苦しいことはたくさんあるけれど2008/01/17 23:53:13

わたしも一度どころか何度も、生を投げ出したいなと思ったことがある。一度や二度ではない。学生時代にクラスメートを自死で亡くした。そのときにうけたショックは今も消えない。

毎日、新聞やウェブをみるとどこかで、人身事故や自殺、自死のニュースがとびこんでくる。そのたびに交通機関が止まったり何万人もの利用者に影響が出たりした、などの記事が出る。なんともやりきれない思いを味わう。

こんな報道が出る一方で、少子化、高齢化という問題に直面しなければならない。
人が生き生きと生きられる。生きている喜びを実感できない国は、独裁体制社会以上に息苦しい社会かもしれない。

札幌の教会で一度だけお目にかかったことのある、そしてわたしが教会に通うきっかけになった小説「塩狩峠」の作者、三浦綾子さんは「死ぬというのはたいへんな仕事だ」と書いておられた。どんな死を迎えるにせよ、その人の生き方のすべてが現れる。一度かぎりの大事な仕事なのだ。

13年前の阪神大震災では、発生直後から行方不明者の氏名や安否を気遣う記事が新聞で何日も掲載された。福知山線の脱線事故でも同じような報道があった。何年たっても、家族を亡くされた方の苦しみ悲しみは癒えない。そのたびに、亡くなった方はどれだけ生きたかっただろうと思いをはせる。

月並みなことはとても口にしたり書いたりできない。自死を選んだ人もそれぞれ、抱えきれない苦悩を味わっていただろう。それを軽々しくは言えない。

でもひとつだけ言える。
生きていく中でどうしようもない現実があるということの一方で、今は苦しくてもきっと、どこかでふり返ったときに、つらいトンネルをくぐり抜けたと実感できるときが未来にあると。

聞こえないからだだけれど、その聞こえないことさえも、何かしかの意味があるのだと信じて、あきらめずに生きていこう。