シンプルな言葉と飾り立てた言葉と2015/06/30 22:38:40

自民党若手議員らの勉強会で、報道規制、新聞をつぶせといった発言が出て大きな問題になっています。自民党は勉強会を主催した青年局長を更迭、政府は「党の問題」として、謝罪で済ませようとしているようですが、ことはそう簡単に問屋がおろさないでしょう。
はっきりいえば自民党内におごりがあり、一方で安保法制に対する反対の声が出てきたことに対するあせりもあったのだろう。

以前から言っていますが、わたしは安保法制にも憲法改正にも反対であり、日本が戦争のできる国になることには危ぐをおぼえます。
安保法制についての政府の答弁も、ごまかしやすりかえが目立ち、やりたいと言っている政府自身、わかっているのかなと疑問不安が隠せません。国民が理解できない理解しくいものを、理解しなさいと言われても「はいそうですか」というほど、甘くはない。

むのたけじさんが言っている言葉を思い出しました。
「ニセモノはみんな仰々しい。ホンモノはみんな素朴だ、ひっそりと」

飾り立てた言葉ほど、ウソが入り込みやすい入り込むようになる。
言葉と長く向き合ってきたむのさんだけではなく、ほんとうに自分の言動や言葉と向き合い意識して行動や言動に生かしている人なら、むしろ飾り立てた言葉ではなく、誠意を込めた簡単な言葉であらわします。むのさんによるなら「誠意をもって正直になればなるほど、言葉は簡単になる。あれこれ言っているときは本心を隠しているか自信がないときだ」。

これはわたしたちクリスチャン、教会や礼拝でもいえることだと感じました。
服にたとえるなら、いくらおしゃれに工夫をこらしたようでいても、なんというのか、着ている人と服が合っていない。からだに合っているかではなく、その人となりを表す、魅力を感じさせないということでしょうか。

きちんと論理的に分かりやすく言っている人とそうではない人を見分けるべきことはいうまでもありません。
やたら聖書を並べ立ててみ言葉を羅列してもウソくさいだけでしかない。聖書を並べ立てる人ほど、どこかで自分の本音を隠すため補強するために、聖書を都合よく乱用あるいは悪用することもありえます。ほんとうに聖書が語っている意味を理解していれば、たくさん引用などしなくても、聴いている人に伝わるものなのでしょう。

飾り立てた言葉ほどウソが入り込みやすく、誠意をもって正直になればなるほど簡単な言葉であらわす。
信仰でも実生活でも、妻との生活でも、いろんなところに言えます。
わたしもあらためてこころに刻んで自戒しておきたいものです。