第10回コスモス朗読会2015/08/01 22:55:55

先月の2回目の「朗読のレッスン」を、北海道での「カルチャーナイト」出演参加のため休みましたが、今日のレッスンで講師からコスモス朗読会の案内ハガキをいただいて、ここでアップいたします。

日時   2015年9月26日(土)
      13時開場 13時30分開演  
      第Ⅰ部  13時30分~
      第Ⅱ部  15時ごろ~
      第Ⅲ部  16時30分ごろ~

場所   下北沢「しもきた空間リバティ」
      井の頭線・小田急線下北沢駅下車 南口から徒歩3分
      ABCマートの上 

今日のご指導で、いくつかアクセントについてと、場面転換で、トーンを変えて読むことを教えていただきました。

夜の手話サークルの仲間や手話通訳士先生らにも、このはがきを差し上げた。
8月は今日しかレッスンがなく、9月に2回合同のご指導があるだけです。練習を、手話と声の両方でしっかりやっておくことが大事であることは言うまでもありません。

みんなでつくりあげていく2015/08/02 23:14:38

暑い一日、今日は妻は朝から用事で。わたしは浦安教会へ、それぞれでかけた。午後から手話ソンググループ「虹の手」の、今月22日にある中難協手話サークル夜の
午後の予定が長引き、自宅に着いたときにメンバーがすでに到着していて、わたしは遅刻してしまい、大きな迷惑をかけてしまった。

3曲を予定している。「みかんの花咲く丘」「ふるさと」そして、わたしが練習している「心の瞳」。
手話表現を、まずわたしがやってみせて、それについてメンバーからの意見や考えを出し合ってもらって、一緒にやってみることにした。
手話ソングはろう者であるわたしのほかはみんな、講習会を受講中であるとかサークルに通っているとかいう聴者ばかり。だからといってろう者の手話がすべて正しいというわけではないし、逆に聴者だからダメ、というものでもない。
あるのはただひとつ、意見を出し合って自由にたたかわせて、手話をつくりあげていくこと。「虹の手」の「虹」には、多様ないろんな人、という意味合いも込めている。だからろう者であるわたしのギター、聴者のボーカルや手話があっていい。そういう構成であってもいい。

みんなでつくりあげていく。一番肝心なのは、わたしのギターだけ。

利己的個人主義????2015/08/03 22:35:59

昨日の、礼拝後の集会は「平和を考える」という内容で戦争体験者2人がご自分の体験談と思いを話された。

自民党の若手議員の一人、滋賀4区選出の2回生、武藤貴也氏がツイッターで、国会前で安保法正反対の声を上げている学生たちについて「彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ」と発言したという。このツイッターがネット内外で話題になっている。

戦争に行きたいと思っている人など、はたしてどれくらいいるだろう。逆にこの人に問うてみたい。では、ご自身は「行け」と言われたら真っ先に行くのでしょうか? まさか「自分は議員だから」といって逃げることはしないでしょうね。国会議員だけではないけれど、高い身分や地位を与えられているというのは、それだけの責任があるというものです。

もうひとつ、利己的個人主義という言葉。
個人主義にはたしかに利己的な部分もなくはない。むしろ利己的だからこそ個人を主張し個人を尊重するということも言えるのだけれど。しかし「戦争に行きたくない」というのは、はっきり言って当然の主張であり、当然のことである。誰が好きで人のいのちを奪いあるいは自分が奪われることを望んでいるのだろうか。

彼のブログにはこうあるらしい。「『基本的人権の尊重』について。私はこれが日本精神を破壊した『主犯』だと考えている。国家や地域を守るためには基本的人権は、例え『生存権』であっても制限されるものだというのがいわば『常識』であった。もちろんその根底には『滅私奉公』という『日本精神』があったことは言うまでも無い。だからこそ第2次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである」

滅私奉公というけれど、あの戦争からの生還者の体験談を聞くと、どんなに口では天皇のために、と言っていた兵士でも、死に際には「おかあさん」と叫んだ人もいた。みんながみんな滅私奉公であったのではない。

基本的人権が制限される? 生存権であっても? 冗談ではない。はっきり言おう。そんな権利を持つ人はどこの世界にもいない。国や政治体制がどうであっても、基本的人権は尊重されるべきだ。もちろん現実社会として、ロシアや北朝鮮などといった、悲しいことにそれらが尊重されていない国はあるけれども。しかし国家や地域を守るために基本的人権、生存権が侵害されてもいい、国家や地域が人権より上、という考え方はとても恐ろしいどころかまったく人のいのちを考えていない。あなたがそれを主張する自由を認めつつ、わたしはそれに断固反対する。どんな国家であれ人権がなかったらもはや、国家の体をなしていない。恐怖で人を縛りつけるだけの、生きづらいものでしかない。

「『基本的人権の尊重』という言葉に表された思想の根底には、国家がどうなろうと社会がどうなろうと自分の『基本的人権』は守られるべきだという、身勝手な『個人主義』が存在している。従って、国民は国家や社会に奉仕することをしなくなり、その身勝手な個人主義に基づく投票行動が政治を衆愚政治に向かわせ、政治は大衆迎合するようになっていった」

これも恐ろしい考え方である。
身勝手なというが、当然の、人としてのあたりまえの主張、殺したくない殺されたくないという主張を「身勝手」と言い切るだけの理由があなたにあるのか。身勝手な個人主義ではなくて、大衆をそのようにし向け、引っ張っていこうとした政治家や政党がいたからではないか。

結局、彼は敵をつくりだし憎しみをあおりたいのだということだ。
昨今いわれている「反知性主義」にも通じるようにも思う。

わたしはこの若手議員がこういうことを平気でいうことに、安倍内閣の本質を見た思いである。

姿勢矯正と水分補給2015/08/04 23:46:23

5日連続の猛暑日になった東京。これは統計が残る1876年以来過去最長だという。明日も全国的に暑さが広がり、金曜日(7日)まで続くらしい。

体調はいくぶん良くなったようだ。
というのは、今日、姿勢矯正のストレッチを教わって新たな方法を覚えた。先週教えてもらったのをずっと続けていて、首を回したり方を動かしたりして、まるで骨が折れたかのようなひどい音がしなくなった。
そのかわりふくらはぎが痛むなど、別の問題も起きているけれど、ストレッチをすることでからだがずいぶん楽になったのはたしかだ。

もうひとつ、連日の暑さで、水分補給がたいへんだけれど、ドリンクにちょっとした工夫をしてみた。

ポカリスエットというドリンクがある。
卓球練習のあとなどよく飲んでいるけれど、けっこうこれが甘い。カロリーが多いらしい。わたしはここ数年、缶コーヒーはまったく飲んでいないのだが、甘さという比較で言えば、2年くらい前の缶コーヒーと同程度かそれより甘さが強いくらいだろうか。
そこで、水で薄めてみることにした。たったそれだけのことだけど、ためしにやってみるとけっこうおいしいのだ。

あとは食事について。サラダとみそ汁をごはんに添えるといいらしい。

それにしても、この暑さ。
年々ひどくなってくるように感じるのだが、こんな調子でいったら、はたして、ますます熱中症などが広がっていくのではないか、と危ぐをおぼえる。

あたりまえであることの貴さ2015/08/05 23:57:10

とうとう、6日連続の猛暑日となってしまった。今週、少なくとも金曜日(7日)まではこの暑さが続くらしい。

昨日、NHK総合テレビで放送された「いのちのうた」(19時30分~20時43分)。

「いのちのうた」のなかで吉永小百合さんと、総合司会のKinki Kidsの対談で吉永さんが長年続けておられる、原爆をテーマにした朗読の話を話されていた。また、戦争を知らない、モーニング娘。’15のメンバーらの歌を字幕を通して見ながら、70年前のあの日のことを思いめぐらした。

NHKらしいつくりといえばらしいし、いろいろ批判はあるかもしれない。
しかし、わたしは、秋のコスモス朗読会やギター、手話サークルの納涼会、「虹の手」といった取り組みを通して、こういう活動が出来るのは、あたりまえのことではなく、平和だからこそできることなのだ、とあらためて強く感じた。

世界にはまだまだ戦争やテロの恐怖があって、それらがあたりまえになっている国や人たちがいる。そのことに思いをいたし、なんとかして憎しみや戦争をなくしたい、わたしたちも殺すこと殺されることなく生きたいと思う。
と同時に、こうして言いたいことが言えてギターが弾けて手話で話せるということは、実はあたりまえのことではないのだ、と感じるべきだ。

そのことを忘れずに、日々を過ごしたいと思う。

70年目の「ヒロシマ」と100年目の「甲子園」2015/08/06 23:30:24

70回目の「ヒロシマ」。
これまで3回、かの地を訪れたことがある。修学旅行と家族旅行、そして独身時代。

今日もギターレッスン。講師先生が『心の瞳』残りパートにTAB譜とコード譜を入れてくださる。だいぶ曲の流れがつかめた。まだまだ覚えなくてはならないことがたくさんあるけれど、ここまでのあいだでも講師先生から厳しいダメ出しを何度ももらいながらくらいついてきたのだ。どんなことになろうともあきらめたくない。なにより自分からやりたい覚えたいと言い出して始めたものを、途中で投げ出すのは嫌いだ。

100年目の「甲子園」が始まった。
出場回数36回を誇る、わたしの故郷、南北海道代表の北海高校は鹿児島代表の鹿児島実業と1回戦で対戦、4-18で負けた。でも負けたことより、一生懸命プレーしたことのほうが大事。
さらに感動したのは、元巨人・福岡ソフトバンクホークス監督の王貞治さんが始球式を務めたこと。
早稲田実ではエース兼主力打者として活躍。1年生だった第38回大会(1956年)から4季連続で甲子園に出場。2年生の時には春の第29回選抜大会で優勝投手となり、夏の第39回大会では無安打無得点試合も達成した。
高校時代の活躍もさることながら、プロ経験者が甲子園で、しかも始球式を務めるのは王さんが史上初。
75歳の王さんが左腕で投げた一投は外角ストライクでキャッチャーミットにおさまった。わずか6秒足らずの始球式を見て、言い表せない感動をおぼえた。なにせ王さんといえばわたしにとってあこがれなんてものじゃない、記憶にも記録にも残るすばらしいプレーヤーだから。
100年目と書いたが大会は今年で97回を数える。3年のずれはもちろん、太平洋戦争による中断があったからだ。戦争がなかったら、野球をやりたかっただろう、元球児のこともわすれてはいけない。

昨日も書いたことだけど、70年前のこの日は、とても「ギターを学びたい」なんて言える社会状況ではなかった。やりたいと言えてやれる。このこと以上の幸いはない。亡くなった方はやりたいといったとしてもできないやれない。その分も、わたしたちはやれる環境にあることの幸せをこころに刻もう。プロアマチュア問わず、スポーツ、文化芸術活動に取り組めるのは、平和だからこそ。そのことを幸せと思わなくてはならない。

『心の瞳』は納涼会にまにあうかまにあわないかは、いま時点では問題にしていない。
それよりも、やれることをしっかりやって、覚えて弾けるようになること。それが何よりも大事なのだから。
朗読も、まだまだ修正が必要だけれど、だいぶかたちになってきた。

手話のチェックやBGMを決める2015/08/07 23:14:20

猛暑日が続く東京。
わたしの故郷、北海道はというと、涼しいはずが札幌も暑いらしい。実家にはわたしの両親が健在だが、メールで聞くと「連日暑くてまいっている」という。
逆に、沖縄はいま涼しいというらしいから、まったくおかしな話だ。

今日も朗読『ラストレター』の手話表現をチェック、ご指導をいただいたり表現を変えてみたりした。
帰宅してBGMを妻に聴いてもらい、J・S・バッハの無伴奏バイオリンパルティータ第3番に決めた。

明日は新しい補聴器の購入と試用のため、都内へ行くあいまにひとりで練習をしたり台本を読み込んだりする。

この暑さ。いつまで続くのやら。

補聴器を試用する2015/08/08 20:49:05

朗読のレッスンがない、休日。昨日に比べたら、少しは暑さが和らいだような気もするけれど、やっぱり暑いことに変わりない。
そんな日の午後、新宿にある補聴器販売店に、新しい補聴器をお借りするために足をはこんだ。一週間試用させていただくことになっている。
デジタル補聴器はこれが2台目。わたしの耳の聴こえ具合にあわせた細かい設定をするため、試用するにあたってパソコンでデータを入力する必要がある。それは面倒といえば面倒なのだけれど、アナログ補聴器ではできない、生活場面や環境に合わせた設定ができる。
さっそく使ってみると、地下鉄車内のアナウンスがよく聞こえるなど、今使っているものより、いい具合だ。

購入は今月中か、遅くても来月初めになるだろう。使い慣らしていく必要があるうえ。コスモス朗読会にまにあわせなくてはならない。舞台での聴こえが、パフォーマンスにも影響していく可能性があるからだ。

妻にも説明したけれど、補聴器があるから完全に聞こえるとか、妻と同じ聴者と同じ聞こえ具合になるとかいうわけではない。
そのことを知ってもらうことも大事だ。

励み、ポジティブになるということ2015/08/09 21:38:34

メーカー販売店から補聴器を1週間のお約束で借用して初めての週末。
補聴器と一緒に、FM補聴器を持って行って礼拝で牧師につけていただいた。説教を聞き取るためであったが、結果は思った以上によく聞こえ、パソコンからスクリーンに投影された説教を読みながら、補聴器を通して聴こえてくる牧師の肉声とあわせて、よく理解することができた。
今週土曜日にお返しするが、もしこれが公的機関から判定を受けられたら、ぜひ朗読のクラスでも使ってみたいものだと思う。

懸案だったことがもうひとつ。
先月札幌に帰ったときに激しい頭痛と肩こりに悩まされて、実家の両親と妻に、休日救急病院に連れて行ってもらったことはすでに書いた。
札幌と東京で、肩こりなどの原因を調べてもらうようにと、整形外科へいくことをすすめられ、その診察で、骨格がややずれていること、会社で週1、ストレッチなどを教わっている。
今日、東急ハンズで、姿勢矯正のためのバンドを購入してきた。
完全に矯正されたわけではないけれど、いくぶんか姿勢が良くなったような気がする。補聴器だけではもはや音声を聞き取るのは難しいのだから、手話を覚えてコミュニケーションの幅を広げてから、生活に楽しみができたのと同じように、この矯正バンドを使いながら、ストレッチを覚えて家でも職場でも試してみることなどで、違ってくるのではないだろうかと思う。
朗読舞台ではまっすぐきれいな姿勢で立って、きれいな手話をお見せできたらいいなとおもう。そういう、励みになるというかポジティブになるというのも大事なことだろう。

妻と一緒に最近見ている、大河ドラマ『花燃ゆ』。
視聴率がどうの、主演がどうのと評判はかんばしくないようだけれど、今日の回ではセリフにいろいろ考えされられた。

かいつまんで要約するとこんな具合だ。
「子どもに先立たれた親は、ずっとずっと、子どものことを思うものだ」
「権力をもつというのは、人にふりかざすばかりではない。民が安心して身をゆだねられるかどうかだ」

安倍は、今日の70回目の長崎での平和祈念式典のあいさつで「非核三原則を堅持する」と言った。
3日前の広島では言及しなかったのを、被爆者団体や野党から批判されたのを受けてだろう。言い訳じみたのはミエミエである。もし本当にそう思っているならなぜ、3日前に言わなかったのか。5日にあった安保法制審議で、「法文上は核も運搬可能だ」と中谷防衛大臣が発言した直後だっただけになおさら疑念がわいた。

権力者だから何を言ってもいいわけではない。
むしろ逆に、国民から信頼される、この人なら大丈夫と思われるだけのものがなくてはならない。
わたしはハッキリと、安倍の発言には全く信用できないと断言する。国民として、信頼したいとは思わない。

じっくり時間をかけて治していきたい2015/08/10 23:38:38

さっそく今日から平日でも使い始めた、姿勢矯正バンド。
時間限定ではあるが、気のせいか姿勢が少し良くなったような。パソコンを見るときも前のめりにならず、キーをたたくのもピアノを弾くような自然な姿勢のまま。
とはいえ、気を緩めたらすぐに戻ってしまうような気もして、長い時間の積み重ねで悪くなったのだからそのぶんかそれ以上の時間をかけて治していけたら。
バンドに頼るというより、いろいろな方法を探って治していくことが大事。

各地で続いている、猛暑。
今日も熱中症で亡くなった方がいたと、ニュースで伝えられている。なかにはご高齢のかたが部屋で倒れたまま、数日たって見つかったという例も。
たしかに幼少時にはクーラーなんてなかったしモノがないのがあたりまえだった。耐えることを教わりしつけられてきたので、エアコンを使えと言われても、はいそうですか、とはいかない。そしてこれが一番の理由だろうと思うが、若い人とお年寄りでは、暑さの耐性が違う、皮膚で感じる暑さの感覚が違うのだ。
電車内で長そでのご高齢の方を見かける。冷房がきつすぎて長そででないと寒く感じるのだろう。そして外の暑さにも慣れない。からだが対応できないのだ。

医学的な予防注意を呼びかけることも大事だが、地域で見回り隊だとか、ご高齢の方を支えていくことも必要になってくるだろう。切れてしまった、地域の人と人のつながりをもう一度結び直すのは、都市部になればなるほど容易ではないのは理解しているが。
いまが瀬戸際なのかもしれない。