キリストを伝えるという基本に立っているかどうか。2016/01/31 23:18:57

雪が降ると言われていながら、雪どころか雨さえ降らなかった1月最後の日。
教会の礼拝後、わたしと牧師だけの「青年会」。もう50にもなったんだから青年もないだろうと思うのだが。それでも2014年から学び続けてきた「福音の再発見」(スコット・マクナイト著、キリスト新聞社刊)をあと1章で終えるというところまで来た。

行き過ぎた信仰の個人化、奇蹟や体験を重要視している聖霊派や福音派の信仰だが、ではわたしたちリベラル派はどうなのか。あくまでもキリストを伝えるという基本に立っているかどうか。

今日の説教は、イエスが生きた時代とその背景、当時の権力者とイエスの関係などを浮き彫りにしながら、イエスがなぜ、神殿で商売をする人たちを非難したのか、ということの本質を示していた。
とても学ぶことの多い説教であった。

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