わたしたちは過ちを犯したのだ。2016/08/12 22:12:16

シリーズ戦後70年 障害者と戦争
ナチスから迫害された障害者たち (1)20万人の大虐殺はなぜ起きたのか
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/summary/2015-08/25.html

ショックは癒えたかと聞かれたら「癒えるわけないだろ」としか言いようがない、あの忌まわしい相模原の事件。
施設の全面建て替えか修復かという話もあるけど、建物どうこうではすまない。多くの人に深い傷を残した、それだけに怒りがいまだ消えない。

あの容疑者は「障がい者が生きていることが不幸なのだ」とあたかも障がいと、生きていることのふたつを不幸だと決めつけた。だがそれは遠い昔の話ではなく、たった71年前にも同じようなできごとがあった。
働く能力がなくて、治療の効果もないと見られた人はガス室で殺害されました。生きる価値がないとされて殺された人の数は20万人以上とも言われている。

何人が犠牲になったかという数字の真実性、何万人であったかなかったかということが引き合いに出されるけど、じゃ1人ならいいのか。片手の指で足りるならどうでもいいのか。そんなことはない。何人であろうが何万人であろうが、一人として生きる価値がないといういのちはない。

これはヒロシマ、ナガサキにもいえる。たった一発の原爆投下で、その年の終わりまでにヒロシマで14万人、長崎でも7万人が亡くなった。14万人には14万通りの、7万人には7万通りの人生があったはずだ。生きていたらどれだけの幸せがあっただろう、それをたった一発の原爆が全て奪い去ってしまった。永久に戻ることはない。
それと同じで、ナチスが障がい者を「生きる価値がない」として殺した人数にはその人数分の幸せがあったはずだ。生きていたらそれだけの幸せがあっただろう。それを「民族の血を汚し、金ばかりかかる価値のないいのち」と決める権利は誰にもない。わたしにもこれを読むあなたにも。

The Chaplain who Blessed the Hiroshima Bombers, Repents
http://www.redletterchristians.org/chaplain-blessed-hiroshima-bombers-repents/#sthash.5YSv3K67.dpuf
http://www.redletterchristians.org/chaplain-blessed-hiroshima-bombers-repents/

ミルトスの木陰で  広島原爆投下を祝福した牧師の懺悔 上の英文サイトの翻訳
http://rhythmsofgrace.blog.jp/archives/9277016.html

あのヒロシマの原爆投下を祝福した牧師がのちにざんげを告白している。そしてこう語っている。「あなたの戦車や武器に信頼を置いてはならない。神に信頼を置きなさい」

人間のいのちをいのちと思わず、効率だとか価値があるとかないとかいう二元論的な思考は、いまもなお消えていない。l

武器ではなく、神に信頼を置き、人間を敬うこと。
もう一度たしかめ合おう。わたしたちは過ちを犯したのだ。そこから立ち直る機会も神から与えられている。