歴史の評価に値するもの2013/11/21 22:16:22

どんなことでもそうだけど、先駆者になろうとするというのは、周囲からの激しい非難や厳しい批評にさらされる。それを乗り越えられるものだけが、歴史の評価に値するものなのだろう。昨日のここでも書いたジャッキー・ロビンソンもそうだった。

昨日妻とNHK「歴史秘話ヒストリア」という番組を見た。たまたまつけたら放送されていたので観ていたのだが、終わりまでぐいぐいひきつけられるように観てしまった。

歴史秘話ヒストリア
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/185.html  

萩野吟子(1851年3月3日~1913年6月23日)という、日本で最初の医師国家試験を受験して医師になった女性の物語である。
番組でも取り上げられたと思うが、萩野が医師を目指すきっかけになったのは、最初の結婚の時に性病にかかり、男性医師に診察されたことだった。医師とはいえ男性にからだをみせるのはとてもつらく苦しかったことだろう。まして性病とあったらなおさらだ。
周囲、家族兄弟の反対を押し切って医師になるための試験を受けたいと役所に嘆願書を出すも、「前例がない」という一言で却下される。役所はもちろん、世の中で「前例がない」といって切り捨てるのはよくある話。わたしも経験したことがある。世の中の冷たさ厳しさを知った。「前例がない」というのは逆に言えば、逃げ口上であったり言い訳である。だが萩野はこれに屈することなく、「令義解」という本に、古代日本において女性が医師であったとうかがわせる資料があることを突き止め、役所に納得させた。断固として自分が正しいと信じるなら、それを貫き通していく強さ。男性社会の中で壁をこじ開けていったことに敬服する。

医師になって多くの患者が萩野のもとを訪れる。13歳下の男性、クリスチャンだった志方之善と結婚。北海道に渡り、瀬棚町で医院を開業するなどの一方、志方の影響でクリスチャンとなった。
北海道にイヌマエル(「神、われらとともにいます」の意)と名づけた土地をひらいていったが、思うようにすすまず、失意のうちに東京に戻るなど、苦難の生涯でもあった。

わたしたち夫婦も、できれば萩野や志方と同じようにとはいかなくても、この地上で何かを遺したい、結婚式で語ったけれど「地の塩、世の光」わたしの好きな聖書の言葉でいえば「一粒の麦」のように生きたい。

ひとつだけ明かすと、わたしたち夫婦は、子どもをもつのが難しいかもしれない、という問題に直面している。
萩野吟子と志方之善のあいだには実子がなかった。養子をもらったということがNHKでは紹介されていたのを、興味深く観たわたしたちである。

萩野と志方の、キリスト教伝道の歩みは、いまもなお北海道に根づいている。
日本基督教団利別教会には萩野の絵が飾られて、生前萩野の影響を受けた人が信仰を受け継いでいたとも。

日本のキリスト教史の中で、そういった歩みをし、女性や子どもの権利をまもり高めていくなど、社会的な貢献を果たしていった人がいたこと。それらがキリスト教伝道の上で大きな影響を与えていったことも、わたしたちは学びたい。

瀬棚町公式サイト
http://www.town.setana.lg.jp/modules/tinycontents/index.php?id=40

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