8877歩から2008/01/01 22:03:15

2008年が始まりました。

休みになるとついついだらけてしまう。今日はバレンボイムの指揮になる、ベートーベンの「第9」を聴いてから一日がスタート。「第9」といえば年末からある本を読んでいる。「第九――世界的賛歌となった交響曲の物語」(法政大学出版局、ディーター・ヒルデブラント著、山之内克子訳)。原題はDie Neunte Shiller,Beethoven und die Geschichte eines musikalischen Welterfolgsという。

今日からまた旧新約聖書を、日課に従って読む。あわせて日課としたいのは歩数計をつけて歩く。ノルマを決めたわけではないが、希望としては最低一日1万歩。しかし今日は歩数計のカウンター表示が8877とあった。残念だけれど、ここから新たな思いで歩みをはじめよう。
「第九――世界的賛歌となった交響曲の物語」は人名索引も入れて498㌻にもなる分厚い書である。ゆえに今日明日で読後感などをここに書くことはできないが、おいおい、機会を見て書いてみたい。

そういえばおととし年末に見た「敬愛なるベートーヴェン」のDVDを購入したが未観のままになっている。早いうちに見たいものだ。……とまで書いて、いつリリースされるかわからないけれど昨年の朗読舞台のきっかけとなった「ドレスデン 運命の日」もDVDが出たら見たいと思う。

昨日の紅白で、一青窈さんの「ハナミズキ」に慶應大学の手話サークルの方がたがバックコーラスとして出演していた。
おととしの紅白でも手話で歌った方がいたのを覚えている。手話が広まってきたのだと強く感じる。聞こえなくても手で表す表現はときには力強く、ときには優しい。
一青窈さんが最後にマイクを置いて手話だけで歌った場面は、こちらもジ~ンと胸うたれた思いであった。
わたしも今年はさらに手話を使った表現活動に力を入れたい。自分が力を入れていなかったら伝わるものも伝わらない。

2008年最初の仕事とディナー2008/01/02 23:13:02

東京カレー屋名店会
今日は2008年最初の仕事。といっても誰もいない。がら~んとした職場で仕事をしているのはわたしだけ。

終わってから有楽町へ向かう。
昨年オープンした、「有楽町イトシア」という大型ショッピングモール内をゆっくり歩いてみた。昨年末大みそか夜にもなかを歩いてみたけれど、ほとんどのショップが早く店じまいしていて、ドーナツを売るお店だけがひらいていて、そこにはカップルや女性だけのお客さんが長い列を作っていた。さすがにひとりで入る勇気がなく、とぼとぼと(?)後にして帰ったのだった。

仕事明けの、つまり今年最初の仕事後の夕食は、「有楽町イトシア」内にみつけた「東京カレー屋名店会」というレストラン。
パンフレットによれば神田・神保町の「エチオピア」、銀座にある「デリー」、神田の「トプカ」、京橋の「ドンピエール」、本郷の「プティフ」、5つのカレーレストランが集結しているのだという。並んでいること並んでいること、いやあさすが国民食といわれるだけあるなあ。

いただいた本日のメニューは、欧州風チキンとインド風チキンのカレー。小さな皿にふたつのカレーがあり、それぞれを楽しみ味わうことができる。辛さは中辛。これで900円というのは安いと言うべきか高いと言うべきか。

ともあれ楽しみがまた増えた。
「東京カレー屋名店会」所在地は
東京都千代田区有楽町2丁目7番1号  有楽町イトシアB1 フードアベニュー  Tel 03-3211-0616   営業時間 11:00am~23:00pm

信じること2008/01/03 22:37:20

町に喧噪が戻りはじめ、地下鉄も混み具合が激しくなってきた今日一日。そりゃそうだ、帰省から帰ってきた人たちでどこも混んでいるからね。

ひとりで仕事をしていて、これからのことを思い考えてみた。
いまさしあたって心配があるとしたら、目の手術だろう。なんせ周りに斜視という人がいないのだから、ネットでいくら情報を得ることができても、不安は隠せない。

しかし、この不安に立ち向かっていかなくてはと思いを新たにする。
乗り越えられない苦難はお与えにならないのだから。乗り越えられるからこそ苦難を与えられたのだと信じる。
それだけではない。その向こうにきっと、思いがけないような喜びがあるだろう。

物騒な夢2008/01/04 23:59:43

あまりにも物騒な夢を見てしまった。
場所は空港。たぶん民間空港だと思う。で、複数のジェット機が飛ぶアクロバット飛行を見ている。そのうちにあれよあれよというまにクラッシュ、墜落事故を目撃してしまう……。

正月早々というのにこんな夢を書いてごめんなさい。

なんだろう。夢占いというのには興味がないのだけれど、なんでこんな夢をそれも一晩に2度も見たのだろう。

さて今日は仕事の後に区立体育館へ移動して、今年最初の卓球練習。
フットボールジャージを着て、相手がいないけれど黙々と。
いいんだよ。相手がいなくたって。集中力と意欲を失わなければ、相手が威いようがいまいが、気にならない気にすることはない。

140個の卓球ボールを50円で買った(笑)もともとは洗濯物を取り込むための折りたたみかごに入れて、最初は軽くフォアのサーブ練習。からだが温まってから徐々に台から離れて、フォアサーブ、バックハンドサーブ。次に一番苦手なツッツキというプレーを練習してみる。それも一番苦手な、卓球台の上から打つ。フォアハンドと同じように徐々に下がって打つ。

自分が集中していれば誰がいようが周りがどうであろうが、じっくり取り組むことができた。
まだ新しい年は4日しかたっていない。
まだまだこれからさ!

あたりまえのことをあたりまえと感じられること2008/01/05 23:50:26

モータースポーツというとわたしはどちらかというと、インディ500やF1といった、箱形ボディではなく、オープンホイールのフォーミュラーカーのレースが好きである。実際に観戦した経験が一度もないけれど、300キロ以上の常人では経験できないスピードで走る世界にひかれるのだ。

だがもうひとつ、ラリーも捨てがたい魅力があるのだろう。
そのひとつ、パリとダカールのあいだを走る、俗に「パリ・ダカ」と呼ばれるラリーレースは、年明けから話題になることが多い。
その「パリ・ダカ」レースが今年は政情や治安の不安から中止になるという報道があった。いままでも危険なことは何度もあったし、いのちを落とした人もいる。だが今回はアルカイダなどの国際テロ組織がテロを狙っているという。昨年フランス政府がリビアのカダフィ大佐を招いたこともあり、フランス政府の政策、ひいては欧州に対するテロというねらいがあるのだろうというのがもっぱらの見方だ。
直後になって「パリ・ダカ」の主催者が危険ルートのひとつ、サハラ砂漠を走らないと発言したという。だが砂漠を走るのがこのレースのポイントでありだいご味である。まして何度も現地を走ったことのあるドライバーなら、危険を冒してでも走行したいと思うに違いない。

なぜテロなのか。何でテロを起こさなければならないのか。テロをやっている場合か。
イスラム過激派には彼らなりの言い分がある。宗教的立場があり、イスラムに反する者への対抗としてテロを正当化する意見がイスラム教内にある。
けれどどう考えてもわたしはテロを容認できないし正当化も許されないと思う。

ひるがえって日本。
銃乱射事件などがあって体感治安が悪くなっているとはいえ、テロなどの脅威は身近には感じられない。まして国際テロ組織など、遠い世界の話と思うのだろう。
夏には北京五輪があり、アメリカ大統領選挙もある。いつどんな出来事が起きてもおかしくないのが、2008年の世界である。

今日も地下鉄車内は帰省から戻った人たちで混み始めていた。
帰省を楽しむ人たちがいる一方で遠い世界ではテロがある。
テロがなければカーレースが無事にひらかれる。テロを憎む。
あたりまえに平穏な生活をおくることのできる幸せを喜び、テロには断固としていかなる理由があろうともわたしは拒否する。
スポーツも手話も朗読も手話ソングダンスも、テロがあったら楽しむことも表現することもできないのだから。

疲れた一日2008/01/06 21:06:20

今年最初の礼拝に出席。けれどとても疲れてしまい、居眠りで船をこいでしまった。それだけならまだいいのだけど(どこが?)昼食で立ち寄った食堂で、なんと2時間も居眠りをする始末。ああ……。

肩こりがひどい状態だった上に、教会を出てから昼食の前に、喫茶店で教会の人と会話をして聞こえないわ、同じ内容の質問をされて会話を繰り返すわで疲れたのだろう。お相手の方には申し訳ないのだけれど、筆談も手話もできないから相づちを打つのが精いっぱい。とんちんかんな話を切り出すわけにはいかないし、場の空気を読んで会話をしなくてはいけないし。まったく無言でいるわけにはいかないし。
昨日夜にあった手話サークルの仲間とは、やはり手話でおしゃべりができて楽しかった。自分に合わせてくれとは言えないし言いづらいだけに、聞こえる人ばかりの集会や会に参加するのはどんなにすばらしい内容の会だろうと、どんなにすすめられお誘いされても、精神的にしんどい。
職場もそうだ。ま、職場は別におしゃべりができなくても仕事をやっていればあとはどうぞご自由に、と割り切っている。でも本音を言うと、筆談でもいいから話をすると気分転換になるのだけどね。

難聴者やろう者、あるいは手話通訳などがいる教会を考えてみる。

夜に、いつもお茶をのみに行っている、銀座の喫茶店へ。
休みにならない休日のなかで、これが今日一番、ホッとできたひとときだった。

聞こえないということ2008/01/07 22:52:06

昨日書いた、聞こえないということについてもう一度書いてみたい。

説教を聴くというのは、説教壇に上がった牧師からの、一方的な働きかけのように見えるけれど、聴きながらわたしたち一人ひとりが自らの内面と向き合う時間であるとも言える。しかし、わたしたち難聴者にとっては、聞こえないというただその一点だけでもしんどいというか苦痛です。信仰のあるなしではなく、聞こえないからどういう状況なのか、内容がつかめない。それが不安につながっていく。災害や事故の際にアナウンスがわからないのと同じような心理になります。

礼拝説教は一方的なものではないのだけれど、でもふりかえってみるとわたしも、一方的な会話をしていないかと自分をみつめて思います。
聞こえないから「うん」「わかりました」「そうですね」といった、聞こえる相手にしてみればわかっているんだかわかっていないんだか、という反応ととられる。わたしは「おっしゃることはこういう意味なんですね」と理解しました、といいたいけれど、「あなたのいうことはわかりました」という意味で、「わかりました」と言っている。
「うん」「わかりました」「そうですね」という答えを返すのは、わたしも本当はいやなのです。オウムがえしではなく、きちんといまの状況なり理解なりを相手に伝えたいのだけれど、場面によっては、「うん」「わかりました」「そうですね」という答えをしてしまう。それがかえって誤解されたり行き違いになったりして、ますます苦痛になってしまうのです。

おまけにわたしは聞こえる人と同じくらい明りょうはっきりと話せるから、なかなか難聴だということが伝わりにくい。ときに無口になってしまうのは、聞こえずに会話についていけないのと、普通に話せるから、へんなとんちんかんな反応をしてはいけない、と自己規制してしまうからでもある。

今日も、遠くに聞こえるような周囲の会話が苦痛になって、耳が疲れてしまいました。なんだろう。内容がわからなくても耳に入ってくる。それを適当に聞き流すには、補聴器を外すしかないのだけど、そうするとまったく聞こえないから、これまた苦痛です。
一番つらいのは精神的な疲れでしょう。階段を上り下りしたりビル内を歩き回ったりするのはまったく苦痛には感じません。聞こえないということ、周りに合わせなくてはという思いと「うん」「わかりました」「そうですね」という答えにみられる、単純な会話の繰りかえし。それらが一番疲れることなのです。
大事な仕事上の会話のほかにも、筆談でもいいから、苦痛にならないなにげない会話があると、それだけでずっとこころが軽くなるような気がします。

苦痛を超えて歓喜へ2008/01/07 23:18:15

今日衝撃的なニュースがはいってきた。
歌手の浜崎あゆみさんが、ご自分のファンクラブの会員制サイトに、左耳の聴覚をほとんど失っているのだと公表したのだ。

報道によると、ご本人の左耳はもう完全に機能していない。治療の術はないということだそうだ。しかしそれでもあきらめたわけではなく、「残されたこの右耳がいけるところまで、限界まで、歌い続ける。諦めない」と書いておられるという。

わたしはとくに彼女に詳しいわけではないし、ファンクラブに入っていないし、彼女のCDも持っていない。聞こえないからコンサートにも行ったことがない。けれど、報道にあるように、ファンのあいだで耳が不自由だといわれていて、今回の件が事実なら、浜崎さんをこころから応援したいと思う。

ベートーベンがそうであったように、芸術家にとって聞こえなくなるというのはどれほど苦痛であることか。彼が残した「ハイリゲンシュタットの遺書」と呼ばれる手紙にはこうある。
「耳が聞こえない悲しみを2倍にも味わわされながら自分が入っていきたい世界から押し戻されることがどんなに辛いものであったろうか。しかも私には人々に向かって『どうかもっと大きな声で話して下さい。私は耳が聞こえないのですから叫ぶようにしゃべってください』と頼むことはどうしてもできなかったのだ」

前の記事に書いたことだけれど、「わかりました」と返事をするのは適当にごまかすつもりはなくて、きちんと理解しましたよと伝えたいためなのだ。しかし周囲にはそうではなく、わかっていないと受け取られてしまうこともある。ベートーベンが「聞こえないから叫ぶようにしゃべって下さい」と言いたかった苦しみ。見た目ではわからない障碍ゆえに持つ苦痛。直にお会いしたことはないけれど、もし浜崎さんもそういう苦しみがあるなら、わたしはささやかながら浜崎さんの苦しみを理解することができる。なぜならわたしも聞こえないから。
5歳の時から聞こえなくなったわたしだけれど、トップシンガーでありまだ29歳という若さを考えても、耳が聞こえなくなったということがどれほど苦痛であるか、はかりしれない苦しみであることは、わたしにも察することができる。

「苦痛を超えて歓喜へ」
これは「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いてからのち、第9交響曲に至るまでベートーベンが追い求めたテーマであろう。
この言葉を、安っぽく受け売りのようなつもりでは理解したくない。
本当にどん底、もがきたくてももがけない、どうすることもできない苦しみの中にある人ならなお、こんな言葉をかけられてもうれしくないだろう。
けれど、ベートーベンは立ち上がった。
何ができるか、わからない。
けれど何かができるのだ。聞こえなくても何かができる。
だからそのただひとつ、何かができることを信じて、「苦痛を超えて歓喜へ」
たどりつくことができると希望を抱いて生きたい。

われ百万人の人に囲まれずとも2008/01/08 23:26:15

正月も過ぎたけれどイルミネーションの灯る街角である。
銀座を歩いていてみつけたイルミネーション。

ちなみにハウスやマンションの壁に大きなイルミネーションを灯す光景が数年前から見られるようになった。光熱費などは相当高いのだろうなと人ごとながら気になっているのだけど、先日ある人から聴いたら、これらハウスにイルミネーションをともす家を、「イエルミナウエ」と呼ぶのだそうな。家にイルミネーションを灯すから「家ルミナウエ」だとか。

はあ……(^_^;)。

あゆ、突発性の難聴 内耳障害ってどんな病気?
http://www.asahi.com/culture/update/0108/TKY200801080325.html?ref=desktop

昨日書いたことだけど、浜崎あゆみさんの難聴告白のニュースがいろいろなところで話題になっているようだ。
難聴についての理解や啓蒙が広がると、同じ難聴者であるわたしにとってもとてもうれしい。

わたしも強くありたい。
マッチョになるとか力を誇るのではなく、わたしの生きる源というか根源に、わたしではなくわたしを導き生かして下さる方がいるのだから。
百万人の人がわたしをみていないとしても、ただひとりキリストだけはわたしをみていてくださる。そう信じている。

雄々しくあれ。

湯たんぽ2008/01/09 23:01:02

昔はどこの家にもかならずひとつはあったと思うものに「湯たんぽ」がある。
エコロジー、環境を考える昨今、湯たんぽが電器店などで売れているそうだ。

原油高など、いろいろなところで生活物価が上昇している。そんなおりに売れているのは、昔ながらの生活の知恵に帰ろうということなのだろう。

子どものころ、湯たんぽをタオルでくるんで足元に置いて寝た記憶がある。
懐かしい………。