こんな不透明な時代に2010/04/27 22:58:13

いまに始まったことではないけど、首相から知事、政治家や役人と言われる人たちを見ていて、まともな信頼のおける、信頼に足る人がいる一方で、どうもそうではない、はっきり言うとごう慢であったり人を見下したり、マスコミのインタビューに対してもきちんと答えなかったり、という人を見る。
とりわけここ5~6年はどちらかといえば後者が幅を利かせてきたような感じさえする。

東京都知事の石原さんが先日、永住外国人への地方参政権付与に関して「ご先祖への義理立てか知らないが、日本の運命を左右する法律を通そうとしている」と言い、「帰化された人や、お父さんお母さんが帰化された、そのお子さんという議員はいますか」とも発言した。

国籍があるということではどんな人であれ、平等である。だのに特定の人種あるいは先祖がいるからといってその人たちの権利や出生をことさら日本人ではない、などというのは、どうだろうか。自分たちだけがさも優秀であるか、自分たちだけが正統であるか(仮にそのようなものがあるとしても)のようなのような、ごう慢さを隠しきれない。

彼だけではなく、昨今取り上げられる政治家や首長の中にも、勇ましい声を上げる人が目につく。
どんな人にも言論や主張を上げる自由があるしそれをわたしも保障されている一方で彼らのそれを認めている。だが、度を超すともはや、彼らのそれはごう慢にしか感じられないこともあるのだ。

政局を見るまでもなく、先々がほんとうに不透明かつ、予測を立てるどころか希望さえ見えない、そんな状況が続いている。昨年9月の政権交代から、支持率が急落してきた民主党政権。しかし代わりうる、信頼に値する政党も政治家も見あたらない。
閉そくした状況が続くなかで、勇ましいあるいは景気のよい発言をあげる政治家が目立つと、今度はこちらに期待しようか、というようなムードが生まれる。そうなって、大衆に受けのよい政治家や発言が主流になり、少数者や異なる主張を持った人が排除されていく……。そんな時代が来ることをわたしは恐れ、危険だと感じる。

ロサンゼルスのリトル・トーキョーを訪れたときに見た、アリゾナ州から運ばれ再現された、第2次世界大戦時の日系人強制収容所バラック。アウシュビッツの強制収容所を訪れたことは何度もここで書いた。ナチスはユダヤ人だけではなく、心身障がい者に対しても断種政策や安楽死政策を行った。その記憶をわたしは忘れない。
 
話を戻す。
人の目をひく発言はけっこうだけれど、こういった発言が、ひいては異なる他者を排除したり差別したりする社会につながっていくことを恐れる。

政治家や役人といわれる人たちに求めたい。
自分たちがどんなに正しいと思っていても、いや正しいと思うならなおさら、パフォーマンスではなくもっと謙虚さと冷静さを持ち、他者の目や態度を意識してほしい。他者から見られているという謙虚さと意識をもってほしい。