自分で自分をおとしめる存在にだけはなりたくない2015/10/14 23:12:19

能町みね子氏 「劣化」という表現はモノに使う言葉で不愉快
http://news.livedoor.com/article/detail/10704383/

ぼくも同感。
以前から考えてきたことだけど、ネットというのは顔が見えないから、相手への想像力が働きにくい。
この記事にもあるように、極端な言葉ほど広がりやすい、ということは、どれだけ相手を傷つけているか読む人に不愉快な思いを与えているかということがわかりにくいということでもある。
もしかしたらこういう不快感をもたらす言葉を書く人たちは、読む人の気持ちを察していないだけではなく、書くことで自分の気持ちが満たされる、自分は(劣化してはいないと)周囲より優れている、上なんだと思っているのかもしれない。いろんな不満や怒りを、だれかを遡上にあげて侮蔑することでカタルシス、発散したいのかもしれない。だがそれが、どれだけ多くの人に不快感を与えて傷つけているか、よく考えようとしないのかもしれない。いってみればひとりよがりの自分さえよければ、という思いなのかもしれない。

わたしだって正直、同世代の人を見れば「昔は若く見えたのに」と思うこともある。わたし自身を「だんだん物覚えが悪くなって」とか「ほうれい線が増えてさあ」とか自虐的な言い方をすることもあるけれど、それは聞く方もわかって笑ってくれるから不愉快な方向にはならない。

タブレットやスマホがそうだけど、手のひらでいとも簡単に世界中の情報が手に入り、あたかも全知全能のようにふるまうこともできる時代だ。だからこそ顔や声がみえない相手を前に、使っている書いている言葉がどれほど影響の大きいものなのか、使う前によく考えてみることだ。
ネット時代だからこそ、安易かつ極端なものの言い方に流されないように気をつけたい。
劣化なんて、モノじゃあるまいし。こんな言葉は人に向かって投げつける言葉じゃない。
自分の人間らしさを自分で捨てる否定するような言葉を使う、自分で自分をおとしめる存在にだけはなりたくない。