想像してごらん2010/04/09 21:19:23

「手話」について「魔法」とつけた新聞の見出しの話。

あらためて考えてみるのだけど、障がい者、聴覚障がいについて、理解があるとか接したことがある人なら、まず手話をそんな目ではみない。けれど手話なり聴覚障がい者を知らない人から見たら、そういうイメージで見る人もいるだろう。

ということは、こういうことだとはいえないか。つまり障がい者、聴覚障がいについて知識なり理解がある人は、手話がなんであるかどういうものであるかそれなりの理解もある。手話は視覚言語なのだ、ということを知っている。しかし知らない人からすれば、手話はただ不思議な、よくわからないものだ、ということだろう。だから悪意がなくても、「魔法」なんていうことを平気で言ったり書いたりする。
少なくとも手話が言語であるということについて、まだまだこの国の社会は理解が不足しているか、共通の認識になっていないかのいずれかなのだろう。

あなたは想像したことがないだろうか。一度でいいから想像してみてください。
もしあなたの家族に外国語ができる人がいるとしよう。その人が外国語を使って話しているのを、堪能であればあるほど、「すごいな」と思いはしても、魔法だと思うだろうか。それと同じことである。
聞こえる人にとっては音声による会話が「ふつうのこと」。
しかし聞こえない人、ろう者にとっては音声による会話が難しい代わりに、手で表す視覚言語である手話が第一言語である。その違いが重要であり、違いは音声であるか視覚であるかの違いなのだ。聞こえる人の論理だけで手話を奪おうとしたり、自分たちと異なるから不思議だへんだと言ったりするのはそれこそおかしな話である。だから「魔法」という言葉にわたしは敏感に反応したのだ。

今日夜の手話教室では、短い時間であったけれどお互いを知る会話ができた。
もしわたしに将来家族ができて、家族が手話を知らない人であったとしてもわたしは受け入れよう。けれどわたしの大切な言語である手話は知ってほしい。反対に家族になにか外国語ができるなら、それを教えてほしいと思う。

コミュニケーション、つまりお互いを知るためということが大事だ。
それは音声言語であれ視覚言語であれ、根っこのところでは変わりないはずだから。

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