地下鉄サリン事件を知らない世代へ2015/03/20 23:56:57

昨年はアイルトン・セナの没後20年だった。
今年3月20日は、いまわしい地下鉄サリン事件から20年になる。

ここでも20年前のあの日のことは何度か書いた。
だが歳月とともにあの日あの時を知らない世代が増えて、それどころかオウムの後継団体に入っている若い世代が多いと伝えられている。

話はずれるが、18日にアフリカ北部のチュニジアで日本人3人を含む多数の外国人観光客が、テロリストに銃撃されて亡くなった。負傷者も出ている。
IS(イスラミック・ステート)はイスラム教ではない、とイスラム教徒ムスリムからも声が上がっている。だがISをみているとオウム真理教の活動と重なってくる部分が多い。
20年がたった今も、若い世代は満たされていない自分が社会から正当に評価されていない、という不公平感不満足感を抱いている。非正規雇用であったり職につけなかったり、給料が低かったり。それは若者特有の感情であるが、若者だけの問題ではなく、社会全体に閉塞感があり、なにかにすがりたい、何かが変えてくれるのではないか、という期待感から、宗教を隠れみのにしている集団に行けば、自分が認められるのではないか、変われるのではないか、という思いにつながっていくのだろう。

この現実に、わたしたち既存宗教、世界三大宗教のひとつ、キリスト教徒としてなにができるのだろう。どうすれば、こんなカルトやテロリズムテロ集団を抑えられるのだろうか。

少なくとも、わたしたち教会も、自分たちの歩みをいまひとつ振り返ってみる必要がある。若者だけではない、いまの社会の様々な問題に向き合っているか。不満を抱いている人たちの声に耳を傾けているか。そしてその中で社会にどう宗教信仰を打ち立てていくか。信仰と社会は切り離せないし切り離して考えることはできない。

反知性主義という言葉がある。
作家で元外務省官僚だった佐藤優さんの定義によれば

<実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度>

カルトにもこういう傾向がある。いやカルト宗教に近くなればなるほど、自分たちが理解したいようにという姿勢が表に出てくる。

オウムに惹かれている若い世代が多いという。
だが表向きの表面だけをなぞっているのなら危険極まりない。自分が満たされない、ここに行けば満たされると、自分の都合いい部分だけをみてしまいかねないからだ。
そうではなく、実証性客観性もしっかりもって、20年前のあの忌まわしいテロ事件やそのほかのオウムが起こしたいくつもの事件もみていくこと。

内輪だけならきれいなものしか見えない。みえないから外にいる人たちの声や意見が遮断されて理解できない。
そこにカルトの怖さがある。

あの事件を忘れないこと。