暴力という策には乗じない乗らない2015/01/21 22:48:53

昨日、衝撃的なニュースとして伝えられた、シリアで日本人2人が「イスラム国」に人質とされ、200億円あまりの身代金を要求したという事件。

いろいろな意見が飛び交っている。「巨額の身代金を払う必要はない」「そんなお金があったら日本国内の人に回してほしい」「行くなと言ったのに行ったのだから自業自得」etc。
もちろん意見を言うのは自由である。だが、ことはそう簡単ではない。

わたしはキリスト者として、同じ一神教を信じるムスリムも、認めている立場だ。だがイスラム国は認めていない。どんなに主張しようがわたしはイスラム国を宗教組織とも国家とも思っても認めてもいない。宗教と暴力で人々を抑えつけているのだ。

日本にはムスリムはまだまだ少数派だが、こういう事件がムスリムへの偏見や憎悪に転じることもあってはならないし受け入れられない。ムスリムが悪いのではなく、暴力的テロを起こす過激派が悪いのだ。イスラム国は日本国内も含めた世論分断をねらい、混乱を起こそう、憎悪を起こそう、暴力によって自分たちの正当化を主張し敵をつくり自らを際立たせているのだ。こういう事件があったからムスリムは危険だ、テロ集団だと憎悪をかきたてようとする、彼らの二元論的なやりかたに乗じてはならない。それこそ彼らの思うつぼである。

ムスリムにもまともな穏健な人たちはいる。
そういう人たちと連帯していくこと、違いを認め合って手を携えて、テロには屈しない、テロ集団のいいなりにはならない、とはっきり意志をあらわしていくことだ。