生き生きした社会でなくなるのはごめんだ2013/11/28 23:58:43

普通学校しか経験していないので、ろう学校、特に昔のころはどうだったかときかれてもうまく答えられない。けれど、ひとつだけ言えるとしたら、昔はろう学校では手話が使えない、いや使ってはいけないという教育が長かったということだ。
その弊害はいまもなおあって、昔よりは手話ができる教員が増えたとはいえ、ろう学校を含めた特別支援学校の教員養成の中で手話を教えるカリキュラムが少ない、もっといえば教員の中で手話が使いこなせる人が少ないときく。つまり子どもたちに教える立場の教員のなかで手話を身につける機会が少ないという。

昨日居酒屋でろう者とゆっくり手話でおしゃべりをしたと書いた。
ふだんサークル以外では手話を使わないだけに、生き生きと手話で会話ができたことがなによりもうれしかった。

だが、もし仮に、手話を使ってはいけないと強制されたらどうだろう。
たしか中学生のころだったか、こんな小説を読んだことがある。
アルフォンス・ドーテ作・『最後の授業』だ。

1870年7月19日に起こり、1871年5月10日まで続いた、フランスとプロイセンが戦った戦争。
このとき、敗れたフランスが国土であったアルザス・ロレーヌ地方をプロイセンに割譲し、同地方はフランス語の使用を禁止され、ドイツ語しか使ってはいけないとされた。その時代を描いた小説だ。

手話を使ってはいけない、と強制されたらどうなるだろう。わたしたちの言語や文化を一方的に否定されることになる。

そんな不自由な社会で生きるのはまっぴらごめんである。