常識を疑ってみよう ― 2013/05/20 20:40:53
わたしたちのなかには「常識」というものでしばられている。
聴こえないから、あれこれができない。聴こえないからこれはだめだ。
そういう常識って、たしかに当たっている部分もあるけれど、本当に正しいのだろうか?
障がい者だから「できない」ではなく、障がい者だから「できることがある」。
先週土曜日の手話サークルのあとの飲み会。
わたしたちの挙式と披露宴に来てくださった、サークルの会員からこんな言葉をいただいた。
「いままであなたの朗読舞台を見てきたけど、披露宴でやった『塩狩峠』が一番感動した」
中途難聴者だから日本手話ができない? 覚えられない?
そんなことはないだろう。
障がいがあるから、だめ、ではなく、障がいがあるから、チャレンジしよう。
聴こえないから、あれこれができない。聴こえないからこれはだめだ。
そういう常識って、たしかに当たっている部分もあるけれど、本当に正しいのだろうか?
障がい者だから「できない」ではなく、障がい者だから「できることがある」。
先週土曜日の手話サークルのあとの飲み会。
わたしたちの挙式と披露宴に来てくださった、サークルの会員からこんな言葉をいただいた。
「いままであなたの朗読舞台を見てきたけど、披露宴でやった『塩狩峠』が一番感動した」
中途難聴者だから日本手話ができない? 覚えられない?
そんなことはないだろう。
障がいがあるから、だめ、ではなく、障がいがあるから、チャレンジしよう。
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