勝山そば2015/05/11 23:20:13

昨年、新宿で手話落語「時そば」をやったが、長野、新潟など、そばといえば「ここ!」というところがたくさんある。
このあいだの連休で妻と一緒に、福井県勝山市に足をのばして勝山そばを食べてきた。

なかなかコシがあっておいしい。かみごたえがあるだけでなく、舌触りもいい。
聞けば、寒暖の差が大きく、夜間は特に冷え込む土地で育つからだという。

また福井に行くときがあるだろうから、そのときはもっとゆっくり味わいたいものだ。

とても残念な思いだ2015/05/12 09:22:53

NFL オフィシャルボール
NFL「ボールの空気わざと抜いた可能性高い」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150507/k10010071841000.html

ペイトリオッツのボール空気圧問題、調査結果に対する反応は?
http://nfljapan.com/headlines/66477.html

プレイオフでのボール問題調査レポート提出、QBブレイディ関与か?
http://www.nfljapan.com/headlines/66477.html

Today NFL announced Tom Brady suspended four games, NE Patriots fined $1 millions and will lose its 2016 first-round draft pick and a fourth-round pick in 2017.

昨年のNFLプレーオフ、AFCチャンピオンシップゲームで、ニューイングランド・ペイトリオッツが試合前にボールの空気圧を不正に工作していた疑いがあった。
その後、第49回スーパーボウルをへて、NFLがペイトリオッツとQBトム・ブレイディに対して処分を下した。

Tom Brady suspended 4 games, plans to appeal
http://www.nfl.com/news/story/0ap3000000492185/article/brady-suspended-4-games-patriots-forfeit-2016-first-rounder

ペイトリオッツに大打撃、ブレイディ開幕4試合の出場停止処分!
http://nfljapan.com/headlines/66619.html

ブレイディ、開幕から4試合出場停止 空気圧疑惑でNFLが処分
http://www.47news.jp/sports/turnover/column/ikezawa/172039.html

わたしは正直に言って、4試合の出場停止処分は甘すぎると考えている。ニューイングランド・ペイトリオッツは今回で3回目の処分を受け、2016年度のドラフト1巡指名権をはく奪されたほか、100万ドルの罰金額もNFL史上最高額だというが、裏を深読みすれば、スター選手であるブレイディを欠いては興行に支障が出るという思惑もあっただろう。

セインツHCが1年間の出場停止、違法ボーナスで処分
http://www.nfljapan.com/headlines/32024.html

だが、NFLはその前にも大きな激震があった。
2011年シーズン、ニューオーリンズ・セインツは自チーム選手に、対戦相手選手への危険なタックルを奨励し、報奨金を出していたことが発覚した。このためショーン・ペイトンHCを2012年シーズン、1年間の出場停止処分、GMとアシスタント・コーチもそれぞれ8試合と6試合の出場停止処分。チームに対しては50万ドル(4200万円)の罰金と、2012年と13年のドラフト2巡指名権のはく奪が科された。

激しいぶつかり合いが魅力であるとはいえ、危険なタックルをすすめるのは対戦相手選手はもちろん、ひるがえって自チーム選手の選手寿命を縮める可能性があるし、元選手とその遺族、家族らとNFLが脳しんとうなどで巨額10億ドル、1200億円の損害賠償で和解した先日の例や昨シーズンもあった脳しんとうなどのことを考えるとき、けっして見過ごすわけにはいかない。

安全性を高めるために
http://todaywesonghands.asablo.jp/blog/cat/sports/

ブレイディとペイトリオッツの今回の件は、たしかに選手寿命に関わる問題ではない。
しかし、ファンは建前はともかく、選手たちがいのちをかけて、プレーしていることを知っているし、用具も公正に扱われていると信じている。
だのにこういう不正があったとなると、疑惑の目でみられかねない。
スーパーボウル優勝など、数々の栄光に輝いたブレイディとペイトリオッツ。将来のフットボール名誉の殿堂入りも疑いないだろう。それだけに、この事件が、大きな影、傷となってしまうのがとても残念である。

わたしはあらためてブレイディとペイトリオッツに嫌悪を感じている。
しかしフットボールを愛している。卓球とは違い、選手経験がないのにだ。
それだけに、なんともやりきれない思いである。

「ガキ夫」扱いされないために2015/05/13 22:21:56

NHK『あさイチ』が特集した「ガキ夫」全国の家庭がヒートアップ!該当する場合はどうすれば?
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20150317-00043908/

(1)妻が何度注意しても服は子どものようにリビングに脱ぎっぱなし!

(2)妻が「ねえ、今日は子どもの迎えに行ってくれない?」と頼んでもゲーム機に夢中になり、「今、いいところだから、もうちょっとだけやらせて」と家族よりも自分の趣味を優先する

(3)妻が「換気扇とかベランダとかやってほしいところがあるんだけど」と家事を頼んでも、やりたくないことはいっさいしないで、「だから、やったの!」などと、しまいにはスネてしまう。

(4)帰宅するとゲーム部屋にこもり、家族のことなどおかまいなし。テレビやゲームを楽しんでいる。妻は「激しくマイペース。幼稚園生だってここまで自己チューじゃない。夫としても大人としてもどうなのか」と憤る。

弁解するのではないが、わたしは生まれてこのかた一度も自宅でゲームをやったことがない。もちろんスマホにも入れていないから、通勤途中や外出中にやることもない。正直にいうとああいうゲームには全く興味も関心もないのだ。
けれど男性としては、いいところで夢中になって、水を差されるのにアタマにきたくなるというのはまあ、わからないでもない。

妻に説明してもわかってもらえないのが、男性の特徴として、あるひとつのことに一生懸命になりやすいということ。わたしでいえばフットボールシーズンに入ったらNFLの試合番組を録画するし、ウエアも着るし、キャッチボールもやる。グッズも余裕があれば集める。女性はコレクションという趣味があまりないのは、集めることで楽しむという感覚がないからだろう。だから妻に言わせれば、集めたものはみんな同じようなものに見えて、極端な場合、単なるガラクタでしかないらしい。

男性はそういう特徴があるわけだから、「家族よりも自分の趣味を優先する」のはある意味当然のことである。
しかし結婚したら、自分だけのことばかりはいっていられない。妻だって帰ってきて疲れているはずだし、料理のこと、おかず、夫のからだの健康のための栄養バランス、もろもろ考えなくてはならない。だのに夫が「いま、いいところだからさ」と言おうものなら、目を三角にしてまゆをつり上げて家庭内に大きな雷が鳴り出す……。

ではどうしたらいいのか。

男性は一点集中型。そこに目をつけて、ほめる、なだめる、おだてる。とくにほめられるとさらにやりがいを感じていくだろう。異性である妻にほめられればうれしくないわけはないのは、わたしも同じ。
逆に男性に一言。
女性は一回言ったことを忘れないものである。たとえば初デートのこと、結婚申し込みをした日のこと。意外と覚えているものなのだ。同性同士でおしゃべりをするのは、結論を出すのが目的ではなく、おしゃべりを楽しむためである。けれど異性とのコミュニケーションでは、一度でも言われたことをしっかり覚えているものだ。結婚記念日と自分の誕生日を忘れでもしたら、それこそ後でどんなしっぺ返しが来るか、オソロシイくらいだ。
だから、言ったらちゃんと実行してくれることを期待している。期待しているからこそ愛情を示し信頼を寄せてくれているのだ。

わたしは、グチグチうるさいなあとかいまやるよーと口にしつつ、後回しにはせずにちゃんとやる、ということにしている。面倒だなあとぼやいてもいい、あれこれ言ってもいい。でも言ったらそれでオシマイ。妻の期待にこたえていれば、なにを言おうが妻はちゃんと見てくれるしほめてくれる。ときにはダメ出しをだされることもあるけど。

台風一過。
妻はわたしがおねだりした、保冷剤入り弁当ケースに弁当を入れてくれている。これから夏場に向けて、気をつけなくてはと思い、おねだりした。
毎朝一生懸命つくってくれる妻にこたえるために、わたしもできることをしっかりやらなくては。
それが「ガキ夫」扱いされないための大事なことである。

次世代、未来のことも思う2015/05/14 23:49:28

先日の福井旅行。

緑がきれいな山々、切り立った山肌から見える地層。豊かな自然とともに太古の地球の歴史をまざまざと感じさせられた。

宇宙、地球の歴史の尺度から見れば、人類が活動してきたのはわずかな時間。だのにその人類がわが物顔で文化をつくり宗教を信じ、殺し合い、生きてきた。

あらためて思うのは、このさきの未来、わたしの子どもは難しいかもしれないが、次世代に対して責任ある行動をとれるだろうか。先日地下鉄で見たつり広告にはこうあった。「この生活を維持するためには、地球2個分が必要だ」
とてもそんなわけにはいかない。火星移住などというけど、過酷な環境下ではたして生きていられるのか。SF小説のようなものがすぐにできるわけではない。

自分たちだけのことではなく次世代、未来のことも考えられるように。

ホンの細やかな気遣いで2015/05/15 22:03:19

地下鉄など公共交通機関に乗り、路上を歩いていて、一番イヤなのがマナーをわきまえていない場面に出くわすこと。たとえばバスや電車内で化粧をする、食事をする、というとき。

昨日の新聞コラムに、傘の横持ちへの批判が出ていた。
同感である。持っている本人は大丈夫のつもりでも、子どもの目線では危なくてそばにいるのもこわいだろう。周りへの注意力に欠けると思われても仕方ない。
子どもで思い出したのが、たばこを吸いながら歩く人。手に持っているたばこが子どもの目や顔の高さに等しいことに気づかない人が多い。ついでにいうと、すぐ後ろではなく、2~3㍍くらい離れたところに煙が届くので、煙を避けるために、わたしたちは喫煙者とは反対側を歩かなくてはならない。わざわざそんなことはしたくないが、たばこを吸っている人には、紫煙が離れたところに届いているということに気づかないのだろう。
もちろん喫煙者の、吸いたいという気持ちや吸う場所が少なくなっていくという不満はわかる。だからといって路上で歩きながら吸うのは、どういうものだろう。

ホンの細やかな気遣いで、お互いが気持ちよく暮らせる。

第10回コスモス朗読会に向けて2015/05/16 16:12:00

いまは重松清さんの『オニババと3人の盗賊』を学んでいるが、ちらほら、周囲でも今年9月の舞台に向けた取り組みを始めているらしい。レッスン前に仲間で台本を配ったりしている方がいらっしゃる。

わたしも、先日講師に台本を送り、今日のレッスン前に講師から「いいね」とおほめをいただいた。

今年はさだまさしさんの『ラストレター』(朝日新聞出版)を読みます。もちろん手話と声の両方で。すでに手話訳づくりもはじめています。

追ってまた詳細などはここにアップいたしますが、今年もみなさまのご来場をこころからお待ちいたしております。

基本に立ち返って2015/05/17 22:45:49

昨年から浦安教会青年会として『福音の再発見』The king Jesus Gospel The Original Good News Revisited Scot McKnight(スコット・マクナイト著 中村佐知訳 キリスト新聞社)を読んでいる。はじめは教会に来ていた神学生といっしょに、今年はわたしと牧師だけの学びになってしまった。そもそももうわたしも50歳になろうとしているのに、青年会とはこれいかに? という思いなのだが、まあそれは横に置いておくとして。

たしかに難解なところはあるし、イラストも絵も写真もないからとっつきにくい印象をもたれるかもしれない。
けれど読んでいて、いまのキリスト教会が直面している問題、もっとはっきりいえば、プロテスタントクリスチャンの信仰が変質してしまっているのはなぜか、ということを考えさせられる。
つまり福音とはなにか、福音といいながら、個人的な救い、個の救いということに変質してしまっているのはなぜか? ということだ。

昨年春から読み続けてきて得心がいったのは、

① 旧約聖書を学んでいないこと。新約聖書だけでキリスト教信仰が完結してしまっていると思い込んでいる。新約が成立する前、もっとわかりやすく言ってしまうなら、イエスがなぜ宣教されたのか、その根底にある旧約聖書を学んでいない。

② 福音が「個人的な救い」にすりかわってしまった。これは旧約にしろ新約にしろ、聖書を読むときの基本である、「文脈や時代背景を考えて読む」ことより、霊的に示されたこと、自分に指し示されたこと、という、一見分かりやすいようでいてその実、独りよがりだったりその場その場の都合の良いかたちで聖書をつまみ食いしたりしてしまうから、福音がすりかわってしまったのだ。あくまでも聖書は誤りがない。だが読む側に誤りがあったり、誤った考えで読んでしまったら、本来の意味とは大きく外れてしまいかねない。

わたしは30年以上教会に通い続けているけど、いまもまだよくわからないところがある。しかしだからといって人間の目で都合よく聖書を読みたいとは思わない。信仰は自分に引き寄せすぎて読むと、かえってつまみ食いや独りよがりになってしまう。
あくまでもそのような姿勢を排除し、文脈や時代背景を考えて読むこと。教会に連なるにしても、そういう姿勢で、人間中心的、個の救いを重んじるようなところにはかかわりたくない。

夜、先日の福井旅行中に故障がわかったミニノートパソコンをメーカーに引き取ってもらうためにゆうパックで送った。
代わりに私用スマホを解約してタブレットに替えようかと思案中。
近くにあるメガネ店で聴力検査をしてもらって、やはり左右とも100デシベルオーバーのろうに近いわたしに合う補聴器を調べてもらった。
いまはずいぶん高機能なものが増えた。アプリをダウンロードして、スマホと組み合わせて幅広い音が聞こえるものもあるらしい。

ゆっくり思案していこう。

手際よくつくってくれたカレーライス2015/05/18 23:41:38

昨晩、妻が帰ってきてから短い時間、30分足らずでカレーライスをつくってくれた。骨付きチキン。
味はわたし好みの辛口。チキンもやわらかく煮込み、とてもおいしい。

これから夏に向かって暑さが厳しくなる。とともにカレーもおいしい季節になる。
手際よく早くつくってくれる妻の料理に、ただただ感謝である。

だから言わんこっちゃない2015/05/19 22:26:55

東京オリンピック・パラリンピック招致委員会
河野一郎事務総長に聞く「今だから東京で新たな五輪を」 その1
http://www.nikkansports.com/sports/tokyo2016/interview/interview-kouno_01.html

新国立競技場、東京五輪は屋根なし 「間に合わない」
http://www.asahi.com/articles/ASH5L3CDQH5LUTIL006.html

<2019年春の完成を目指す新国立競技場(東京都新宿区)について、下村博文・文部科学相は18日、都庁での舛添要一知事との会談で、当初計画にあった競技場の屋根は大会後に整備し、8万人の観客席の一部を仮設とする考えを明らかにした。それぞれ20年東京五輪・パラリンピックに工期が間に合わないことや建設費の削減の必要性を理由に挙げた>

仕事のあと妻とデートをして帰宅後、テレビニュースを見てあ然とした報道だ。

正直に書くが、わたしは2020年の東京五輪について初めから反対だったし、いまも納得していない。
当初計画にあった新国立競技場も、完成予想図を見せられて「こんなに派手で大きなものはいらない。五輪後の使い道はどうなるのか」と不安を感じたものだ。タレントや歌手のコンサートなどスポーツ以外の事業にも使うとしても、芝生や座席のメンテナンスも必要だろう。他スポーツに使うにしても同様だ。
施設を建設するということは、当然それらを動かす人、機械、インフラが必要になってくる。
まわりを見てみればわかるように、東京は急速な高齢化社会に入っている。週末であっても子どもより大人、高齢者を多く見かけるのが現実だ。そんな状況で五輪などやっていけるのか? 五輪が終わって「夢の後始末」はどうするのだろう。いったい社会を動かすインフラは誰が支えるのだろう。

国は「建設に間に合わないから、当初計画にあった、競技場の屋根を大会後にし、観客席は一部を仮設にするという。挙げ句の果ては500億円の出費を東京都に求めるそうだ。

<下村文科相は500億円を競技場の周辺整備費用とし負担を要請した>

冗談ではない。500億円は、はっきり言えば都民の税金から出される。
いくらかかるのか、全体の見積りもなにもないまま「お金を出して」なんて言われても困る。

8万人収容だという、あんなド派手なものでばなく、今はもう取り壊されてしまった国立競技場の拡幅リフォームでよかったではないか。
どこがコンパクトでエコな五輪なのか。当初通りの計画が間に合わないのはなぜなのか、責任はどこにあるのか。

少なくとも、巨額の費用を求めるのであれば、都民だけではない。国民へのきちんとした説明責任を求める。
それもいいかげんではなく、納得いくものを。

自分の人生こんなもの、という前に2015/05/20 23:32:50

久しぶりに手話サークル「一麦会」へ行ってきた。
いつもと同じくコミュニケーションクラスは開店休業状態。しばらく誰か来ないかなと待っていて、どうも来ないらしいと見切りをつけて中級クラスへ移動する。せっかく来たんだからどんどんなかに入っていかないと自分の手話も上達しない。

その中級クラスに来ていた、聴者と講師先生に、9月のコスモス朗読会をアピール紹介した。興味関心を寄せてくださったらしく、案内ハガキができあがったらサークルに持ってきたいと思っている。

自分の人生、こんなもの、とハナから決めてかかってしまっては将来も何もない。
さきがどうなるかはみんな同じ。生きるのも、食事をしたりトイレに行ったり、はては病気をするのも、さらには死ぬのも、いずれは誰もが通る道である。
だったら、自分の人生こんなもの、というまえに、精いっぱいやれることをやってみようじゃないか。
舞台もそう。失敗したっていいじゃないか。その舞台に向かって一生懸命やっていれば、やったことそのものは誰にもまねできないのだから。

自分で自分の限界を決めるのではなくて、精いっぱいやったその先になにかがあるのだと、視点を変えていきたい。