手話を学ぶということ2016/04/07 23:32:21

桜はまだ満開のところもあるけど、ところどころで葉桜がみえるようになってきた。
早いものである。桜前線は北上してこれから故郷北海道でも観られるようになるのは、来月だろう。
今日は夜に入って関東でも強風が吹くなど天気が荒れた。
おそらく東京の桜はもって今週から来週初めにはもう散っていることだろうね。

妻が聴者を対象に開いている手話講習会の受講前に、ろう者聴者の試験官を前に実技と面接を受けたらしい。どのクラスを受講するかは来週にもわかるそうだ。
わたしと結婚してから、中途難聴者の手話サークルに参加しているけれど、そこでは音声言語の文章通りに表す日本語対応手話を学んでいる。しかし講習会では日本手話、ろう者が使う手話を学ぶ。
どちらがいい悪いとか正しいまちがっている、というのではない。どちらも正しい手話なのだ。
日本手話を学ぶことは対応手話を学ぶ上で生きてくるし、その逆もある。
つまり、ろう者と難聴者を区別したり対立するものとして考えるのではなくて、生まれつきあるいは生まれてまもなくにほとんど聴こえなくなったろう者と人生途上で聴こえなくなった難聴者を、それぞれ理解していくことになるのだ。

妻の学びに期待している。