難しさは何倍もある。けれどやりがいはある。 ― 2010/04/14 23:53:32
けさがたまではきつかった、のどの具合は、夜に入って少しは楽になった。ここ数日の気温の差の激しい日々が原因だろう。
明日あさってはまたひとケタ台の気温に戻る。おいおい、もう4月も半ばだろう?
今日は手話の勉強。日本手話で『鶴の恩返し』を学ぶ。
いろいろ新しい発見があった。
これまでにも言われていたことだが、自分が誰の立場で語るか。ナレーターと娘、おじいさん、おばあさんの4者を使い分けなければならない。中央にいろりがあり、おじいさんとおばあさんが向かい合う。そして娘が座り、扉があって、娘(鶴)が機を織る部屋があって。
見えないけれどそこにあるようなイメージをする。
手話によるパフォーマンスは手話の正しい表現とともに、そこにはないものや状態やできごとをあたかもあるようにイメージさせて演じる、ということだろう。そういえば先日見た『みんなの手話』では、ある著名な手話パフォーマーが宮澤賢治の作品を手話で語っていたが、水中のクラゲが泳ぐさまなど、手であたかも生きているかのような演じ方をしている。
そういったことも含めて、見ている人にいかに説得力をもたせられるか。
声と一緒に演じるのだから難しさは何倍もある。けれどやりがいはある。
今年の夏は朗読『ゆずり葉』と『鶴の恩返し』の練習に集中したい。
明日あさってはまたひとケタ台の気温に戻る。おいおい、もう4月も半ばだろう?
今日は手話の勉強。日本手話で『鶴の恩返し』を学ぶ。
いろいろ新しい発見があった。
これまでにも言われていたことだが、自分が誰の立場で語るか。ナレーターと娘、おじいさん、おばあさんの4者を使い分けなければならない。中央にいろりがあり、おじいさんとおばあさんが向かい合う。そして娘が座り、扉があって、娘(鶴)が機を織る部屋があって。
見えないけれどそこにあるようなイメージをする。
手話によるパフォーマンスは手話の正しい表現とともに、そこにはないものや状態やできごとをあたかもあるようにイメージさせて演じる、ということだろう。そういえば先日見た『みんなの手話』では、ある著名な手話パフォーマーが宮澤賢治の作品を手話で語っていたが、水中のクラゲが泳ぐさまなど、手であたかも生きているかのような演じ方をしている。
そういったことも含めて、見ている人にいかに説得力をもたせられるか。
声と一緒に演じるのだから難しさは何倍もある。けれどやりがいはある。
今年の夏は朗読『ゆずり葉』と『鶴の恩返し』の練習に集中したい。
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