ある不愉快な思い出2012/03/21 23:21:49

昨今のニュースのなかから、ある思い出がよみがえってきた。この思い出はとても深い傷のようなもので、死ぬまで消えることはないのではないかと思っている。

小学校から高校まで音楽の授業があったが、小学校のときはまあ、イベントで指揮者をやったこととアコーディオンがうまく演奏できなかったことが記憶に残っている。指揮者はたしかに全体の音を把握していなければならないから、やっぱり聴こえない耳では無理だろう。第九初演時にベートーベンが、聴衆の歓声が聞こえなかったという逸話(事実かどうかはさておき)からもわかる。いっぽうでからだ全体を使って表現するという意味ではのちに手話朗読や演劇につながる、とても魅力を感じたものだ。

だが中学時代には、とても思い出したくもない体験をさせられた。
「口パク」である。

聴こえないから音程がわからない。多感な年ごろゆえに級友から「お前は口をあけていればいい」と言ったり、わざわざわたしの口元に耳を寄せてお音程が合っているかどうかを確かめたりするやつもいた。

昨今、国歌を歌っているかどうかを確かめようと、口をあけているかどうか監視するなどという話が伝えられた。
この話をきいて、深い傷をひっかかれたような、やり場のない思いを感じたのだ。

口をあけようがあけまいが、個人の内面の自由ではないか。
まして監視などするのはあってはならないことだ。
そんな管理強制されるところには、こころからの喜びや国への敬意などあるはずがない。

わたしはそんな強制なんかされたくもないししたくもない。