『アンネの日記』をもう一度2015/10/01 22:47:38

今日から10月。カレンダーをめくるのが早いとつくづく感じる。

コスモス朗読会は終わったばかりだが、来月7日、妻ハンナの友人が福生市の文化祭でステージに上がるという。その同じ舞台で手話つき朗読をやってほしい、と依頼された。
演目は、今年7月の「カルチャーナイト」でやったと同じ、『アンネの日記』。

けれどこの朗読は、実は本人としては物足りないところがいくつかある。
初演したときは日本語対応手話だった。ろう者にもわかる手話、つまり日本手話でやりたい。加えて、初演時にはカットした、アンネの気持ちを補加筆して、はじめの台本より長くなっている。
「カルチャーナイト」でやっているからある程度は大丈夫だとは思うが、補加筆した部分も含めて日本手話でやるために、手話通訳士と共作であらためて手話表現を工夫してみることにしている。
福生だから当然米軍基地が近いこともあって、文化祭には米軍関係者も来るだろうと思う。
だったら、思い切ってこの文化祭では、アンネの日記の英訳も、たとえば英語に堪能な人に英語で読んでもらって、わたしの朗読(音声日本語・日本手話)と並行してやってみてはどうだろう、と妻を通して、依頼してくれた友人にも伝えたいと思う。

彼女が生きた時代を思い起こしながら訳してみる2015/10/02 23:24:11

一週間前に終わったばかりのコスモス朗読会から、今度は来月7日に福生市でひらかれる文化祭で、『アンネの日記』をやることになった。
で、初演時は日本語対応手話だったのを、日本手話、日本手話に限りなく近い表現でやることにしている。そのための手話訳づくりを今日からはじめた。

まだ完成していないので、全部については書くことはできないのだけれど、文章通りに直すのではなく、アンネが生きた1944年から45年の、隠れ家時代から亡くなるまでの彼女の生きた時代をみつめて、ナチスから隠れるために社会とのかかわりを絶ち、暮らさなくてはならなかったという思いをいかに表現するか、ということにこころを砕いている。

どんな感じになるか、1カ月あまりのあいだで、ろう者にも通じる表現をつくっていきたい。

わたしにとっては大きな力励ましをいただいた2015/10/03 23:51:36

今日から通常通りの、声だけの朗読のレッスン秋期クラスが始まった。

その前に、もう一週間前になるコスモス朗読会の出演者お一人おひとりに講師先生から、講評とアドバイスをいただいた。
わたしについては、こう評してくださった。隣で、受講生が筆談で書いてくださったのでそれをもとに書いてみる。

伝える力がある。ストーリー、人物がいくつかわかりにくい。
(手話つき朗読は)見せ場でもある。(この取り組みは)大きな意味がある。

たったこれだけだが、けれどもわたしにとっては大きな力励ましになった。
なによりも「伝える力がある」ということと「大きな意味がある」ということだけで、十分である。

わたしは声と手話と身体で表現することに強い関心と興味を抱いている。
これからも、いただいた励ましをこころに刻んで、研鑽と表現の向上に努めていきたい。

ありがとうございました。

がぜんやる気になる2015/10/04 23:10:32

いったい、いまは夏なのか秋なのか? 教会と自宅の往復のあいだ、半そでどころかノースリーブの人を何人か見かけた。それも男女問わず。

週末恒例の、妻を楽にさせたいのと夫の楽しみを増やしたいという、料理の時間。
今日はカルボナーラをつくった。

味はまあまあ、そこそこ妻がほめてくれたが、やっぱり妻にほめられて悪い気はしない。
いろんな夫婦がいると思うけれど、妻にほめられて、夫はがぜんやる気になるというもの。ときには手綱をひきしめながらも、夫をほめてくれることが多いほど、夫は前向きになれる。

週明けも忙しくなりそうだけど、しっかりたしかな歩みを残したい。

人生はなんのために2015/10/05 23:13:07

名張毒ブドウ酒事件の奥西死刑囚が死亡 再審請求中
http://digital.asahi.com/articles/ASHB27V75HB2OIPE03G.html

いったい、人の人生はなんのために、誰のためにあるのだろう。
つくづくそう思わせ考えさせられるニュースだ。

89歳で亡くなるまで43年に及んだという、確定死刑囚としての収容期間。そのあいだ、一歩も外の空気に触れることはなく、外の世界で起きていることを知ることも少なかったかもしれない。
いったい、この人の生きた意味は、もし答えられる何ものかがあるなら、なぜ、どうして? と問いかけずにはおられない。

もうひとつ、わたしのこころを強く揺さぶったのは、先月亡くなられた女優の川島なお美さん。わたしとそう変わらない54歳で天に帰られた。

生前はいろいろ批判されることもあったと思うけれど、ご結婚されてすてきな伴侶と人生を豊かに送られたのではないだろうか。テレビ報道で伝えられたように、ご主人が葬儀のさいも妻のために尽くされたことを思うと、言葉にならない悲しみとともに、亡くなってもなお人のこころに何かを遺された、その大きさに胸が揺さぶられる。

わたしも、妻も、いずれはいつになるかわからないけれども、死がやってくることだろう。この年齢にもなると赤ちゃんとなって生をうけた以上はいつかはやってくる死という場面に向かい合わなくてはならない。

葬儀に出ていつも感じるのは、亡くなった人はもう物言わぬ。声を聞くこともなければ姿を見せることもない。葬儀でどうしてほしいとかあれをしてほしいとか言ったとしても、確かめようがない。結婚式ならふたりでいろいろ意見を出し合ってつくるものだから、一緒に分かち合える。
しかし、遺された人が、声を聞くことも姿を見ることもできないその人のために、一生懸命尽くそう、と思わせるためには、生きているときのふだんのかかわりやそれぞれの人生観や生きざまが大きくかかわってくる。

お互いにとってかけがえのない存在と言えるように、なにげない小さいことからの積み重ねが、大きな実となって結ぶのだろう。

お二人の、こころからのご冥福をお祈りいたします。

口で言うのは簡単だけど2015/10/06 23:25:59

日本もアメリカもプロ野球の公式戦が終了した。これからポストシーズン、リーグチャンピオンをかけた戦いにはいっていく。

その一方で、戦力外、構想外として解雇を言い渡される選手、自ら引退を発表する選手、悲喜こもごもの光景がみられる。戦力外を言い渡されてもなお現役でプレーしたいと、トライアウトを受ける選手、日本以外の国に活躍の場を求める選手もいる。そして新しい若い選手を選択する、ドラフト会議も。

そのなかでわたしがひそかに「おつかれさまでした」と声をかけたいのは、山本昌選手である(中日ドラゴンズ1986~2015)。
ピッチャーとしての成績をみると1994年の19勝から、今日現在で今年はたった1試合しか投げていない。明日の広島戦で先発するという。もし出場すれば50歳になって最初で最後のマウンドで自身の持つプロ野球の最年長出場となる。
生き馬の目を抜くようなプロの世界を中日ドラゴンズ一筋で、29年もプレーし続けたのは同世代としても誇らしい。メジャーほど選手の移籍が激しくないとはいえ、同一チームでやり続けられたのは、マサに「ドラゴンズで必要とされていたから」だろう。
あきらめないことやり続けること。
口で言うのは簡単だけど、実行するには気力体力、精神力がないと。しかも周りはみな年下ばかり。これらを保つのは並大抵のことではないはずだ。

明日の試合は、たった一人の打者限定だそうだけど、仮に一人で終わったとしても、彼が残した記録は永遠に色あせることはない。

おつかれさまでした、とこころからの声援を送りたい。

あせらずあわてず2015/10/07 23:53:43

年を重ねていくって悪いことばかりじゃないなあ、と昨日書いた、山本昌選手の話を振り返って思う。
たしかにからだが思うように動かなくなったり気力がわかなかったりすることも、まあある。これからさき、身近な人との別れもあろう。ゆっくり動いていけばまたいつかは力が湧くはずだ。

今日のあるスポーツ新聞に、40歳を迎えた女優のインタビュー記事が掲載されていた。
アイドルとして活動を始めて、彼女の人生にもう余曲折、いろいろなことがあった。アイドルをへてひとりの女性としてどう生きていくか、浮き沈みの激しい芸能界の中で、若いことではなく、それまでに培ってきたものをどう生かしていくか、いろいろ苦しみ悩みながらたどり着いたのは
「年相応に」ということだった、という。その年齢で必要とされているからこそ、それにこたえてやっていくこと。

あせらずあわてず。
そう、今日の試合でたった一人の打者限定で投げた山本昌選手も、50歳までプロ野球でプレーできたのは、球団やリーグから必要とされたからだ。
同じように、周囲、組織や社会から必要とされているのだから、そのことを忘れずにしっかり生きていけば、年をとっても決して道を誤ることはないだろう。

亡くなられてもなお人のこころに生き続けている2015/10/08 22:06:08

【 よみがえる、いのちの歌 AGAIN 発売決定! 】 
http://www.minako-channel.com/main.html

このブログのタイトルでもある「やさしい愛の手のひらで今日もわたしは歌おう」は、2005年に亡くなられた本田美奈子 . さんが歌っていた「アメージング グレイス」の日本語の歌詞からとった。
本田さんが2005年に亡くなった翌年、高村真理子さんもその年の5月に天に帰られた。
本田さんが亡くなられてから10年。今年はデビューしてから30年になる。ご存命だったら大きなイベントもあったに違いない。

その本田さんが生前、病床で岩谷時子さんを励ますために録音したというアカペラの歌声にピアノ伴奏をつけた曲を含むCDが発売される。

まさに亡くなってからも大きな仕事をなさったと言える本田さん。
もちろんお会いしたことはないけれど、天国で高村真理子さんと一緒に歌っていることだろう。

ありのままでいいんだ2015/10/09 21:54:32

ありのままの私を見て LGBTの告白、写真家が後押し
http://digital.asahi.com/articles/ASHB47H63HB4PTFC00L.html?iref=comtop_6_01

OUT IN JAPAN
http://outinjapan.com/

この世の中は実にわかりにくいこと納得の行かないことだらけ。なぜわたしがこんなややこしい、ろうなのに話せるからだなのか、ということから戦争や争いがいつまでもやまないこと、身の回りにいくつも起きる理不尽であったり理解できなかったりすることばかり。

しかし、それでもわたしは「ありのままでいいんだ」と思えるようになった。まだまだ世界は混乱と対立と憎しみ争いがやまないけれど。

と前置きが長くなったけれど、わたしはろう者で聴者と同じように話せる。
そのわかりにくさがわたしを追いつめていくのはいままでもこれからも起こるだろう。
たとえば会議でなくても聴者とのやりとりで、普通に話せるゆえに「聴こえている」と思われ、聴こえないことが伝わらない。わたしも聴こえていないことを公にできずに周りに合わせようと、自分を隠してしまうことがあった。自分を公に出せないから、苦しくてつらくて、うつになったこともある。

それは、立場こそ異なるけれど、この2つのサイトに出てくるLGBTの人たちの思いと重なる。
まったく同じかというとそうではない部分もある。しかし生きづらさをもって(ここでいうのは抱えてという意味で)生きているということではとても共感できる。LGBTの人たちも苦しみの中にいて、自分を押し殺してかくして生きてきた。それはけっしてわたしにとっては他人事ではない。

もちろん世の中にはLGBTを理解しようしたくないという人もいるだろう。嫌いで近寄らないでほしいという人もいるかもしれない。
けれど、大事なことはひとつ。
嫌悪感はあっていいけれど、身近な存在だということ。生きているいのちをもつ存在であることに変わりはないということ。

多様な人がいて多様な社会であること。
わたしは異性愛者で妻がいるけれど、LGBTの人たちを理解していけるようになりたい。

日本語対応手話から日本手話へ2015/10/10 22:55:26

実質あと5週間しかない、福生市文化祭での手話つき朗読『アンネの日記』。
今日も日本手話での表現を、手話通訳士と一緒に考えつくる作業をした。

2007年に『アンネの日記』をやったときは日本語対応手話だったのを日本手話にするのは、ゼロからつくっていく作業だった08年以降現在に至るものに比べると、日本語対応手話の部分を削ぎ落としていく一方で、日本語対応手話と日本手話の違い、さらには日本語対応手話でやった基礎があるから、アジャストしやすいということもいえるかもしれない。

具体的に書いていく。以下、日本語対応手話は対応手話、日本手話はそのままの表記とする。

「いったい、そう、いったい全体」
ここは対応手話では考えるしぐさを入れていた。日本手話では<本当に>という表現を。
「貧しい人たちに使うお金がぜんぜんない」
対応手話では<全部+ない」>と文章通りに訳したが、日本手話では「0%」とした。

どちらが正しいということを言いたいのではない。
わたしはもともとは対応手話から手話を学んだし、声と手話のズレを少なくするにはやっぱり文章通りに表す対応手話がいい。けれどそれではろう者は意味がわからないどころか読み取るのに疲れてしまう。
声と手話のズレをわかった上で、ろう者にも難聴者にもわかりやすい表現を考えていきたい、とあえて、困難を承知の上で日本手話と音声による朗読に挑戦してきた。

対応手話でやったことが、先日の『ラストレター』もそうだけど、いかにわかるように工夫するかということに結びついている。
これまでの歩みや積み重ねてきたものは、無意味どころか、とても大きな成果につながっていると思う。