コミュニケーションをあらためて考えてみる2015/10/23 23:49:22

本題に入る前に。

今日は何の日でしょうか?
「電信電話記念日」だそうです。1950(昭和25)年に当時の電気通信省、のちの電電公社、現在のNTTが、この日を「電信電話記念日」と定めました。由来は、
1869(明治2)年9月19日(新暦10月23日)、東京~横浜で公衆電信線の建設工事が始まったことからだそうです。

先日からわたしはフェイスブックを始めました。
いろんな人とつながる、まったく会ったこともない人とつながる。
それはとても便利なことですけど、つながりが希薄なものになりかねないということもあると思います。たとえば書き込みに「いいね!」がないとショックだとか、しょっちゅうフェイスブックをのぞいていないと不安だとかいうような依存もあるでしょう。

居ながらにして世界、多くの人とつながるのは聞こえないわたしたちにとって便利なものですが、だからこそコミュニケーションを薄っぺらいものにせず、できるだけ相手をよく理解する、という本来のものにしていくことも大事だとあらためて考えさせられています。

先日、

バス運転、聴覚障害者も可能に 道交法施行規則改正案
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151023-00000037-asahi-soci

<聴覚障害者が補聴器をつけて一定の条件を満たせば、バスやタクシーを運転できる二種免許が取得できるようにする道路交通法施行規則の改正案を、警察庁が22日、まとめた。来年4月に施行される見込み。これで聴力を補える聴覚障害者は、全ての運転免許が取得可能になる>

たしかに補聴器は昔に比べて性能が向上しました。小型で目立たないものもあります(価格はどうしても高額になりますが)。
けれども教会などあちこち移動するときにバスを利用する立場として経験上感じるのは、運転できるかどうか以上に、お客様との対応が問題になることが多いのです。わたしはバスの運転士との話が聞こえないことが多かったので、おそらく運転士としては安全運転と緊急時のお客様とのトラブル対応など、緊張を強いられる仕事ではないかと感じています。
それだけに、もし聴覚障がい者がバス運転等をする場合、サポート体制が必要になるでしょう。たとえば筆談器を置く、それも運転士も使えるようにする。実際、運転席そばに「筆談器置いてあります」という掲示板を見ますが、使っている人や聞こえない人に対して積極的に使おうという運転士を見たことがないし、使っている場面も見たことがありません。
また、騒音が激しい車内で、お客様の声や音を明瞭に文字起こし変換できる、スクリーン表示できることも考えられませんか? 運転席にどうやってスクリーンを置くかも考えなくてはなりません。

同じ、聞こえない障がい者だからこそ思いはよくわかるのです。
もしバス会社が聴覚障がい者を運転士として雇用することになれば、単に補聴器で聞こえるからという安易な発想だけはしないでもらいたい。
そう、自分の経験からも強く思います。