えてくれた。だが、衣替えをしたけれども夏というにはまだ早い。しかし今日、沖縄・奄美地方が梅雨入りしたという。もうそんな季節になったのか。あっというまだね。

2週間ぶりの卓球練習。
まず、ラケットの角度を変えて球を左右に散らす練習。でもまだまだ試合で使えるというレベルには至っていない。なんとなくこんな感じ、というイメージはつかめた。
次に試合形式で2ゲームお相手をしていただいた。やっぱり完敗だったけれど、今月末にある大会に向けて気合いが入ったのは収穫。
最後に、スマッシュを決めるための練習に取り組んだ。わたしの悪い癖――わきが開いてしまう――から、上から振り下ろすフォームになって、スマッシュが決まらない。バックハンドを打ってわきを締めてスマッシュを打つ。この反復練習を何度も何度も繰り返した。少しめまいを覚えたけれどたいしたことではない。練習あるのみ。からだで覚えていけばよいのだから、もっともっと練習を積み重ねなくては。

ランチは、このあいだいただいたふきんで包んだ弁当箱に入れてきた。
メニューはごはんと焼いたハム、ナス。おいしかったのはいうまでもない。
ランチを楽しく過ごせたのはもうひとつ、やはりいただいたふきんによるところが大きい。
とてもきれいで、汚さないようにと気を使った。
柄も布の質も、とてもよい。大事に大事に末長く使い続けたい。

ほんとうにありがとう。

明日からはいよいよ手話つき朗読の練習が始まる。
これも気を引き締めて取り組もう。

だれになにを伝えたいのか2010/05/07 23:15:59

建設中の東京スカイツリー1
いままで学び続けている日本手話の学習をいったんとめて、今日から手話つき朗読『ゆずり葉』の手話づくりと練習が始まった。

『ゆずり葉』の原作者である早瀬憲太郎さんとは何度かお会いしたことがあるが、原作を文にした、広鰭恵利子さんはわたしの大学の大先輩にあたる方だそうだ。英文学科の卒業生だとうかがっている。もちろん一面識もない。いつかお会いできたらと思う。

さて今回の取り組みも、手話通訳士にご指導をいただきながら、意見を出したり質問をしたり、共同作業といっては失礼かもしれないが、とても大きな学びである。

出だしの「重い気持ちを抱えたまま」。日本語対応手話ならそのまま体重の「重い」と「手に持つ」とするかもしれない。だがそれがろう者に通じるだろうか?
話を戻すが、わたしの目標は、ろう者にも難聴者にも聞こえる人にも手話の分からない聞こえる人にも楽しんでもらえること。だからできればろう者・難聴者・聞こえる人・手話の分からない聞こえる人のいずれかひとつでも「分からない通じない」ようであってはならない。
「重い」と「手に持つ」では、ろう者には意味がわからない。
ここは胸に円を描いて上から下へ、気持ちが沈んでいくような状態を表す。

もうひとつ気をつけなさいと言われたのは、否定形の「ない」だ。わたしはこれを強調したいあまりに、手を振りすぎる癖がある。

「しょうがないよな。君がおれに言ってくれないから、演じたくても演じようがない」。
「しょうがないよな」は右手を左胸から右わきへ下ろす。「しかたない」という表現の右手を左胸から右わきへ下ろすのではなく、左胸を強く2回たたく。
だが「言ってくれないから」の「ない」は手を振りすぎない。へたをすると赤ちゃんをあやしているようなしぐさに間違われる。「ない」は1回だけ手を振ればいい。「から」は理由ではなく、相手をさす。言ってくれないさやかを目の前にしているように指をさす。
つまり、日本手話では説明するのではなく状態や誰に対して言っているのかを明確に表すことだ。

9月25日まで4カ月余り。まだまだ始まったばかりだ。
だが必ず成功させたい。なんとしてでもだ。

主の手にすがれる 身は安けし2010/05/08 21:02:53

石碑がある。その向こうに海
かねてから行きたい訪れたいと懇願していた、愛媛県にある法華津峠を、ようやく今日足を踏み入れることができた。

朝6時に起床。7時前の地下鉄で羽田空港へ。9時20分の全日空便で松山空港へ向かい、ホテルで2時間休憩の後、松山駅から宇和島行き特急に乗ること1時間。卯之町駅で下車。タクシーで20分ほど上がったところに、目指す法華津峠があった。

その前に、なぜここを訪れたいと思ったかあらためて書いておきたい。
わたしは高校1年生の時にはじめてキリスト教会の門をたたいた。以来18歳で洗礼を受けたあともずっと教会に通い続けている。
就職してまもないころに賛美歌504番「山路越えて」という曲を知った。もともとこの曲は「Golden Hill」という曲名で世界的に知られた賛美歌だそうだが、それを松山教会に所属していた西村清雄さんが日本語の詞をつけたのが「山路越えて」だという。
文語体の格調高い詞と覚えやすいメロディーがわたしのこころをとらえて離さなかった。賛美歌をつくったのは愛媛県松山市と宇和島市の境にある法華津峠だということをしばらくしてから知り、三浦綾子さんの小説『塩狩峠』と並んで、いつか訪れたい峠としてこころに刻まれてきた。

昨年大みそかの夜、ある手紙を書き残した。いわばこれからの人生を歩むうえで自分の気持ちをつづったものだ。そのなかにこの「山路越えて」に触れている。
手紙を書いたあとで、実際にこの目で峠を訪れ、賛美歌を手話にしてみたいという思いが生まれ、今日この旅をかなえらえたのである。

タクシーを降りて1時間、峠から海を眺めたり写真を撮影したり。あとで数えたら、ケータイとコンパクトデジカメ、一眼レフデジカメで撮影した枚数は120枚を超えていた。補正してCDに取り込むのに2時間かかったか。
峠に「山路越えて」の一節を彫った石碑がある。その向こうに瀬戸内海がひらけている。もっと天気が良い日には大分県がみえるそうだが、それでも今日見た景色は生涯忘れられないものになるに違いない。

タクシーでの往復で、西村さんがこの道を歩いた当時に思いをはせてみた。
いまのように舗装された道路ではなかったし、まして電気もなかった当時、闇のような山道を歩くのはいのちがけだったに違いない。上っ面のような言葉だけの「いのちがけ」ではなく、ほんとうに自分の生きる意味や存在を問いかけられる歩みだっただろう。そのなかで生まれたこの賛美歌だ。上っ面のような言葉だけの「いのちがけ」が多い昨今、『塩狩峠』とともに、ほんとうに真実に「いのちがけ」を追い続けたい。
木々のあいだからこぼれる太陽の光。目にまぶしい緑。
これらを焼きつけて、手話に直してみよう。

明日、西村さんが所属しておられた松山教会に向かう。

松山教会2010/05/09 22:18:58

松山城
四国での初めての礼拝。日本キリスト教団松山教会におうかがいしてきた。

教会に着いて間もなく、受付で封筒をいただいた。開けると松山教会の100年記念誌と礼拝説教全文が入っていた。前もって教会にファクスをお送りしてわたしが難聴であり説教が聞こえないことを伝えてあったので情報保障としてプリントされた説教を読みながら、どうにか礼拝に参加する。

礼拝後に、教会員である妹尾頴一さんというかたに、教会の歴史や『山路越えて』の作者である西村清雄さんの歩みなどをお聞きした。教会に保存されている資料のごく一部には、愛媛県議会に請願書を出したなかに西村さんのお名前をみつけた。もっと古くは1885(明治18)年の教会員の名簿もある。脈々と続く信仰の継承、かかわってきた人々、有名無名の人たちがいていまにつながっていることの深みを思う。

初めて知ったのは、この歌をつくったとき、西村さんは単独で峠を越えたわけではなかったこと。松山女学校で教えていたジャジソンという女性教師を助けるために1891(明治24)年、夜学校をひらいたのが西村さんだったという。ジャジソンさんと西村さんはキリスト教伝道のために松山から宇和島まで、歩いて一泊二日の行程を何度も往復した。1903(明治36)年のそんなある日……。

「帰途、夕日が西に傾くころ、東宇和郡と喜多郡の境にある鳥坂峠にさしかかった。松風をききながら、一歩一歩踏みしめて峠を登ると、神の国に近づくような感じであった。その気持ちを詩に詠み、好きなゴールデンヒルの曲に合わせて口ずさんだ」(近代史文庫 編 『郷土に生きた人びと―愛媛県―』から、「山路越えて―西村清雄―」 妹尾頴一著、静山社)。

さて教会を辞していったんホテルに戻り荷物を預けて、カメラをもって松山城とリフトを訪れた。
駆け足だったし帰りの便の時間が迫っていたのでゆっくり見て回る時間がなかったのが残念だったけれども、リフトでは『坂の上の雲』など司馬遼太郎さん、夏目漱石、『坊っちゃん』に代表される明治のかおりを思わせる、はかま姿の女性ガイド。また蒸気機関車をイメージした路面電車にも乗ることができ、遠いはるかな昔に思いをはせたひととき。

初めての四国の旅はとても楽しく、充実したものだった。

いつかまた訪れたい地に加わったのはいうまでもない。