共通した手話 異なる手話 愚かな行為2010/04/26 22:53:42

「近くて遠い」から「近くて近い」関係。そう、お隣、韓国の話だ。

数日前に読んだある新聞に、日本と韓国の手話に、共通の単語が多いことから、日韓の聴覚障がい者が交流に踏み出しやすい、一方で半島で対立する北朝鮮と韓国は同じ言葉を使いながら、手話の共通性が失われつつある、という記事があった。

この話を手話通訳士におたずねしたところ、中国と日本も似ている部分がある、という話をうかがい、さらに70歳以上のろう者のなかには満州(現中国東北部)出身の方が多い、という話もいただいた。

以前、日本の手話と韓国の手話には共通した表現がある、戦前に日本から渡ったろう者や日本に強制連行された朝鮮の聴覚障がい者らによって日本の手話表現が流入したということは聞いたことがある。手話が言語として認められず、口話を強制されるなど、聴覚障がい者にとってコミュニケーションが苦痛でしかなかった時代にあって、しかし1913年に日韓併合後に朝鮮総督部が官立のろう者教育機関として「済生院盲唖部」を設立、日本人による教育が行われ、初期の韓国式手話が成立したと、記事では歴史経過について触れている。

だが、北朝鮮と韓国・日本は異なる表現がある。たとえば「父」。日本語と韓国語の手話は利き手の人さし指をほおにあてて親指を上にあげる(記事では鼻の横としているが、間違いだ)が、北朝鮮では頭を前から後ろへなでるように手を動かすのだそうだ。おそらくオールバックにまとめた髪が父をあらわすシンボルなのだろう。

以前、中国語手話の講習会の案内をもらったことがあるし、ASL(アメリカ手話)も関心がある。なにせCFLやNFLの試合を見に行ったときにはカナダとアメリカの国歌を手話でやりたいと思っているくらいだから。

だが、こと韓国となると歴史経緯がからむこともあり、気持ちは複雑だ。さらに、手話通訳士からうかがった「中国と日本も似ている部分がある、さらに70歳以上のろう者のなかには満州(現中国東北部)出身の方が多い」という話をきいて、いかに文化や言語を奪おう、押し付けようとしてきたか、深い悲しみと怒りとを隠せない。

少し前に、少数言語を話す人がいなくなってしまったという記事を読んだことがある。

アンダマン諸島の2言語絶滅 最後の話者、相次ぎ死亡
http://www.asahi.com/international/update/0207/TKY201002060393.html?ref=goo

人間同士がお互いを理解し合い、交わるためにあるはずの言語、言葉。
それを戦争や抑圧や侵略やさまざまな理由で消滅、絶滅させてしまうのは、なんという愚かなことなのだろう。もしわたしが手話を奪われたら、このさきの生きる目標や楽しみはなくなってしまうに違いない。
世界遺産や文化の保存ということも含めて、とても考えさせられてしまう。