Stand Up! JAPAN2011/05/01 23:15:55

礼拝を終えて、書店でアメリカンフットボールの雑誌を4冊購入してきた。震災後手にするこれらの雑誌には、NFLの労使交渉やロックアウトのいきさつから現時点までの情報とともに、7月にオーストリアで開催される、アメリカンフットボールワールドカップ大会に出場する日本代表をめぐる話題なども掲載されていた。

今年1月のライスボウルを手話を教えてくださる先生と一緒に東京ドームで観戦したときは、まさかその2カ月後にこんな出来事が起こるとは夢にも思っていなかった。
震災による被害は東北にある大学のアメリカンフットボール部も例外ではなく、人工芝練習場が液状化になって使用できなくなったり部員や家族の中に被災者が出たりするなど、たいへんな状況らしい。
ワールドカップ開催国のオーストリアはじめ参加国からも日本協会に「参加できるのか」という問い合わせやお見舞いの言葉などが寄せられていると聞く。

ついこのあいだ仙台でサッカーJ1、ベガルタ仙台とプロ野球、東北楽天ゴールデンイーグルスがそれぞれ試合を行い、ともに勝って宮城県はもちろん東北にうれしい知らせをもたらしてくれた。

とはいえ、現実はまだまだ深刻な状況が続くことに変わりはなく、むしろたいへんなのはこれからだ。

スポーツが人のこころを動かし、がんばろうという意欲を持つにいたるまでには、やっぱりそれ相当の時間経過が必要だ。
これからのたいへんなときにこそ、スポーツや芸術や、直接ではなくてもいろんなかかわりで多くの人が勇気づけられるに違いない。

今日購入したアメリカンフットボールの雑誌には、「Stand Up! JAPAN」とあった。「がんばろうニッポン」もいいけれど、立ち上がるという意思表示が込められていてすなおにこころにはいってくる。

朗読劇『私のなかの消しゴム』2011/05/02 21:48:35

今年の朗読舞台は「鬼平犯科帳」から『鈍牛』とすでに決めているが、いつか読んでみたい台本が現れた。
『私のなかの消しゴム』。

これは映画にもなったのでご覧になられた方も多いことと思う。
ひとりで読むのではなく、二人でコンビを組んで読むのだろうね。だとしたらパートーナーは手話もできる人がいいのかもしれない。

連休のあいだにいくつか読みたい本やまだ観ていないDVDがある。
せっかくの機会だからね。じっくり読んでみたいものだ。

耳が聞こえません 手話ができます2011/05/03 22:40:45

Yellow Helmet 防災ヘルメット
3・11から、わたしの生活や人生観が変わったような気がする。……どう変わったかはまだわからないけれど、生かされているいま、生きているこの有限の時をどう生きたいか、という一点に意識が向かっている。

そんななかで、4月に注文した防災ヘルメット2個が今日自宅に届いた。

見てお分かりのように、難聴者やろう者を示すシンボルカラーである黄色に、ひたいの部分に耳マークを。両サイドに「耳が聞こえません 手話ができます」と文を入れて、これをかぶっている人物が耳が聞こえないことと手話がわかることの2つが伝わるようにしてみた。

だが、手話通訳士にお見せしたところ、悪くはないのだけれど、とアドバイスをいただいた。
まず、ひたい部分の耳マークだが、真後ろからでもわかるように後頭部にもつけたらよい、という。
次に両サイドの文だが、かならずしもこれを読んだ人が、ヘルメットをかぶった人間は耳が聞こえないということを理解してくれるとは限らない。2つ目の文、「手話ができます」という文につられて、手話通訳士と勘違いしてしまう恐れがある、というのだ。なるほど。

ろう者や難聴者のなかでこういったヘルメットをつくるなどの取り組みをしている人がいるだろうか。わたしのまわりでは知らない。
今回ヘルメットメーカーに注文したときにこれらのアイデアを出したさい、メーカーから「障がいのある人のためのヘルメットということに気づかなかった」とご返事をいただいた。
ヘルメットに文字を入れることについては表面を傷つけたり法律で定められた強度を弱めたりすることのないように注意しなければならない(ヘルメットの耐用年数および交換時期も3年から5年がめどだそうだ)が、全日本ろうあ連盟や全日本中途失聴者・難聴者協会などで、ヘルメット製造業者と協力して、ヘルメットなどに貼付できるシールなどをつくってくれたらいいのにと思う。

あれだけの大震災のあとだ。1年後、数年後に大きな地震が起こるかもしれない、といわれているときだ。
一番の願いは、これをかぶって避難するという日が来ないこと。

4カ月の長丁場がはじまった2011/05/04 23:22:06

2011年9月17日、下北沢の「しもきた空間りばてぃ」でひらかれる、2011年コスモス朗読会。
声のご指導は7月からの朗読クラスで始まるが、2カ月前の今月から、手話訳づくりの取り組みが始まった。

手話訳づくりがたいへんな作業だが、だからといってわたしは毎年の取り組みをいやだとも苦痛だとも、これっぽちも感じたことはない。
まだ2ページ半しか手話ができていないが、手話に直すとどうしてか、台本覚えが早い。逆に言えば台本を覚えるには手話に直すというのが一番いいのかもしれない。手話訳は舞台本番直前まで細部を直したり時代に合わせた訳にしたり。検討を何度も積み重ねる作業も楽しい。

わたしのねらい、願い、コンセプトは「聴こえる人にも聴こえない人にも楽しんでもらえる朗読舞台」。
手話でやるだけなら日本語対応手話がいいのかもしれないが、それだとろう者が楽しめない。できるかぎりろう者が使っている日本手話もしくは日本手話に近い表現でやりたい。もちろん手話のわからない聴こえる人にも楽しめるように、声をつける。だが、声と日本手話をシンクロさせて演じるのはかなりの難技である。日本手話と声を合わせるためには、間合いや顔の表情などの演技力も必要だ。
今回の『鬼平犯科帳』は原作者である池波正太郎さんの原作を生かしつつ、不要なところや説明部分をばっさりカットして、ストーリーがわかりやすいように脚色工夫してみた。もちろん現代にはない言葉もあるから、それらをどう手話で表すかも課題である。

ともあれ。
「聴こえる人にも聴こえない人にも楽しんでもらえる朗読舞台」。
わたしが楽しみ一生懸命演じるのはもちろんだが、何よりも聴こえる人にも聴こえない人にも楽しんでもらえるように、言い換えればわたしのためではなく、聴こえる人・聴こえない人、どちらにとっても意味のある舞台にしたい。わたしが楽しみ一生懸命いのちをかけて演じることが最後にくればいい。みんなのためが一番。わたしが楽しむことは最後に。

春のフットボール チャリティーマッチ2011/05/05 22:25:04

ボールティーに置かれたフットボール
春のフットボール……社会人チームは例年なら6月に開催されるパールボウルに向けたトーナメント大会の時期だ。今年はそれらを中止する。5月いっぱいでひらかれる東日本交流戦を終了した後、7月にオーストリアで開催されるワールドカップのために国内から日本代表選手を選考し、選考後もキャンプや合同練習などでチームをつくっていかなければならないためだ。だが日本代表候補選手がいるチームにとっては技術向上も大切なこと。

今日、連休最終日に川崎球場へ、東日本大震災チャリティーを兼ねた早稲田大学ビッグベアーズ対アサヒビール・シルバースター戦を観戦に行ってきた。試合は45-14で早稲田大学が勝った。

強風と寒さで観戦するにはつらかったけれどフィールド上の選手たちはライスボウルからまだ4カ月しかたっていないのに熱い戦いを見せてくれた。
シルバースターは2Qまでの2つのタッチダウンとTFP(キック)しか挙げられず。QBが交代した後半も50ヤードラインを越えるいいオフェンスをみせてくれるのだけれど詰めが甘いのか、パスがインタセプトされるなどちぐはぐな印象だった。
勝った早稲田大学はパスよりもランに重点をおいたオフェンス。きっちり攻守ラインが社会人ベテランぞろいの選手を抑えていた。
今秋のシーズンをへて来年のライスボウルに早稲田大学が出場してもおかしくないとわたしは思う。

東京に原子力発電所を造るっていうんなら2011/05/06 21:24:46

大震災後、東京ドームで開催されたプロ野球、阪神-巨人戦は通常より電力を落としているが、フライ打球を見誤って落としたケースがいくつかあっただけで、選手からは大きな不満の声は出ていないらしい。
そもそも、フットボール観戦で訪れたときも、なんであんなに明るいのかなあと疑問にさえ感じていたほど。もとから明るすぎて慣れていたのが、電力を落としてみたら明るすぎたことに気がついたのかもしれない。

総選挙はとうぶんこの先はない見通しだけれど、連休明けからまた永田町がきな臭くなってきたという報道もある。
もし今後国政レベルの選挙をやるのなら、争点のひとつにしてほしいのはエネルギー政策だ。

今回福島原子力発電所が事故をおこしたことで、スリーマイルやチェルノブイリといった遠い国のことではなく身近な問題として意識されつつあるだろう。
ほんとうに原子力発電所をすすめたいなら、そしてそれがどうしてもなにがなんでもすすめたいなら、東京にこそ造るというくらいの議論がないとね。避難してきた住民が「あんたもここに住んでみたらわかるよ」と東京電力の社長に言ったその気持ちはわたしたちにも向けられているといえないか。
いつまでも地方に負担を押しつけてばかりではいけない。

手話で語るということは2011/05/07 23:07:36

午後の朗読のレッスン。
指名された個所の中に、「朝帰りにはもってこいのいい天気だね」という短いセリフがあった。ここは棒読みではつまらない。遠くを眺めているような、まぶしい太陽を見つめているような、そんな感じで読む。

手話もそう。
日本手話で読む『鈍牛』だが、そこにいない人や情景を描きながら読むのは、声だけだとうまく伝わらない。
手を動かし、手話で語る。手話で語るということはあたかもその場面の中にいるかのように語ることでもある。
顔の表情、語り手や登場人物の気持ち。これらにいかになりきって演じるか。

だから手話つき朗読が楽しい。

卓球練習2011/05/08 23:39:34

気温が上がってワイシャツも半そで、スーツは夏ものに替えた。
で、今日は礼拝後に卓球練習に行ってきた。からだを動かしていると気分転換はもちろん、気合いも入る。

明日の手話つき朗読に向けてもいいスタートになった。

情景を描くように2011/05/09 23:16:42

手話つき朗読『鬼平犯科帳』の手話訳づくり、2回目。

時代劇だから言い回しや単語など、現代日本語でふさわしいものをみつけたり組み合わせたりしていくしかない。こういう作業もまた、おもしろい。
たとえば同心、目明し、下男という言葉。いまだったら部下、仕えている、といったほうがしっくりくる。

今日手話訳づくりの作業をしていってあらためて気をつけるべき点は、複数の登場人物を分けて表すこと。言い換えれば、平蔵、同心(田中、酒井)、亀吉、目明し(源助)、安兵衛、という登場人物が同時に出てきたときにどう表すか。顔やからだの向きを変えたり手の位置を上下で変えることで登場人物の位置役割をはっきりさせる。また、気持ちを込めて、登場人物になりきる場面とナレーターの場面とをわかりやすくすること。

朗読とはいえ、演劇でもある。ナレーター、6人の登場人物を演じ分けなければならない。
とてもやりがいと楽しみを感じる、今回の取り組みだ。

もし今夏が厳しい暑さになったなら2011/05/10 23:04:48

仕事を終えて久しぶりに地域の手話勉強会に参加してきた。会場へ向かう途中の地下鉄車内は、まるで蒸しぶろのような暑さ。まだ5月だが、昨日浜岡原発の停止が伝えられ、今夏の気温によっては大規模な停電もありうるという報道さえあるなか、冷房も切られ節電で暗い地下鉄車内や駅を歩くのは、耐えがたいことだろう。

手話勉強会が終わってから仲間と飲むノンアルコールビールは格別にうまかった。
明日も別の手話サークルがある。