トルコ・イスタンブールの開催を支持する。2013/03/27 23:00:47

今晩、仕事のあとに手話サークルへ行ってきた。コミュニケーションクラスでの話題でお花見の話題がでた。
今年もゆっくりお花見をする余裕がない。来年こそはのんびりめでたいものだと思うが、さて。

東京、マドリード、イスタンブールと、2020年夏季五輪候補地のIOC関係者の視察が終わった。今年9月に開催地が決まるという。

だがわたしは前回,2012年の時もそうだったように、2020年の五輪も東京での開催には反対である。

理由を挙げよう。
パラリンピックを前面に打ち出しているが、障がい者として、わたしたちをだしにしているように感じられるのだ。
たしかに夏季、冬季のパラリンピックで障がい者スポーツに対する認知度は少なくとも10年前に比べれば高まった。世界的選手もいる。
障がい者アスリートを尊敬しているし、車いすバスケットや障がい者スポーツには、卓球をやっている者として、より深く知られてほしいし、世界レベルの選手へのサポート支援が深まってほしいと思う。
しかし、障がい者が直面しているのはなにもスポーツだけではない。
就労、生活支援、アクセスやモビリティー。バリアフリーもある。それらから目をそらしているように感じるのだ。

昨日と今日、地下鉄駅ホームで視覚障がい者が歩いていた。
昨日は白つえをつきながら歩いている視覚障がい者にたちふさがるようにホームの前に並んでいる人たちの列へ彼があやうく突っ込みそうになった。白つえがぶつかるたびに迷惑そうな顔をしたり驚いたり。
並んでいる人たちには悪意はないのだろうが、近づいてきたら道を開けるなどできないか?
もっと困るのはホームにある点字ブロックの上に足を置いたり物を置いたりしている人がいることだ。たしかに視覚障がい者がいないからいいだろう、と言われればそうかもしれない。だが、もし視覚障がい者がやってきたら、それでもあなたは点字ブロックの上に物を置くのですか? 足を置くのですか? 他者への想像力がなければ、いくらパラリンピックといったってひろまらない。

障がい者スポーツへの理解を、というのなら、日本以上に厳しく差別されている、障がい者への理解や福祉政策が進んでいない、トルコに、そういった問題への目を開かせる機会をつくる。そのほうがよっぽど国際貢献だとわたしは思う。

ひるがえってオリンピック。
たしかに施設が老朽化しているのははっきりしている。卓球大会で毎年訪れている、東京五輪女子バレーボール決勝会場の駒沢公園や競技場もそうだ。国立競技場を新設する、という。
だが新設するのはいいとして、その施設をどうやって維持していくのだろう。人口が減っていく、高齢者が増える。施設を造るならそれを維持支えていくインフラもまた必要になる。
昨年、笹子トンネルで天井板が崩落して死傷者が出た事故は記憶に新しい。都内を走る高速道路も老朽化が激しい。もし東日本大震災なみの災害が起きたらどうするのだろう?

バラ色の夢が閉塞したいまの日本には必要だ、という。
だが50年前とは状況が異なっているのだ。バラ色の夢で生きていけるほど甘くはない。日本だけがよければそれでいい、という時代ではない。

わたしは、はっきりと2020年東京五輪には反対である。
トルコ・イスタンブールの開催を支持する。

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