ドアをたたく音に打ち勝つように。2010/09/22 23:38:26

本来は金曜日の予定だった、手話つき朗読『ゆずり葉』の最後のご指導日を、いろいろな事情と、やはり金曜日は前日だから早めに帰宅して休息にあてたいと、今日に振り替えてご指導を受けた。

BGMに決めていた、1987年の公開作品『愛は静けさの中に』(原題「Children of a Lesser god」)からチョイスした3曲について、今日曲間のわずかな空白をカットして編集しなおしたものをいただいた。
それをもとに、実際にBGMをかけてどこでBGMをはじめたらいいか、また手話表現の修正についてもチェックを繰り返した。

今日のレッスン場所は第5研修室。
第5。そう、ベートーベンの交響曲「運命」を思い出す。
泣いても笑っても土曜日はやってくる。
お客さんなどいなくて、わたしだけが舞台に立っているかのように、しかしお客さんに見てもらえるように。自分のためではなくお客さんに喜んでもらえるように。

BGMは当初より前の、台本で言うならさやかが帰ってきた吾朗に声をかける場面から始めると、すっきりまとまるらしい。途中、吾朗が電気を消す場面でライトを落とし同時に音楽も少し絞るのは従前どおり。

手話表現は細かいところをみていただいた。以下、追ってあげる。

「自分も聞こえないのに、同じ聞こえない人を見下して」
→「見下す」というとき、左手で吾朗を上げすぎず、右手を下げるとともに目線も見下すような感じで表す

「部屋の中は薄暗く」
→「薄暗く」、手をやや前に出して、手探りのような感じ。腕を伸ばすな。

『これがおれだよ。手話が見えない世界におれはいたんだよ』
→これがおれだよ、というとき、「わかる?」を、胸をたたくように。

「吾朗の悲しみが」
→「悲しい」を「汗」と間違えやすい。人差し指と親指を合わせて両手で両目からこぼれるように。

『~そして、また戻ってくる』
→「そして」を「終わる」と表す。が、へたをするとここで演技が終わると勘違いされる。「そして」は、吾朗が演じている場所を表す手の位置で。

緊張、プレッシャー、集中、不安。
いろんなものとたたかい、あの交響曲「運命」冒頭部のごときドアをたたく音に打ち勝つように。