声だけではなく手でも「語らせる」2011/05/24 23:39:44

手話つき朗読『鬼平』の手話訳づくり。

日曜日につくった実質決定稿の台本を先生とわたしで検討したり意見を出し合いながらすすめているこの作業。うまく表現できないときもあるけれど、やっていてとても楽しい。

ほかの舞台出演者のみなさん、つまり一緒に学んでいる仲間はみな、聴こえる人ばかりだ。手話はいらない。けれどわたしは聴こえないけれど話せる。手話と声で演じ表現する。
今日のポイントは、手話訳、表現はもちろんのことだが、以前にも書いたように、登場人物になりきって、会話の場面でいかに自然に語るかということだ。
朗読とはなんだろう。ただ文を読むことだろうか。いや、文の中にある、書き手の思いや意図を読み取り、登場人物の性格をつかみ、なりきって読む。しかしオーバー、感情過多になってもいけない。

声と手話でやるということは、声の表現を感情過多になり過ぎないように注意しつつ、舞台では日常会話のそれとは異なる、大きな動きで表現する。言い換えると、声に頼りがちな、感情の込め具合を手話による演技で埋めるというか補うというか、手でも「語らせる」、そういうことになるのではないだろうか。

今日出し合ったなかで、「すると、亀吉の顔が凍りついたように変った」「がっくりと肩を落し、亀吉がうなだれた」というくだり。ここはナレーションである。会話ではない。が、手話でそのまま表現するのではなく、前者はひきつった表情を。後者はうなだれた表情で。ナレーションの代わりに、台本の情景を演じることで、「語らせる」ことだ。

まだまだ手話訳づくりは続く。
早ければ来月から、本格的な表現の練習に入る。