いつか来る生の終わりから天国につながる道2015/01/02 23:55:12

昨日妻と一緒に小岩のアッセンブリー・オブ・ゴッド教団の正月年頭礼拝に参加してきた。うーん。結論を先に言うと、元日から早々、とても疲れた。というほかない。

賛美はいままでにも書いたように、歌詞もメロディーも同じフレーズの繰り返しの曲と、独りよがりな歌詞が多くてこころに響いてこなかった。
まずかったのは牧師の説教が長く、45分以上あっただろうか。しかも聖書のなかから2、3の箇所を引用はしたけれど一体何を語りたいのかという点で的が絞れていない。手話通訳と妻がとったメモをみながら理解するようにつとめたが、何を言いたいのかがよくわからない。聴衆も時折船を漕いでいるのをみかけた。
手話通訳も2人で分担したがかなり疲れたのではないだろうか。あれだけの時間を費やすのならもっと手話通訳士を増やすなり工夫するなりしないと、手話通訳士にも負担がかかりすぎる。礼拝を通して、正直言って疲れただけで、聴いていて得たものがあまりにもなさすぎ、というのが実感だ。おかげで近くのスーパーマーケットで整体を受けてもまだ肩こりが治らず、寝るときに目の疲れを取るためのアイマスクをつけてやっと、首すじから肩にかけてのコリや疲れがおおよそとれたありさまである。

一夜明けて今日。
午後に浅草へ足をのばして、落語の着物を買ってきた。地味めにみえるが帯などを工夫すれば映えるかもしれない。
友人にお願いしていた、昨年のコスモス朗読会の動画に字幕をつけていただいた動画をメールで見せていただいた。とてもいい仕上がりの動画になっていて妻と一緒にみて「これはいい!」と手をたたいて喜んだ。どうもありがとうございました!

最初に書いた、今年最初の年頭礼拝であまりにも疲れてしまい、かえってよくなかったせいか、着物を買ったあとに渋谷で観た映画で少しは気分が晴れた。

『天国は本当にある』(原題 Heaven is for Real)
4歳の男の子が人生を変えるような驚異の経験をし、その父である牧師が、息子の経験と発見をともに分かち合おうとする勇気と信念の探求を描いた、ニューヨーク・タイムズのベストセラー本の映画化。2014年4月16日に全米2417スクリーンで公開され、9000万ドルの収益をあげたという。

これも正直に言うと、わたしはありきたりの宗教映画だと思っていた。もちろんクリスチャンだから天国の実在を信じているし、いつかはわたしも死ぬ。死んだあとに天国に行けるものと。けれどそれをテーマにした映画、となると話は別で、生死の境で迷う主人公が死を受け入れるとか再生に向かうとか、美しい幻想的な映像で表現されるとか、どう考えても「ウソくささ」満載であり、「宗教の押しつけ」的なものであるものがほとんどだった。だから今回、わたしも妻と一緒に観るけれど、ハナから期待していなかった。原作本ももちろん読んでいない。読みたいとも思わない。押しつけがましいものは同じクリスチャンでも、だ。
だが、この映画がそういったものと一線を画しているのは、正直にありのままを描いているからだ。フィクションのように天国を美しく描写したり空想をたくましくした天国の世界があるわけでもない。あるのは、現実の、わたしたちと同じ、国こそ異なるけど人間の、生きたありのままを描いていることだ。舞台であるネブラスカ州の小さな町にある教会の牧師、トッド・バーポと妻ソンジャ、ふたりのあいだにいるコルトンとキャシーの姉妹。

言ってはアレかもしれないが、日本の教会の牧師とも異なる、ボランティアで消防署に勤めたりソフトボールを教えたりレスリングを教えたり。地域とつながり、人々に溶け込んでいる。説教壇から偉そうに聖書のみ言葉を語るだけではない。
そして生死の境をさまよったコルトンが天国を見た、と語るのを、トッドは受け止められずに迷い、妻も戸惑い、教会の信徒もまたしかり。説教で天国の話をしたトッドを一時は解任して新しい牧師を探そうともした。
けれど、いろんな葛藤や出来事を通して、トッドが気づいたのは、天国がどこにあるとかどういうところかということではなく、わたしたちはすでに天国の片鱗をみている。「赤ん坊の産声、友の勇気、両親の愛などだ」

わたしは天国の実在うんぬんよりも、愛をもって育てられてきたこと、こうしてろうであるわたしを夫として受け入れてくれた妻がいること、ライフワークとして手話ソングや手話つき朗読や手話落語など、与えられたものを最大に生かす取り組みがあること。いつ終わるかわからないけれど、いつかは必ず終わりが来る。その日に向かって精いっぱい生きていくこと。それで十分ではないだろうか。
結論を言えば、ヘンな奇跡だとかいやしだとか手を上げて祈るだとかなんていらない。いい先生がいるよ、いやしの賜物があるよと言われても、わたしははっきりと断る。いまを精いっぱいひたむきに生きること。それがいつか来る生の終わりから天国につながる道なのだ。

映画は予定調和的な部分、ハッピーエンドで終わった演出があったけれども、わたしが予想したような「ウソくささ」満載、「宗教の押しつけ」的なところはあまり感じられなかった。真正面からありのままに描いた作品であると思う。