とても悲しく胸が張り裂けんばかりだ。2016/02/01 23:42:32

後藤健二さんがシリアで亡くなって1年。
あれから少しでも状況がよくなったのだろうか。いや、それどころか1年前以上に状況は悪くなっている。
いったいどうすれば状況が良くなるのだろう。安心できる国になるのだろう。

とても悲しく胸が張り裂けんばかりだ。

長丁場、じっくりみつめていきたい2016/02/02 23:31:54

現地時間1日夜、アイオワ州で、米大統領選の民主、共和両党の候補指名争いの初戦となる両党の党員集会がひらかれた。
民主党はまれにみる接戦でヒラリー・クリントンが勝った。共和党は実業家のドナルド・トランプ氏が福音主義キリスト教徒のテッド・クルーズ上院議員に敗れた。

他国のこととはいえ、わたしはどちらかといえばトランプ氏にいい印象を抱いていない。
ヘアスタイルだとか見た目ではなく、彼の、敵をつくりだしあおる言動とその内容に、反知性を感じるのだ。

米国大統領は、たしかに以前ほどの影響力を持たなくなったかもしれないが、それでも世界有数の大きな権力を持つ。世界にその気になれば軍隊を送ることができるし核ミサイルも放つことができる。逆に言えば、それだけの権力を持つことのおそれと、権力をもつことに耐えられるだけの知性、人間としてのあり方が求められる。聖人君子とはいわないが、国のリーダーたる品格が求められるはずだ。
だが人種や性差別などあからさまな言動をしてはばからないという人物には「?」しかうかばない。

まだ大統領選挙は11月の本選挙まである。
長丁場だからこそ、いい意味でも悪い意味でも世界やわたしたちに大きな影響をもたらすであろう選択をかの国の人たちがどうするのか、じっくりみつめていきたい。

耳が聞こえない人が感じている5つのこと2016/02/03 23:13:18

みんなに知って欲しい、耳が聞こえない人が感じている5つのこと
http://www.huffingtonpost.jp/shari-eberts/i-wish-everyone-knew-about-hearing-loss_b_9136098.html?utm_hp_ref=japan
原題はHearing health advocate, board member, avid Bikram yogi
(注)<>内は引用。それ以外はわたしのコメント。

<1. 耳が聞こえないというのは、とても疲れること

耳の聞こえない人にとって、聴くというのは仕事です。これを理解してもらうのは難しいかもしれません。耳の聞こえる人にとって、それはとても自然なことだから。(中略)耳の不自由な人は、聴こえた音をつなぎあわせて、会話の文脈にあう単語やフレーズに変えていきます。しかも、この作業をしている間も会話は続いています。とても大変な作業なんです。>

わたしもそうだけど、音声会話を聞き取る作業は、とても苦痛と疲労を伴う作業である。
聴こえている人は聞き分けているのだろうが、わたしにしてみれば、同じようにしか聞こえない。しかも高い音ほどよく響き、逆に低音が聞き取りづらい。
おおまかな単語をつなぎ合わせて「いまこんな話をしているのかな?」とパズルを組み合わせるようにして話を理解していく。けれどパズルが合わないどころか、まったく違うものだったりすると、どっと疲労を感じてしまう。

<3. 補聴器は、眼鏡のように動いてはくれない

眼鏡をかけると、ぼやけた画像がくっきりと鮮明に見えるようになります。でも補聴器は違います。補聴器は音を増幅してくれますが、音は大きくなるだけで、必ずしも鮮明になるわけではありません。時には、声と雑音を識別できず、冷蔵庫やエアコンの音を拾って大きくすることもあります。そうなると、ますます聴くのが困難になります。>

これもまさにぴったりあてはまる。
わたしはコンタクトと老眼鏡を組み合わせてタブレットや聖書を読むようになってきた。これらは文字や画像を鮮明に見せてくれる。わたしの周りでも補聴器はメガネと同じような効果があると思っている人が多いが、わたしのような感音性難聴は鼓膜からさき、脳につながる聴神経が機能しないため、補聴器をつけても限度があり効果は十分得られない。音が大きくなるだけでしかない。わたしは職場でのランチタイムには食堂内の喫茶店に行く。だがそこで手話のできない聴者と話をすると、向かい合っている聴者だけではなく、わたしたちの周りの聴者の話し声までもが補聴器に入ってしまい、識別や聞き分けができなくなる。そして疲れてしまう。
会話ができたとしても、向かい合っている人とそれ以外の人の声がごっちゃまぜに聞こえるために、聞き取りに困難を感じてしまう。
ランチを終えて職場に戻る。食堂よりは静かな環境に慣れてしまうと、食堂で聞こえた騒音や喧騒が、かえって耳に残ってしまい、睡魔や疲労を招く。そうして、耳が聞こえない人が感じていることを知らない人から見れば「たるんでいる。なまけている」という目でみられてしまう。

大事なポイント。
<★耳が聞こえないというのがどういうことなのかを伝えるのは難しい。はっきりと話せないし、大きな物音に敏感になります。コミュニケーション量の多さに疲労困憊してしまうこともあります。

★難聴は目に見えない。だから、誤解されたり、軽視されたり、無視されたりすることさえあります。時には身近な人たちからも。

★聞こえないというのはどういうことなのかを理解するかしないかで、考え方が大きく変わると思うんです。だから難聴について、この5つのことをみんなに知ってほしいと思っています。>

ぜひ多くの人が、少しでもわずかでも、聞こえないということはどういうことかを理解してもらえたら、この世の中のコミュニケーションは、変わってくるのではないだろうか。

どんどん使っていこう!2016/02/04 23:44:32

今日は今月最初のギターレッスン。徐々にすすんできた。

聴こえないわたしがどうやって音を聴いているか、テンポやリズムをつかんでいるか。
写真左にあるのは、2年前に購入したミキサー。白いコードは磁気ループのコードで、ミキサーのヘッドホンコネクタにつないで、磁気ループを首からかけて補聴器を磁気ループ対応のMTスイッチにして音を聴く。上に映っているのはタブレットに入れた、メトロノームアプリ。ミキサーから磁気ループを通して聴こえる自分のギターの音を補聴器で聴きながら、メトロノームアプリでテンポを追いかけ確かめ、左手のコードと右手の指遣いも目で追っていく。
このほかにもレッスンを受けるときには講師先生にろう学校でも使われる送信器とマイクを渡して先生の声を磁気ループつき受信器で聴く。つまりレッスンでは自分のギターの音と先生の声を聴くための磁気ループを2つ首にかけることになる。

ややこしいといえばややこしいけど、聴こえないハンディをカバーできるものがあるなら、どんどん使っていくことだ。
そうやってギターを弾けるようになれれば、もっと表現したいうまくなりたいと思うのは当然だろう。

立ち直る機会はまだ彼に残されている。2016/02/05 23:22:07

ここ数日の大きなニュースといえば、やはり元プロ野球選手の清原和博容疑者の覚せい剤所持と逮捕事件だろう。
未解明の部分が多いが、有名になるということとその引換にとでも言うべきリスクと。加えて本人のこころの弱さ……といっても彼だけがそうだったのではなく、誰しもがもつ部分でもあるのだけれど。

有名になる。なって活躍しているあいだはいろいろ寄ってくる人がいるしちやほやしてくれる。しかし波がひくようにサァーっと去っていったり手のひらを返すような態度をしたりする人もいる。また、有名になったその人にではなく、彼についてくるお金だとか地位だとかいろんなものに群がろうとする人もいる。

わたしの好きなあこがれでもあるNFLやMLBも、日本以上にある意味そういう誘惑が大きい。
夫婦でも、夫が現役をやめた途端に妻から離婚を切り出されたとか財産分与を要求されたとか、スポンサーが離れて行くとかいろんなケースを見る。もちろん現役時代以後もしっかり夫婦としてのつながりを強く保っていくケースもあるのだけど。夫婦だけではない。ひとりの人間としての人生をしっかり見つめていける強さをもっている元選手もまた多いのだけど。

わたしも思うのは、会社員生活を終えたあとの人生が長いということ。
言い換えれば現役であることにこだわっている人ほど、そのこだわりから離れざるを得ないときに誘惑に陥りやすいのかもしれない。清原が華々しい現役時代を忘れられなかったように。

しかし、立ち直る機会はまだ彼に残されている。
あの華やかな時代を生きた強さがあるなら、今回の大きな失敗を乗り越えられるのではないだろうか。

一週間はカレー三昧2016/02/06 23:51:13

立春とは名ばかりの寒さ。それでも徐々に日が伸びているようだ。

朗読のレッスンと夜からの手話サークルのあと、自宅に帰って週末恒例の夫婦の料理。例によってカレーライス(笑)。分担してつくっていくのが本当に楽しい。
サフランライスもつくって、この一週間はたぶんカレー三昧になるだろう。

ありのままを受け入れて2016/02/07 23:17:04

補聴器で音を聴く。けれど明瞭度をとるか、聴きたい音以外の音も聴こえることを受け入れるか、なかなか難しい。どうがんばってみても補聴器は完全に明瞭に聴こえるというものではない。それを受け入れることも大事なことだろう。

礼拝を終えて、「虹の手」の練習を仲間と一緒にやる。
美空ひばりさんの『川の流れのように』を、前回録画して送っていただいた動画を見ながら確認したり、意見を出し合ったりしていく。
さらに、自主学習として唱歌『茶摘み』の手話表現を考えてみた。手話だけにこだわるのではなく、たとえば子どもやご高齢者と一緒に遊ぶというイメージで考えてみた。

いろいろ自分たちで工夫しながら、手話通訳士にも見ていただいて、しっかりしたものに仕上げていきたい。

「手話ができます」というバッジ2016/02/08 22:07:12

先週あたりからだろうか、見た目は同じアジア系だけど、ヘアスタイルや服装など、どうみてもわたしたちとは違う人たちを見る。春節で日本を訪れた中国や台湾からの旅行客ばかりだ。

仕事のあとに新宿へ寄る予定があった。そこでも店員さんのなかに「中国語が話せます」というバッジをつけている人をみる。
中国に限らず、外国から旅行客が来ることはそれはうれしい。滞在中に、日本の良さを感じてほしいし、日本人とも接してみてもらえたらとも。

でも。
寄った先のお店で「手話ができます」というバッジをつけた店員さんがいないというのもまたさびしいものだ。
外国語ができるスタッフがいるのはいいこと。
同じように、日本のなかにもコミュニケーションにハンディがある、コミュニケーションがうまくいかないという人たちがいる。
外国語だけではなく、手話などもできるスタッフがお店にいると、ずっと好感度が高くなると思うのだけど。

なにげない幸せ2016/02/09 22:56:11

仕事のあと、妻を誘って新宿へ。

わたしの行きつけのショップへ、お目当てのモノを探したがすでに売り切れ(´;ω;`)。

お店を出てから、近くの焼きとん食堂に入って妻はあまりなじみのない、モツ煮込みや豚カツなどを一緒に楽しんだ。
なにげないこういうひとときも幸せだと思う。

ひとつ隣の駅まで歩く2016/02/10 23:12:52

手話サークルからの帰りを、いつもよりひとつ隣の駅まで足をのばしてみた。
たしかに歩数が増えて、運動にはなる。
コンビニが多い通りではなく、古書店やレストランなどが多いところを意識して歩いている。なぜって、コンビニが多いと、ついつい立ち読みしてしまう誘惑にかられるから(笑)。

とはいえ、歩くのはもともと苦痛ではない。
活動量計の歩数が増えると妻もわたしもうれしい。