ろう者と聴者 多様性と共存2015/11/01 23:01:30

今日から11月。はやいものでもうカレンダーは残り1枚となった。

午後から、自宅近くの集会室に集まって『虹の手』の打ち合わせ。
高齢者施設でのボランティア演奏の曲目を決めたり手話訳をいっしょにつくったり。
コスモス朗読会の時もそうだけど、一方的に案を出して教えてもらう教わるというのは、この会にはなじまない。そうではなく、いろんな意見を出し合ったり自分たちで考えていきたい。そもそも『虹の手』というグループ名には、ろう者と聴者が一緒に活動する、多様性と共存という思いがある。そこには教える教わるという関係ではなくフラットな共に生きるという関係だけがある。

この活動をゆっくり育てていきたいと、本当に思う。

手話を考える以前に、日本語を考えるということ2015/11/02 21:52:16

手話を学んでいって、はじめは単語を覚えるのに精いっぱいになるけれど、学びが深まっていくにつれて、単語ではなく、いかに表現するかという問題にぶつかっていく。
たとえば童謡や唱歌のように現代にはなじまない分かりにくい表現がある場合、ただ置き換えたり当てはめたりするのではなく、情景や雰囲気も考えながら手話をつくっていく考えていく作業が求められる。それは手話を考える以前に、日本語を考えるということになる。

簡単ではないことだけれど、手話を学ぶということはすなわち、私たちが使っている普段の日本語、音声言語や文章の日本語を考えていくということになる。
ほんとうに言葉という世界は、奥深い。いまのところ、言葉を使っているのは人間だけ。だからこそ言葉を使って意思を伝え合う、手話にしても音声言語にしても文章にしても、大事にしたいものだと、今回の「虹の手」や朗読の取り組みからつくづく考えさせられる。

大事に使いたいもの2015/11/03 22:14:39

バザーで手に入れたカルキュレーター
浦安教会のバザーで得たもの。

2007年まで生産販売されていたらしいのだが、メタルボディーのカルキュレーターと世界時計。生産販売当時の価格は2200円くらいした、とネットではあったのが、バザーでは500円。
仕事でも計算をすることがあるし、旅行でも外貨換算などすることもあるかもしれない。
せっかく得たものだから、メーカーのためにも大事に使いたいと思う。

多様な社会生き方を認める世の中であってほしい2015/11/04 23:18:39

昨日のバザーで思い出したのは、一年前、その同じ日にひどい肩こりと頭痛、おう吐でバザーを抜けるどころか、教会員の方にお願いして浦安市内の救急病院に運ばれたことだ。妻は予定があったのを切り上げて、浦安まで戻ってきてくれたし、浦安教会の人たちはバザー後、わたしのために祈りを捧げてくださったと、あとできいた。

7月に札幌に帰ったときにもひどい肩こりと頭痛、おう吐があって、形成外科に行ってレントゲンを撮ってもらうなどして骨がずれているらしい、猫背ぎみのからだが、肩こりからおう吐につながっているという。
姿勢矯正ベルトをつけてから、具合が悪くなったのは1回しかない。
気のせいかな、9月のコスモス朗読会でも、シャキっとした姿勢でステージに立てたような気がする。実際は矯正ベルトで肩から背中が引っ張られているからなのだけど。
もし妻がいなかったら、矯正ベルトなんて考えなかっただろうし、この3年間で何度もひどい肩こりと頭痛、おう吐をおこして悩まされていたに違いない。妻がいてくれたことに、こころから感謝している。

結婚して3年目。
幸い大きな病気は、おととしの風邪薬があたったアナフィラキシーショックだけ。あのときは全身が真っ赤になってとてもきつかったのを覚えている。
そんなわたしを支えてくれた妻は、結婚前に姓をどうするか、ときいてわたしの姓でいいと答えたけれど、いまでもわたしは「結婚してからの人生より結婚前の姓でいた時間が長かったのだから、旧姓でいてほしい」と思っている。
わたしのまわりでも通称で通している人や事実婚で通している人もいる。職場では旧姓、それ以外のところでは夫の姓で、と使い分けている人も。
「わが国古来の家父長制度」「家族の一体感」を持ち出す人は夫婦別姓なんて論外と言いたいだろうが、わたしは別姓でも、お互いをしっかり支え合う、愛と信頼といたわりあうことで、家族としてのつながりはつくられると思っている。日々の積み重ねの結果が、家庭を長く続けていくことになるのだと、3年たってあらためて思う。
どういう家庭をつくっていくかはそれぞれ自由であり、国家やだれかが指図したり規定したりするものではないけれど、わたしたちは聴こえない夫と聴こえる妻が家庭をつくり、支配被支配や命令服従隷属という関係ではなく、お互いを大事にし支え合う関係でありたいと思っている。
多様な社会生き方を認める世の中であってほしい。その最小単位としての家族で、夫婦別姓があっていいはずだと思うのは、わたしだけだろうか。

もっと生きやすい国になるだろう、か?2015/11/05 23:32:23

同性カップルに証明書発行 「家族として認められ感激」
http://digital.asahi.com/articles/ASHBX6DZ2HBXUTIL052.html

補聴器をつけてもはっきり聞こえないけれどきれいに話せるろう者がいる。
同じように、好きな人が同性であるだけであって、わたしたちと何ら変わりない、愛する人がいて生きている。

そういう多様な社会、少数者を認めていく、差別をなくしていく意識改革が生まれたら、この国はもっと生きやすいことだろう。

抜けるように去っていった頭痛2015/11/06 23:09:19

朝起床して中ぐらいの頭痛を感じた。風邪? インフルエンザ? 気持ちがすっきりしないまま妻と一緒に出勤。職場近くの地下鉄駅で危うく寝過ごすところだった。
なんやかんや仕事に集中していていつのまにか頭痛は頭から抜けるように去っていった。

ほぼなんとかできた2015/11/07 23:10:05

妻とその友人に誘われて福生市で開かれた文化祭にて、手話つき朗読『アンネの日記』から部分を演じるとりくみ。
朝から忙しいスケジュールでどうなるかと思いつつ、本番ではなんとかうまくいった。みなさんも楽しんでいただけたと思う。

こういう取り組みを通じて何かを伝えられたら、これ以上の喜びはありません。

学び直しと、造り直し2015/11/08 21:21:30

昨日から一夜明けて。
台本通りにスムーズに演じたあと、わたしは思い切ってアドリブで、今のこの国や世界の状況、憎しみが増え争いが絶えないなかで、アンネが伝えたかったものを短くわたしなりの言葉でまとめてみた。あくる朝から早速自分を高めよう、と努力してみること。戦争を起こすのは政治家や指導者だけの責任ではなく、名もない一般の人たちであり、自分のこころのなかにある憎しみが起こすのだと。
そんな語りかけを、聴衆のみなさんはうなずいてくださった。

今日から月に一度、わたしと妻の共通の牧師をお招きして聖書や信仰について学ぶひとときをもつことにした。
わたしは31年、妻は20年教会で信仰生活を送っているけれども、いま一度学び直そうという思いで、このような会をもつことにした。
いい意味で学び直しながら、リビルド、造り直しができたらと思う。

誕生日記念の料理2015/11/09 23:06:36

今日はわたしの誕生日。ま、いくつになっても誕生日というのは大事なものだ。
で、妻と一緒に帰って買い物を済ませて、一緒に夕食をつくった。
メニューはきしめんのカルボナーラ。

これまでもカルボナーラに挑戦したけれど、パスタレストランでみるような、とろみのある感じがうまく出せなくて、あれこれ考えていてカレー用のとろみを出すペーストを購入して卵と一緒に溶かしてみた。
邪道かもしれないけれども、うまく出来て味もまあまあ。

残りの人生があと何年かわからないが、年相応に、あとに続く人たちにとって「あ、こんなやつもいるんだ」といい意味で思ってもらえるようなものにしたい。

過去の失敗から思うこと2015/11/10 22:25:50

先日のこと。
もう会社を定年退職された方で、いまは退職された方の集まりの事務局にいらっしゃる方とお会いする機会があった。
いまのわたしの仕事のこと、障がいのことなど、いろいろ聞かれた。それはいやなことではないのだが、お会いした場がレストランで、周囲の騒音や喧噪にかぶさるように相手の声が聞こえてしまい、何を言っているのかわからないまま相づちをうっていることもあった。

そこでわたしが言ったのは、会社に入ったばかりのころのこと。
自分の聞こえのことを正確に正直に言えなかったばかりに、職場の方々とのコミュニケーションがスムーズではなく人間関係もあまりよくなかった。
誰が悪いというのではなく、自分を正直に出すことが難しかったのだと思う。

そんな昔のことをいまさらほじくり返してもしょうがないのだが、しかしろうでありながらきれいに話せるために、どうしてもまわりはわたしが聞こえないことが実感できないらしい。

失われたものを数えるのではなく、いまあるものを最大に生かすこと。
そして、過去の失敗から、自分の姿を正直にさらけだす、ということもこれからは積極的にやっていかないといけない、とも。