2つのドラマの演出に思う2016/10/09 23:01:00

うーん。

石原さとみ『校閲ガール』、放送事故レベルの現実乖離に批判殺到「校閲をナメるな」
http://biz-journal.jp/2016/10/post_16860.html

番組が始まって最初は高視聴率が伝えられた「校閲ガール」。
ところが、しばらくたってドラマの中の演出というか描き方が、当の校閲経験者当事者からクレームが相次いでいるというのだ。わたしも、この地味で目立たない、活躍する余地などない裏方仕事がどれだけドラマになるのか興味を抱いていた。

ところが。
主人公の女性校閲者が事実確認のために、原稿内に出てくる場所を実際に訪れて聞き取り調査するシーンがあるそうだけど、実際はありえない。
考えてみよう。当然取材者がいろいろ手を尽くしてあたって取材しているわけで、校閲者が聞き取り調査をするなんて「越権行為」そのもの。当然取材した記者はおもしろくない顔をするし、取材された方も「取材に来た記者とは別の記者が来た」と迷惑不愉快になるのは言うまでもない。

はじめに引用した記事にあるように「そもそも校閲という仕事の本分は原稿の誤りを指摘するというもので、それ以上でも以下でもない、つまり活躍する余地などない裏方仕事」、これに尽きる。

どんな職業でもそうだけど、その世界に生きている人から見ればドラマで描かれている描き方に違和感を覚える人がいてもおかしくない。その仕事に懸命になっていればなおさら。それを「イチャモン」という人もいるのはわかる。けれどどんな仕事でも一生懸命やっている人の思いを考えれば、いくらドラマでも極端な演出はおかしいと思うその人たちの思いをアタマから否定するのもどうだろう。

そこで昨日観た映画『ハドソン川の奇跡』に戻る。
たしかに着水してひとりも人命を失わなかった、サレンバーガー機長の判断と行動は賞賛に値する。そしてそのドラマが映画にもなった。
しかしそれは演出を大きくするとかほかのパイロットや航空管制官や航空会社の人から見て「これはおかしい」というクレームがつくようなものにはしていない。サレンバーガー機長はじめ当事者経験者にリサーチして聞き、どういう状況でああいう結果になったのか、そもそも民間航空機のパイロットはなんであるのかを、イーストウッド監督はじめ製作者が理解し、その仕事に敬意を抱いていたからだろう。イーストウッド監督自身、若いころの軍隊時代に飛行機が不時着した経験があるのだそうだ。

『校閲ガール』の演出者がどう考えているかはわからない。
けれど当の校閲経験者当事者からクレームが相次いでいるのだとしたら、演出している人たちは自分たちが描こうとしている仕事や世界、ひいてはそこに生きている人たちに敬意を抱いているのだろうか、と疑問を抱いてしまう。

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