「マデンののろい」2011/01/10 23:50:01

成人の日の今日、気温は7℃という、冷え込みの厳しい一日。
とはいえ、早くも日本のプロ野球はユニホームこそ着ないけれど各選手ともキャンプに向けてからだづくりからトレーニングに入っている。

朝入ってきたニュースで驚いたのは、NFLワイルドカード・プレーオフ。
昨日のインディアナポリス・コルツがニューヨーク・ジェッツに負けた試合に続いて、ニューオーリンズ・セインツがシアトル・シーホークスに負けたという。両チームともに昨年の第44回スーパーボウルに出場したチームだ。
余談ながらフットボールのプレイステーションゲーム「MADDEN NFL11」のパッケージ表紙がニューオーリンズ・セインツのQBDrew BREES。このゲーム「MADDEN NFL」の表紙を飾ると何らかののろいがあるという話があって、たとえばフィラデルフィア・イーグルスのMichel VICKは表紙を飾った直後に闘犬疑惑のため収監された、という具合に、ゲームの表紙に出るのは評判があまりよくないらしい。別名「マデンののろい」とも呼ばれるとか。
案の定というか、現地時間9日、ニューオーリンズが負けたという話はすぐにこののろいを思わせた。

すべての聴覚障害者に情報アクセス・コミュニケーションの権利を!2011/01/11 00:08:40

ちょっと長くなってしまったけれど、要するにわたしたち聞こえない人たちに、普通のあるがままの人間として大切な、情報アクセス・コミュニケーションの権利を保障してほしいというのがねらいだ。

2日前にNHKのドキュメンタリー番組で野球の審判のゼスチャーが手話から来ている、という話を紹介した。これには異論もあってはっきりした結論が出ていないのだけれど、ともあれメジャーリーグという世界最高の野球で聴覚障がい者がプレーしていた事実。それは否定できない。
わたしがかかわっている東京都中途失聴・難聴者協会や社団法人 全日本難聴者・中途失聴・難聴者団体連合会、財団法人 全日本ろうあ連盟などが内閣総理大臣や衆参両院議長にあてて「すべての聴覚障害者に情報アクセス・コミュニケーションの権利を保障する法制度の実現を求める要望書」を提出する。
この要望書の中には

1 手話を「言語」として定義すること。障害者基本法や障害者差別禁止法において「言語」「コミュニケーション」「情報」についての定義や権利規定を明記し、情報やコミュニケーションを保障する法整備をおこなってほしい

2 法整備にあたっては情報・コミュニケーション施策の基本となる「情報・コミュニケーション法(仮称)」を創設してほしい

3 「総合福祉法(仮称)」の制定において、すべての聴覚障がい者が必要とする福祉サービスや相談支援、当事者支援事業をコミュニケーションのバリアなく受けられる環境を整備してほしい

以上、3点からなる。

はじめに書いたNHKのドキュメンタリー番組では、アメリカのロチェスター大学の先生が登場する。この大学には手話を言語として研究する研究所があるという。日本でも社会福祉法人日本手話研究所というのがあって手話についての研究や新しい手話表現などに取り組んでいるという。サイトはこちら。

http://www.com-sagano.com/jisls/

でもまだまだ言語として認知されたわけではない。

ますます高齢化がすすむこの国にあって、情報・コミュニケーションの重要性は増すばかり。会社・職場でも教会でも手話のできる人が増えてほしい。
アメリカがすべてではないけれど、しかし彼らから学ぶこともまた大きい。
わたしも声を大にして、すべての聴覚障害者に情報アクセス・コミュニケーションの権利を! と叫びたい。

タイガー・マスク2011/01/12 17:05:39

昨年末から今年に入って、群馬や岐阜、静岡、沖縄などの児童施設にランドセルを寄贈するなどの贈り物が相次いでいる。それも『タイガー・マスク』に登場する主人公、伊達直人の名前をかたって、だ。

ご存じない方のためにご説明すると、『タイガー・マスク』は1968年から71年まで「ぼくら」「ぼくらマガジン」などの少年雑誌に掲載されたプロレスを主題にした漫画である。直後の1969年10月2日から71年9月30日までテレビアニメでも放送され、わたしは北海道帯広市であった『タイガー・マスク』ショーを見に行った記憶がある。マンガ版よりアニメ版のほうが単なるスポーツマンガというより人間ドラマに描いている。
このアニメの主題歌「ゆけ! タイガー・マスク」と「みなしごのバラード」も好きなアニメソングのひとつ。最近のアニメソングと違ってテーマ、メッセージ性がしっかりしているし何を訴えたいのか言葉もはっきりわかる。

で、話を戻す。
こういう時代だからだろうか、ささくれだった、不寛容と自己主張の激しい世のなか、はたまた福祉政策に不満があるからだろうか、伊達直人の名前をかたっての行為が話題になっている。

わかるけれど、いや誰なのかわからないけれどこういう行為をする人の善意を否定したり非難したりする気はない。けれど美談だけが先走ってしまうのは本末転倒というかおかしいのではないか。美談が話題になるという世の中がとてもさびしく感じられる。
こんな世の中はどこかおかしいと思うのだが。

じっくり時間をかけて あせらずにゆっくり2011/01/12 22:17:44

仕事のあとで、千代田区にある手話サークル「一麦会」の定例会に参加、ゲームの進行を担当する。ゲームはクロスワードパズルをつくった。あんまりにも簡単すぎてつまらなかったかもしれないね。会の名称はわたしの好きな聖書の言葉「一粒の麦」から来ているわけではないだろうが、とても気に入っている。じっくり時間をかけて手話を学び続けたい。

昨年の朗読舞台でわたしの前に舞台に立たれた方から、はがきをいただいた。
聞こえない人も聞こえる人も、舞台を楽しめるように、朗読やソングダンスの発表会を実現させたい、ということに共感してくださる内容だった。こういうご返事をいただけたことが、今日一番うれしかったことだ。

じっくり時間をかけていけば、きっと誰かが見ていると信じている。
あせらずにゆっくり歩みをすすめよう。

生き物だから面白い2011/01/13 00:06:14

言葉というやつは、実に面白いなとあらためて考えさせられた。
というのは手話表現で新しい表現を覚えたのだけれど、昨日の手話サークルの仲間とその話が出たときに、わたしが表した新しい表現がまったくわからなかった、というのだ。

「旅行」という単語である。
わたしは2通りの表し方を知っている。①左のてのひらのわきで右の人差し指と中指を回す②両手の人差し指を頭の前後で交互に振る

①は、蒸気機関車の車輪の動きから、というのが語源だ。②はもともと「遊ぶ」という言葉だったのが派生している。

ところが『「新・手話教室入門対応」 実用手話単語集』によると、両手の人差し指を前に向け、同時に弧を描きながら左右に振る、という。

はて……これで「旅行」だとわかるだろうか?
たぶん推測だけれど、バスのワイパーか、手漕ぎの船のオールかなにかが語源由来ではないかと思うが、しかしそうだとしてもピンとこない。
……こうやって毎年つくられた新しい表現も、定着するのはわずか10%くらいだとか。

聞こえる人の世界をみても、言葉のはやりすたりがある。たとえば毎年暮れに発表される「流行語大賞」をみるといい。あっというまに広がり知られたはいいが、使われなくなったり記憶にさえ残らなくなったりした言葉のほうがずっと多い。2010年は「~もっている」「AKB」「女子会」などという言葉が話題になったけれど11年はどうだろう。年末にまたこのことで書いてみようか。ともあれ、言葉も生き物であり面白い。

結局は、言葉を作るのも使うのも人間しかない。人間だからこそ言葉を持ってコミュニケーションを図り、口や手で会話をする。コミュニケーションのなんとすばらしいことか。
せっかく聞こえないからだに生まれたんだから、手話をもっともっと覚えて豊かなコミュニケーションの世界をつくりたいものだ。

『鬼平犯科帳』から 「鈍牛」2011/01/14 23:55:38

仕事帰りの途中、本を探しに本屋へ。いつものように重い荷物をそばに置いて、つらつら読んでみた。
ふと目に入ったのは『鬼平犯科帳』。そのなかの作品「鈍牛」と「瓶割り小僧」が収められている、さいとう・たかおさんのマンガだった。

昨年のいつかにもここで書いたように、長谷川平蔵という実在の人物を取り上げたこの『鬼平犯科帳』。最近の時代劇小説もいいけれど、池波さんの作品はとても味があっていい。
ストーリーは、こうだ。

冬から早春にかけての江戸は、関東名物の空っ風もあって火災を呼びやすい。ある日、深川で放火があった。長谷川の部下、同心の田中貞四郎は、その放火犯と疑われる人物を捕らえた。江戸時代、放火は極刑に値する犯罪だった。放火犯には焼け跡そばの路上で3日間さらし者にされたのち、火あぶりの刑が待っている。
だが、その容疑で捕らえられさらし者にされた、深川の菓子店、柏屋の下男・亀吉を見る町の人からは、罵声やののしりではなく、同情の目や言葉が出るばかり。
別の部下である同心・酒井からの説明を聞き不審に思い、酒井とともに路上の亀吉を見、市民の声をそばで聞いた鬼平は、この事件を取り扱った南町奉行所に行き、奉行に処刑を3日間だけ延ばしてほしい、と懇願する。そして柏屋を訪れ、店の者に亀吉の身の上や事情を聞き、その過程で、思いがけないことを知る。だが処刑は刻一刻と迫ってくる……。

以前読んだことのある「鈍牛」を再読してみて、これを舞台でやってみようか、という気持ちがわいてきた。
いくぶんセリフに時代がかった言い回しがあるけれど、大部分は現代語で通じる。
マンガではなく、池波さんの原作を読んでみて、どうしてもこれだ! という思いがわきあがってくるなら、8ヵ月後の9月17日の舞台では、この珠玉の作品に挑戦してみたい。初めての時代劇小説を、もちろん手話と声の両方でやりたい。

実り多いひととき2011/01/15 23:16:56

今日から朗読のレッスン、2011年最初のクラスが始まった。テキストは平岩弓枝さんの『女櫛』から「たんぽぽが咲いた」。

向島で無宿人同士のけんかがあり、巻き添えで青菜を売りに来ていた男性が殺害された。誰がやったのかおおよその見当がつく。殺された男性には妹があり、すでに二親はこの世の人ではない。孤独の兄妹に降りかかった不幸。残された妹は兄の敵討ちを願い、殺した相手を捜し求める。そうこうするうち、妹はある年老いた夫婦の世話をする。その夫婦は、実は兄を殺した男の両親だった。被害者と加害者の関係を超えた、不思議なこころの通い合いが芽生えていく――。ざっとこんなストーリーだ。

なるほどねえ。時代劇といってもいろいろさまざま。
このテキストを読んでいって、いろいろ感じたことがあるが、おいおい書きつづることにする。

終わって朗読の仲間と喫茶店で会話を交わす。話題はいまの民主党政権、都知事、朗読台本、親子のコミュニケーション論、と多岐にわたった。実に実り多いひととき。

もっと居心地良くまとまりのある世界に2011/01/16 22:15:22

今日亀有のリリオホールであった第25回中途失聴者・難聴者の集い。

盛り上がったけれどあまり楽しめたという感じはしなかった。
それよりも疲れたね。

みなさん、たいへんおつかれさまでした。

話題を変えて。

いま、NHKオンデマンドで、以前ここに書いたBSドキュメンタリー「知られざる審判の伝説」を見た。
そのなかで少年野球だろうか、耳の聞こえない白人少年がチームメートに手話を教えている場面が出てきた。彼が言う。「手話を覚えてくれることでチーム内にまとまりができた」

無理強いはできないし押しつけもあってはならないが、わたしにとって欠かせないコミュニケーションは手話だ。
職場でも教会でも、手話を覚えたい、学びたいという人が増えてくれたら、もっと居心地良くまとまりのある世界になるだろうにね。

スーパーボウルまであと1勝2011/01/17 23:01:22

夕焼けと富士
現地時間16日(日本時間17日朝)、NFCとAFCの地区プレーオフがあり、NFCはChicago BEARSがSeattle SEAHAWKSを35-24で下し、AFCではNew England PATRIOTSがNew York JETSに21-28で敗れた。前日のNFC・Atlanta FALCONはS21-48でGreen Bay PACKERSに負け、AFC・Pittsburgh STEELERSが31-24でBaltimore RAVENSを下した結果とあわせて、来週に開かれるNFCとAFCのチャンピオンシップはChicago BEARS-Green Bay PACKERS、Pittsburgh STEELERS-New York JETSと決まった。
2週間後の第45回スーパーボウル(テキサス州アーリントン、カウボーイズスタジアム)はどこが出場するのだろう。

子どものころあこがれたのはRAIDERSを別にすれば、黒のヘルメットとジャージが男らしかったPittsburgh STEELERSだったけれど、年を重ねてくるとグリーンベイ市民が球団の株を持っているというGreen Bay PACKERSにもひかれる。もしパッカーズがなかったらグリーンベイ市は全米でも知られることがなかっただろうね。43年ぶりのスーパーボウルまであと1勝に迫ったNew York JETS。9・11のテロといい、いろいろなことがあった街だ。MLBだけに脚光があたるのは不条理だろう。Chicagoは強力な守備を誇る、1920年創立のNFLで2番目に古い球団。こちらも強力な守備で知られる。

NFLJAPANの「第45回スーパーボウル対戦カードは?」というネット上アンケートでは、Pittsburgh STEELERS対Green Bay PACKERSという声が多かった。

http://www.nfljapan.com/enquete/

わたしはどれも見たいけれど、43年ぶりのNew York JETSがらみのカードを期待したいね。

まず読んでみる2011/01/18 19:31:59

カレーと「鬼平犯科帳」(笑)
仕事の後で八重洲ブックセンターを訪れ、先日注文していた『鬼平犯科帳』を購入した。
断っておくけれど、9月の舞台でやるテキストをこれに決めたわけではない。あくまでも読みたいなと思った中の候補のひとつでしかない。
年明け早々、せっかちにあれこれ動き回っているように思われるかもしれないが。

活字にした本と手話を考えてみる。
説明っぽくならないように、つまり手話はあくまでもイメージである。もちろんコミュニケーションだから伝わらなければならないけれど、説明になってもいけない。
このあたりマンガだと、いちいち活字で語らなければならないところが、イメージで伝わる。
亀吉のからだつきを池波さんはこう書いている。「八の字に点を打ったような眉といい、小さくて細い眠たげな両目といい」
これを手話で表すとどうなるだろう。説明ではなくイメージで、だ。

繰り返すが最終的に決めたわけではない。まだ取り組みまでじっくり時間があるのだから、読んでみることだ。