シャーロット・ケイト・フォックスさんをみて励まされる2014/10/20 23:47:55

朝のニュース、それも独身のころにはたまにみていた「アサイチ」という番組を短縮してまで放送した、小渕優子経産相の辞任記者会見。しばらくして松島みどり・法相も辞任を発表した。

女性を起用して「われわれは女性をこんなにも活用しているのだから民間でもできないわけはないだろう」と言わんばかりだったが、まだ2カ月経つか経たないかで辞任という。
これは、正確に言うと当の大臣はもちろんだけれど、任命した首相にも責任があると思う。首相には人を見る目がないなと思ったものだが、7年前にも同じように閣僚の不祥事スキャンダルから内閣が総辞職したことを思い出す。
こんな調子ではとても国のかじ取りをゆだねるのはこわいと思うのはわたしだけだろうか。

前作『花子とアン』に続いて今作『マッサン』も妻と一緒に、BSプレミアムでの放送、総合テレビでの地上波放送と観てから出勤している。
主役のひとり、エリーを演じているシャーロット・ケイト・フォックス。ノーザン・イリノイ大学のウェブサイトに彼女を紹介する記事がいくつかある。
http://www.niutoday.info/2014/08/29/big-in-japan/

外国人との国際結婚が珍しかった時代。まして日本語を覚えるにしてもテキストなんてない時代。聞いて何度も覚えて、たどたどしいなりに話してコミュニケーションを取ろうとしていたに違いない。観る人は演じるフォックス自身と重ねていろいろな思いを寄せるのだろう。
わたしも手話を覚え始めたころはそうだった。今晩ASLレッスンでできるかぎり意識してアメリカ手話を使うようにしていく。
エリーだってできたのだからわたしだってできないはずがない。

手話を覚えていけばもっとコミュニケーションの世界がひろがる。

備えあれば憂いなし2014/10/21 23:18:00

先月27日の御嶽山噴火、いつ起きるかわからない首都圏震災や富士山噴火など、自然災害。わたしたち夫婦は避難生活のための備えをはじめた。
衣類などはもちろん大事だが、ガーゼやばんそうこうなど救急品、ライトや軍手、マスクなど家にあるものをバッグに詰めて、足りないもの……非常食や避難所で必要になってくるだろう、水なしでも使えるタオルやシャンプーなどを買い求めることにした。

わたしが独身時代につくった防災ヘルメットを2つ、職場と自宅に置いてあるが、まだ交際していたころに妻の勤務先に置くように、とプレゼントしたヘルメットは職場から帰るときに使えるだろう。もし自宅から避難するとしたら妻用のヘルメットも必要になってくるだろう。
自宅に眠っている、古いアメリカンフットボールのジャージも、重ね着すれば吸水してくれると、衣類に加えることにした。
ホイッスルをひとつ、妻にあげた。音を出してみたら「かなり大きい」と妻が言う。聴こえないわたしにはわからないのだが。

ともあれ備えあれば憂いなし。
これを使う日が来ないことを祈りつつ、いつ来てもいいように準備をしておこう。

備えて守っていかなくては2014/10/22 23:47:12

明日で新潟中越地震から満10年。
東日本大震災のときに比べれば、東京での揺れは大きくはなかったが、あくまでも「比べてみれば」であり、やはりそれでも揺れはかなりのものだったと記憶している。

昨日妻と一緒に震災や噴火に備えて防災セットを用意したと書いたが、妻が防災専門店をネットで調べて、いくつかみつけたらしい。家にあるものはすでにバッグに詰めていつでも持ち出せるようにしてある。あとは足りないものを買い足すだけ。
10年たって、風景は元に戻るかもしれないが人の生活は元に戻ったとは言えないものもある。
あの日を忘れないことはもちろんだが、自分の身を守る、もう自分だけではないのだから、一緒に備えて守っていかなくてはと、妻とともにあらためて思う。

海援隊にあこがれて2014/10/23 22:10:41

今年2月に妻にアコースティックギターをプレゼントしてわたしも30年ぶりだろうか、久しぶりにギターを始めたことは何度も書いた。
まだ交換するには早いとは思いつつ、ギターストリングスを妻とわたしのぶんを購入してきた。加えてネックの手指の滑りをよくするスプレーワックスを1本だけ買ってきた。

補聴器をつけるとフォークやナイフの音がかなり大きくうるさく聞こえてしまう。初めてギターを購入したときはヤマハのフォークギター用ストリングスを使っていたが、ストリングスを交換するにあたって専門店で質問しながらリクエストしたのは、スリーフィンガーやアルペジオ奏法に合った、柔らかいというか優しい音が出るストリングスを、ということ。そこで教えていただいたのが、マーチンの80/20ブロンズコンパウンドエクストラライトゲージ。弾いてみるとまだ聴こえていた耳に優しいし、うるさくない。それからというもの、このストリングスをずっと愛用していてこれからもたぶん変えないと思う。

ほんとうはストリングスだけではなくギター本体もマーチンがいいのだろうが、まともに買うとけっこうする。まして中古でもしかりだ。あるサイトで調べると中古でも25万円以上はする。
わたしのギターはモーリス。妻はS-ヤイリを使っている。初めてギターを買うとき、あこがれだったのは海援隊。そのころ海援隊の2人が使っていたのがモーリス。たしかアリスもモーリスのギターを使っていたと聞いたことがある。まだラジオを聴くことができていたころ、あるラジオ番組のコマーシャルで「ギターのモーリス、モーリスのギター」というフレーズがあった。とても懐かしくていまでも耳に残っているほどだ。やがて海援隊はモーリスからヤイリに変えたと後になって聞いた。妻はそのヤイリのギターを使っている。

いま持っているギターで満足できなくなるとか合わないとかでもおきない限りは買い換えることもないだろうし、聴こえないくせに、満足できるうんぬんなんてとても言えたものじゃない。妻もまだまだ今使っているギターを使いこなしたレベルとはとても言えない以上、買い替えなどはもってのほか。どうせなら二人ともこのまま一生ギターを買い換えずにやってもいいかな、なんて思うほどだ。

お互いの違いを受け止めていくしかない2014/10/24 21:22:20

結婚する前は知識としてはわかっていたけれどいざなってみると気づかないことがたくさんある。それもまた結婚の魅力というか楽しみでもあるのだが。

わたしは小学校4年生のころからのフットボールファン。同世代ならたぶん覚えている人が多いのではないだろうか。日本にはじめてやってきたNFLプレーシーズンゲーム、毎日スターボウルで、サンディエゴ・チャージャーズとセントルイス・カーディナルズが対戦した試合やNCAAカレッジフットボールなどを観て以来。ひいきはオークランド・レイダーズとCFLトロント・アルゴノーツ。ほかにもこだわりがあって、ひいきのカレーライス店だとか昨日も書いたように海援隊が好き、というように。PHSからガラケーをへてスマホにいたるまでずっとドコモしか使ったことがない。余談だが先日、iPhoneでドコモのユーザーから使い方を教えてと言われて、戸惑ったものだ。

ところが妻はそういう、こだわるところがあまりない。妻はポイントカードだとかお得なサービスには関心があるけれど、これ一点というようなこだわりはない。

結局は男女の考えや興味の違いなのだ。
どちらがいいとか正しいとかではなく、お互いの違いを受け止めていくしかない。
妻はわたしのこだわりについて「コドモだねえ」とあきれているが、わたしにしてみれば当然としか言いようがない。反対に妻のお得なサービスだとかいうのは、頭では理解できてもなるほどとは感じない。

そういう違いを楽しむというか、そういうものなんだと思っていくのが一番いい。
それが結婚生活を長続きさせるコツなのだろう。

同窓会2014/10/25 16:08:10

今晩、小学校の同窓会に顔を出してくる。年に1日だけの集まりだがとても楽しく、かつてのいじめっ子もそうではない子も気兼ねなく、思い思いに語らったり食事をしたり、あっというまのひとときだ。

若いころは「かつてのクラスメートはどうしているかな」と思うことはあってもなかなか会う機会もなかったし、懐かしいとまでは思わなかったものだ。
しかし馬齢を重ねいろいろな経験を積んできて、懐かしいなどうしているかなと思うようになった。いじめられた経験も今ではなんとも思わないし、いじめていた連中に対しては憎しみだとかいやだとかいった思いはまったくない。普通に会ってむしろあのころはああだったねえと笑って過ごせるくらいだ。
同世代だから話題も子育てだとか親の介護だとかいろいろ聞こえてくるが、それも他人事ではなく自分のこととして受け止められる。いつかはわたしも経験することだろう直面することだろうから、話を聞いていてこころの準備にもなる。

そんなこんなで、今晩の同窓会もにぎやかなことだろう。
楽しみにしている。

あっというまの数時間2014/10/26 14:14:20

昨晩の同窓会はとてもたのしいひととき。1年に一度だから気兼ねなくいろいろ話せる。卒業以来会った人もいれば常連のメンバーもいて、時間のたつのも忘れてしまったほどだ。おみやげに、同窓会第1回からの写真や卒業アルバムからおこしたDVDをもらってきた。これは永久保存だね。

カラオケで1曲だけ。海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」を。みんなはというと「恋のフォーチュンクッキー」だの「ヘビー・ローテーション」だの最近の歌がある一方、「待つわ」だとか昔の歌も。ここらへんは同世代だからできることだね。

2015年はまだわからないが、出来たらみんなとまた会いたいと本当に思う。
同世代同じ時期を生きてきた仲間ゆえに、大事にしていきたいつながりだ。

共働きだからこそ2014/10/27 21:26:04

妻がいまひとつ体調が良くなく、わたしも出勤してまもなく、職場内の診療所で薬をもらってきた。残念だが今晩のASLは休講にしてもらった。
夕食はどうするか。こんなとき夫婦が共倒れになっては元も子もない。
いくぶん体調が戻ってきたわたしが、家にあるものを使って夕食をつくるしかない。たまには妻を休ませてあげることも大事だ。

という前置きが長くなったが、夕食はひさしぶりにみそラーメンに。
手間ひまをかけずにさっとつくろうと、野菜をレンジで温めて熱を通し、あとはいつものように麺をゆで、スープをつくるだけ。

とはいえ、夫婦共働きだと、どちらかが倒れたり病気になったりすることもおきるだろう。そんな時に夫が何もできないようじゃ妻だっておちおち休んでいられない。
共働きだからこそ、助け合っていかなくては。

世界の終わりを気にするよりも2014/10/28 23:49:20

2カ月ほど前からネット上では、「携挙が起こる」「キリストが来られる」などといった書き込みが話題になっていた。クリスチャンではない方、キリスト教について知らない方のために少し説明をすると、

携挙(けいきょ、英語:Rapture)とは、プロテスタントにおけるキリスト教終末論で、未来の主イエス・キリストの再臨において起こると信じられていることである。まず神のすべての聖徒の霊が、復活の体を与えられ、霊と体が結び合わされ、最初のよみがえりを経験し、主と会う。次に地上にあるすべての真のクリスチャンが空中で主と会い、不死の体を与えられ、体のよみがえりを経験する。
というものだそうだ(引用はウィキペディアから)。
初代教会はそんな考え方はしなかったようだ。歴史的には19世紀ごろからプロテスタント教会、福音派やペンテコステ派で広まったと言われている。

そこで、近々携挙が起こるなどという話がネットで広まっていたという。
10月10日に起こるとか、神さまが延長されて11月に起こるとか。

わたしも以前、中学生のころだったかノストラダムスブームに乗っかって「1999年7月にこの世が終わる」という話を真に受けていたことを思い出す。いくぶんかの恥ずかしさと、若いころだから純粋だったなあと思える一方、世界の終わりを公に言ったり書いたりするのはおかしいとあらためて実感反省しなくてはならない。

もし仮にそうだとしても、自分に指し示されたという前に一歩引いて冷静になれないものか。主観にひきずられてしまい、客観的に物事を見つめられない愚かしさ。自分が信じているからといってそれを声高に主張するあまりに周囲を見つめられない、視野が狭くなってしまう。さらには自分の主観的体験が中心土台になって、本来の中心であるべき聖書から逸脱してしまう。
宗教にハマるというか熱心になりすぎることのこわさをつくづく感じさせられる。

「もし明日で世界が終わるとしても、わたしはりんごの木を植える」と言ったのはマルティン・ルターだったか。
いつ世界が終わろうとも、わたしにはわたしにしかできないことがあり、わたしには家族がいる。その家族のために生きることが与えられているのだ。
だからヘンテコな終末論なんかに惑わされずに、しっかり足を地につけて歩いていくしかない。どうせいつかはやってくるのだから、ジタバタあせったり騒いだりしている方がバカバカしいというもの。
信仰を持つことと信仰に振り回されて土台が見えなくなってしまうことを混同しないように、気をつけていきたいものだ。ましてや惑わそうとしている者に気をつけることはいうまでもない。

肌寒い一日2014/10/29 22:52:22

風こそなかったけれど寒い一日。冬用スーツを着た。
妻もわたしもだいぶ体調が戻ってきた。週末までに完全に治さなくてはならないが。

週末までに、注文していた防災用品が届くことになっている。ひょっとすると金曜日あたりだろうか。
今日、インクジェットプリンターで手作りステッカーをつくれるというステッカー用紙を買ってきた。
プロに頼むと高くつくので、購入したヘルメットに、血液型と「手話ができます」と書いた文をこのステッカー用紙にプリントして貼りつけることにしている。
これで完璧というわけではないけれど、いつ災害が起きても対応できる準備はしておいた。

ワールドシリーズ第6戦、カンザスシティー・ロイヤルズが10-0でサンフランシスコ・ジャイアンツに勝った。シャットアウト勝ちは1985年以来だという。明日の第7戦で世界一が決まる。
日本シリーズ第4戦はいまさっき終わったばかり。延長10回、3ランサヨナラホームランでソフトバンクが勝ち、日本一まであと1つとなった。