追いつめられたような心理状態2007/07/04 23:33:29

以前のこのページで、酒飲みのからだの状態を疑似体験できるゴーグルに触れ、身体障碍者や妊婦のそれを疑似体験できるセットがあるということも知った。きこえないということ、これは補聴器をつけてみたとか耳に栓をしてみたとか疑似体験はできるかもしれないが、本質的なこと……つまりどういう心理状態、こころの状況になるかということ……は分かりにくいかもしれない。

昔うつ病を患っていたころを思い出してみる。

他人の言動が気になる。悪口を言っているのではないか、嫌われているのではないかとか、とても疑心暗鬼になり、周囲とうまくとけこんでいかず、追いつめられたような心理状態だった。

お互いに手話ができればいいのだけれど、まわりは聞こえる人ばかりのなかで聞き取るのに精いっぱい。口の動きをじぃ~っと見て、何を言っているのか瞬時に判断する、といえば聞こえはいいが実際は、「何を言っているんだろう」と不安で不安でしょうがない(こういうときの「しょうがない」は用法、意味ともに間違っていないよね 笑)。それが積み重なっていくとだんだん周りが信頼できない、という孤独感につながり、さらには「周りは自分を受けいれていない」という猜疑心につながっていく可能性もある。

わたしと一度でも直にお会いしたことのある方なら、たぶんすぐにはわたしが中途難聴者だとは分かりにくいだろう。なにせ普通に明りょうに話せるから。そのギャップがあるからますます、わたしのこころは追いつめられてくるのだ。

でもいまはどうだろう。
手話を身につけた。ま、人のことは自分ではコントロールできないことなのだと、いくぶん割り切るというか悟るというか。人は人だから、とわたしを嫌いあるいはかかわろうとしない人のことは気にならなくなった。

世界中の人がわたしを嫌うなんてことはありえない。
クリスチャンとしては、世界中の人がわたしを捨てたとしても、わたしを導いてくださるのは神さまだからと、神さまに捨てられることほどこわいことはない、神さまはどんなときでもわたしをみておられるのだと信じている。

しかし、聞こえる人ばかりの社会のなかでは、中途難聴者は、こころにとても疲れを感じる。コミュニケーションの難しさゆえに生じることだ。