どうせやるんだったら徹底してほしい2012/03/30 22:34:40

手話通訳がついた画面
仕事中の午後6時から、テレビで野田佳彦首相の、消費税増税法案についての記者会見を、少しだけ見た。

以前にも書いたように昨年の東日本大震災後、首相や官房長官らの記者会見では手話通訳がつくようになった。それ自体はとても画期的なことだし、これからもどんどんすすめていってほしい。

ところが、だ。
画面に出てくる手話は日本語対応手話、日本語の文法どおりに表す手話で中途難聴者が理解できる。逆にろう者が使ってきた日本手話ではないからろう者は画面の手話が読み取りにくい、時間がかかると、不評だそうだ。

東日本大震災:暮らしどうなる? 手話通訳「分かりにくい」
http://mainichi.jp/select/weathernews/archive/news/2012/03/02/20120302ddm013040005000c.html

先日手話喫茶『mimi』で何人かの聴者・ろう者とこのことについて話しをした。
ある人が「画面左右にそれぞれ、日本語対応手話と日本手話の両方を出してほしい」という。なるほど。それなら見る人がどちらかをみればいいわけだ。
だがかたくなに日本手話こそ正しいという人たちからすれば「日本語対応手話なんて手話じゃない」と反論されるだろうし、対応手話がわかる中途難聴者からは「日本手話は読み取れない」と異論が出るだろう。
余談だが、『mimi』で日本手話と日本語対応手話のどちらが正しいかという議論があることについてきいてみると「どちらかだけが正しいとは言い切れない」という声が多かった。

話を戻す。
どうせやるなら放送局も日本手話、対応手話の両方を画面に出すか、もしだめなら字幕をつけるべきだ。
手話がわからない中途難聴者もいるし、日本手話を身につけたいという中途難聴者もいる。
手話を画面に出せばいい、終わり、ではなく、情報保障を一歩進めてもっと徹底させるべきだと思うのだ。
適当なつもりはないのだろうが、手話をつけたらあとは知らないよ、とでも思われかねないように感じてしまうのだ。
やるなら中途半端にしないで徹底してほしい。