五輪への興味がますます薄れてきた。2015/09/01 23:54:59

昨日のここで書いた、コンタクト専用のメガネでギターを弾いてみる。
ストリングスがはっきり見えて指運びもスムーズに。やっぱり見えていたなかったのが原因だったのか。

突然はいってきた、2020年東京オリンピック・パラリンピックエンブレムの使用中止という報道。7月24日にエンブレムが発表になってまもなく、ベルギーの劇場のロゴと似ているという指摘に始まって、8月にはエンブレムを作ったデザイナーがデザイン監修した、サントリービールの景品トートバッグのデザインが海外のデザインと似ている(サントリーは景品の30種類のなかから8種類を発送中止)、などといった問題が出てきて、とうとう今日、エンブレムの使用中止ということになった。

ことここまでくると、もはや五輪という国際イベントに対する信頼信用が落ちてしまう。エンブレム使用中止なんて聞いたことがない。

当のデザイナー本人は「盗作をしたつもりはない」と言っているが、ではこの問題の責任はいったいどこにあるのだろう。彼を選んだのはなぜか? なぜここまで問題を大きくしたのだろう。

はっきりしないことばかりで、もともとわたしは五輪には反対だったしいまもその気持ちに変わりはないのだけれども、新国立競技場をめぐる騒動も含めて、五輪への興味がますます薄れてきた。

過去から何も学んでいないのでしょうか?2015/09/02 21:55:28

どこかで見たようなことがまた繰り返された、そんな気がします。

おかしいという声、反対意見がたくさん出ているのに、時の有力者におもねってか権威にすがってか、「いったん決めたこと」だからと、なかなか変えようとせず意見に耳を傾けず、結局どうしようもなくなってから「中止」「撤回」。
挙句の果ては、デザイナーも五輪組織委員長も被害者であるという言い方をしたり組織委員長がテレビ記者の質問に逆ギレしたり。

五輪エンブレム、新国立競技場、前の戦争の終わり方もそうでした。
過去から何も学んでいないのでしょうか?
いったい誰がこの問題の責任をとるのでしょうか。

安倍政権に欠けていると思うもの2015/09/03 17:01:28

安保法案「戦争まっしぐらは極端」 ヒゲの隊長が講演
http://www.asahi.com/articles/ASH934TRRH93OIPE01D.html?iref=comtop_6_06

思うに、安倍政権あるいは安保法制を推し進めようという人たちには、自分たちがどう見られているのかどう思われているのか、という自省内省に欠けているのではないだろうか。理解されないのは理解しないほうが悪い。「国民の命を守るため法的な隙間を埋めるのは当たり前。集団的自衛権が行使できるようになったら戦争まっしぐらなんて極端な批判だ」という言葉に、その一端があらわれているように思う。

なぜ理解されないのか。
ころころ答弁が変わる、すりかえがある、ごまかしがある。
だから信用されないし、いくら言っても理解されない。

今回の五輪エンブレムや新国立競技場をめぐる一連のてんまつもそうだけれど、だれも責任をとらない、他人事のような態度でいる。それでいて理念も考えもない政治や政策。理念や考えがあるというだろうが、薄っぺらい、なるほどと思われる次元ではない。
これではとても国民の一人として、国を任せられないと思う。

安倍首相の恩師も安保法案反対 閣僚の母校9割で廃案求める会
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0175302.html

いま一度、この国がほんとうに未来永ごう、美しい国だったと胸を張って言える国であるかどうか、言葉の美しさやごまかしに惑わされないように。
そしてわたしたちもまた、自省内省に欠けているのではないだろうか。「理解されないのは理解しないほうが悪い」とひとりよがりにならないように、自戒していきたい。

便利さゆえに自分のからだをこわしたくない2015/09/04 23:30:38

二つのメガネ
昨日のギターレッスンで、はじめてレッスン時にメガネをコンタクトと併用して使ってみた。
コンタクトだけだったら弦がぼやけたりにじんだりして見えていたのが、メガネをつけてみたらはっきりよくみえる。これはとてもいいとあらためて実感した。
しかしどんなにいいものでも、使い方を間違えると悪影響をもたらす。薬からこのパソコンからスマホでもそう。
コンタクト併用のメガネはスマホを使うときやギター練習や演奏のとき、仕事で小さい文字を読むときだけに限定して、それ以外のときは極力使わない。そしてコンタクトでも裸眼のときでも普通のメガネのときも、わたしの場合は老眼だから、遠くの文字を見るようにして目に負担をかけないこと。

先日も書いたように、スマホ依存以前に、スマホを使う時のからだや首の姿勢がかえってとんでもない悪影響をもたらす。
首はおよそ6キロの頭を支えているわけだが、うつむき加減の姿勢だと首にかかる負担が3倍にはね上がるのだという。
うつむいてスマホを操作している姿勢が長く続くと、首を通る自律神経が圧迫されて全身神経が病んでしまい、マッサージを受けてもよくならない、よくなりたいあまりに病院をはしごした結果、ヘタをするとうつ病になったり自殺を招いたり、という報告まであるのだそうだ。

7月に札幌に帰ったときにひどい肩こりや頭痛で夜間救急病院に駆け込んで翌朝も別の病院に行った経験から整形外科での診断を経て、姿勢矯正ベルトを使い、そしてコンタクト併用のメガネを使ってからは、肩こりこそあるけれども頭痛や吐き気ということはなくなった。
パソコンを打つときは前のめりにならないように気をつけているしスマホを操作するときはうつむいた姿勢ではなく、顔の位置に上げている。

そうやって健康やからだに気をつけるようになってくると、今度は周りにいる人たちがうつむきながらスマホをいじくっていたり、前のめりで操作していたり歩きスマホをしていたりするのが気になる。イヤホンやヘッドホンで音楽を聴いているのも、難聴にならないかなと気になってしまう。

なにもメガネを使ったり作ったりしなくても、ほんのちょっとのことで心身の不調は防げる。そして病院に行く必要もなくなる。
うつむいた姿勢でスマホをいじくらない。ほんのひととき、隣駅までの時間でもいいのだからスマホを使わないでいるだけでも違ってくるのではないだろうか。電車内ではイヤホンをつけて音楽や音声を聴かない。たったそれだけでも違ってくる。
便利な機器だけれど、機器にしばられてからだの全身不調から、自分の人生をこわすようなことはしたくない。

出番がわかりました2015/09/05 23:21:16

第10回コスモス朗読会
今年で第10回になる、コスモス朗読会。
当初わたしはラストと聞いておりましたが、今日のレッスンで第2部トップとわかりました。

ラストにならなかったのは残念ですけど、それは大きな問題ではないのだとも思います。
問題は、いかに聴こえない人にも聴こえる人にも手話がわかる人にもわからない人にも伝わる表現ができるかどうかです。

残り時間がだんだん少なくなってきますが、さらに気合と気持ちを入れて練習に励みます。

どうかみなさまのお越しを、こころからお待ちいたしております。

日時   2015年9月26日(土)
      13時開場 13時30分開演  
      第Ⅰ部  13時30分~
      第Ⅱ部  15時ごろ~
      第Ⅲ部  16時30分ごろ~

場所   下北沢「しもきた空間リバティ」
      井の頭線・小田急線下北沢駅下車 南口から徒歩3分
      ABCマートの上

演出を相談してきました2015/09/06 20:41:39

礼拝後、コスモス朗読会の会場であるしもきた空間リバティへ。
劇場スタッフ監督と、妻を交えて台本をはさんで朗読舞台の演出についていろいろ案を出したりご意見をうかがったりと充実したひととき。

そもそも今回『ラストレター』(さだまさし著)を読みたいと考えたとき、わたしは演出としてステージでラジオスタジオのような(それらしくみえる)ものもあったらいいなと考えていました。
けれどもやっぱり朗読舞台ですから、あんまり凝ったものに走りすぎるとかえってよくない。あくまでもわたしは声と手話で語る。
そう考えて、凝りすぎずしかしろう者にも聴者にも手話がわかる人にもわからない人にも楽しめるものにしたい。「ラジオ番組」という話の内容に合わせて、舞台のライティングや背景を使った演出で、話が伝わるようにしたいと思いました。

とてもすばらしい演出を考えてくださったので、当日の舞台が楽しみです。

帰ってから妻と買い物を済ませて、久しぶりにカレーライスを一緒につくりました。
今週はカレーづくしになるかも。

生きていく上での強さを養うこと2015/09/07 21:41:50

朝から一日、雨が続いた。台風17号、18号であすあさってが大変な天気になるかもしれない。

まもなくNFLの2015ー16シーズン、が始まる。
スポーツは勝者と敗者がくっきり分かれる、厳しい世界である。NFLともなるとプロスポーツだから、勝者には惜しみない賞賛、敗者には見向きもされない。

しばらく前、小学校の運動会の徒競走レースで順位を決めずに並んでゴールをしましょう、という意見が出た。ゴールで遅れてしまう選手が可愛そうだ、というのと、運動会では勝者と敗者を決める必要がないのだ、というのが理由らしい。

でも、と思う。
わたしのころはそんな意見はひとつも出たことがない。
5年生のころだったか、運動会で校舎の周りを3周するレースがあった。
足が遅いわたしは、当然ビリっけつ。レースが終了する前にたったひとり校舎の周りを走ってトラックに入ったとき、観衆から大きな拍手をもらったことがある。恥ずかしいやらちょっぴり誇らしいやらで、フクザツな気持ちだったが、けっしていやだとは思っていない。

スポーツだからどうしても優劣勝敗はある。なかったらそれこそおかしいし、スポーツではない。
ランニングや卓球は個人またはダブルスや団体リレーのようにチームでやるものもあるけれど、高校野球やフットボールのように団体競技はある意味、個人競技以上に勝ち負けにこだわるし、チームが力を合わせて勝つという目的に向かってまとまっていかなければならない。ひとりでもチームの方針や試合中のプレーで勝手なことをしたら勝利に結びつかない。プロであればなおさら。

けれどいつまでも永久に勝ち続けられるわけにはいかない。プロでもアマチュアでも同じである。
いつかは負ける日が来る。
勝ったときこそ、負けたチームや負けた選手を思いやる。自分たちもいつかは負けるときが来る。そのときに負けを受け入れられるだけの気持ちをもつためには、勝ったときにこそ思い上がらない、謙虚になるということが大事なのではないだろうか。

話を戻すけれど、ちょっと前に議論になった、レースで順位を決めずに並んでゴールをしましょう、というのは、平等をうたっているようでいてその実、勝ち負け以上の、生きていく上での強さを養うことにはならないのではないだろうか。
勝ち負けをこえた、相手や自分との戦いこそが、試合の結果よりも大事なことだ。
並んでゴールしたところで、いったい何の意味があるのだろう。

ふさおで宣伝をしてきた2015/09/08 23:17:48

ここしばらくずっと雨が続いている。明日は台風18号が東海地方に上陸するというから、関東地方も降雨が避けられないだろう。

仕事を終えて、2月にイベントでお借りした、居酒屋「ふさお」を7カ月ぶりに訪れてきた。食事をするのはもちろんだが、3週間あまり後のコスモス朗読会の宣伝、案内ハガキを拡大してミニポスターにしたものに加えて、ろう者であるわたしが出演していること、声と手話の両方で語ることを説明した小文を貼ってください、とお願いするためだ。
店内は掲示板のスペースがないが、男女兼用のトイレに、ASL講座や聴覚障がい、手話関係の講演会や野球大会などのミニポスターとともに掲示してくださった。
さらに、店を辞して出る30分くらい前に、会社かなにかの手話サークルだろうか聴者が6人ほど来店されて、お名前などうかがうことができなかったけれども、案内ハガキをA5大のコピーしたものを差し上げた。

朗読というと普通は聴者が出演者であり聴衆である。声だけでやるのであれば、また朗読というのは一般には声だけだと思われている。
でもろう者でありきれいに話せるわたしが、声と手話の両方で語ることに挑戦し続けている。聴者もろう者難聴者も手話がわかるわからない人も楽しめる朗読をつくりたい。
それゆえに、聴者もろう者難聴者も手話がわかるわからない人も、たくさん来ていただきたいと思う。

将来への希望を抱いた、楽しいひととき2015/09/09 23:38:29

仕事を終えるまでのあいだ、わたしは台風17号が東海地方に上陸して、日本海に抜けるまで一歩も会社の外に出なかったのだが、手話サークルに向かう途中、降ったり止んだり、それもいきなり激しい降雨に見舞われたりして、帰りの地下鉄もいつもより運行に遅れがあった。

安保法案。
何度も繰り返し書いているのだが、憲法違反ということと、審議を重ねれば重ねるほど、閣僚の発言が二転三転して、あいまいどころかわかりにくさが露見してしまう。

自然災害は人間の力ではどうにもならないこととはいえ、自衛隊を海外に送るなんてことより、国民を災害から守るということをせずに、自衛隊を派遣するなんて、しかも同盟国のために派遣するなんてナンセンスというしかない。国民が災害に遭ったときに守れずしてなにが自衛隊だろう、とも思う。

話を手話サークルに戻す。
いつもより終了時間を30分切り上げたが、今日はおばあちゃん、母親と一緒に幼稚園に通っているという女児がやってきた。
本来であればいきなり中級クラスでは難しいのだけど、指文字を使ったゲームを入れるなどして、楽しく学んでもらおうと企画してみたら、親子ともども楽しんでもらえたようだ。幼稚園児も大人も一緒に学ぶというのは、対象を絞りにくいからやりづらいといえばやりづらいけれど、あまり難しいことを言わず、子どもがかえしてくれる返事にあわせて目線を子どもに合わせること。

聞けば、「大きくなったら手話通訳士になりたい」という。
おおおおっ。
将来この子が大きくなって(ということはわたしがおじいちゃんになったころに)どこかの集まりで手話通訳士になった姿を見て「昔一緒に手話を学んだよね」というような話ができたら、いいよねえ。

暗いニュース、台風などいやな出来事ばかり続いただけに、この小さな手話を学ぼうとしている子どもに、将来への希望を抱いた、楽しいひとときだった。

思い出す あの日と同じ2015/09/10 23:15:54

昨日からの雨は日中を別にして東京都内はそれほどでもなかったけれど、ランチを終えて席に戻ってテレビを見たら、とんでもない光景が目に飛び込んできた。
鬼怒川が決壊して茨城県常総市はじめ栃木県などで大きな被害が出ている。

4年前のあの日を思い出した。
大きな揺れのあとでテレビから流れてきた、仙台空港が津波で小型飛行機などが流されたり家屋が流されたりした映像を。
そして今回の鬼怒川の決壊で水で埋まった河川沿いの町々の姿。どちらも現実のこととは思えないものだった。だが現実に起きた出来事なのだ。

自然の力はほんとうにこわいし、人間の力ではどうすることもできない。

それにしても。
被害に遭われた方々、家屋や財産を失った方々、家族が行方不明という方々に慰めといやしがありますように。