In order that I should never forget The price I paid for it.2007/07/01 22:45:19

「スーパー・ランナー」と原著「I am third」
God has given me this day to do as I will.
I can waste it or use it for good.
What I do today is very important Because I am
trading a day in my life for it.
When tomorrow comes, this day will be gone
forever Leaving behind something I've traded for
it.
I want it to be gain, not loss…….
Good, not evil…….
Success, not failure…….
In order that I should never forget The price I paid
for it.

As for myseif, this is a New Day.

神が、今日という日をわたしに与えてくださった。
良きにも悪しきにも使える。
今日わたしが何をするかは大切なことだ。この一日は
わたしのいのち
明日がくれば、今日は二度かえらない。
今日一日を何に使ったか、
失うのではなく、何かを得るために
悪しきではなく、良きことに、
失敗ではなく、成功を得るために、
今日のために、いのちをかけたことを忘れぬために。

ぼくにとって今日が新しい日なのです。


以前どこかで書いた、元プロフットボールプレーヤーのGale Sayers(Gale Eugene Sayers)の自伝「スーパー・ランナー」の原著「I am third」を手に入れることができた。
なぜ原著を購入したかというと、この「新しい日」という、Sayersが朗読したという詩にひかれたからである。原詩はどんなものなのだろう。それを読んでみたく思い、購入したのだ。
驚かされるのは、もう40年前の歴史上の選手であるにもかかわらず、こうして今なお、本が出版されているということだ。フットボールやNFLに詳しくない人のために紹介すると、1943年カンザス州ウイチト生まれ。1965年にカンザス大学から名門球団のシカゴ・ベアーズに入団。1972年までの7年間を熾烈な競争の激しいプロフットボールのランニングバックとしてプレーし続けた。日本語訳書にはない、原著に掲載されているGale Sayersのライフタイムレコードを見ると1966年と1969年の両シーズンに14試合出場、それぞれ1231ヤードと1032ヤードを走る記録を残している。日本語版に掲載されたGale Sayersの経歴ではオールNFLに1965,66,67,68,69年度の5回選出。オールスターゲーム・プロボウルには68年を除く、1965年度から69年度の4回出場している。

彼以外にも、素晴らしい選手はたくさんいるしこれからも出てくるだろう。
しかしなにより、彼はアフリカン・アメリカンのスラム街から出てきて競争の激しいなかに身を置き、自分が一番としか信じていなかった。それが、色んな人との出会いを通して、「神さまが1番、友人が2番、そして自分が3番目(The Lord is first, my friends are second, and I am third)」とまで、成長成熟していった姿である。

今日から7月。まだ5カ月あるとみるか、もう5カ月しかないとみるか。今年ほど時間のたつ早さを実感させられた年は初めてだ。

When tomorrow comes, this day will be gone
forever Leaving behind something I've traded for
it.
In order that I should never forget The price I paid
for it.

この言葉を胸に刻み続け、忘れることのないように。

未来への希望2007/07/02 22:23:50

かねてから取りかかりたいと思いつつ、延び延びになっていた、ポーランドのアウシュビッツ強制収容所跡を訪れた1995年の写真をCD-Rにデジタル保存する作業を終えた。

今回デジタル保存したのは250枚以上にのぼる。ほかにも埋もれていたり保存をしたりしていないものもあるかもしれない。12年前はまだデジタルカメラは持っておらず、一眼レフのフィルムカメラしかなかった。散逸したり保存状態が悪くなったりするまえに、今回朗読で「アンネの日記」を読むと決めたことにあわせて取り組んだ。

12年前のおだやかな秋の日だった。青空と対照的な、数多くの展示物や銃殺刑の跡が違和感をあたえた。が、まぎれもないここにはおおくのいのちが、殺される必要も理由もないのに、暴力と差別によってこの世から去っていったのだ。

アウシュビッツ、世界遺産名を変更 ポーランド求める
http://www.asahi.com/international/update/0628/JJT200706280002.html?ref=button

2007年6月27日、ニュージーランドで開催されていた世界遺産委員会で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は、1979年に、「アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所」の名称で登録された世界遺産への登録名に「ナチス・ドイツ」の表記を入れることを承認したという。

記事によると、多くの外国メディアが「ポーランドの収容所」と呼んでいるため、ポーランド政府は「本来は被害者であるポーランド人が、アウシュビッツ強制収容所を造ったとの誤解を与える」として、登録名の変更を求めていたという。

実はわたしもアウシュビッツとはドイツがつけた地名であり、もともとはオシフィエンチムというのが正式な地名だということ、世界遺産の名前が「アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所」ということも知っていたが、やはりポーランドの気持ちを考えると、それだけでは伝わらないのではないかと思ったこともある。

「アウシュビッツ・ビルケナウ-ナチス・ドイツの強制・絶滅収容所(1940~45年)」と決まった新名称で、ナチスが加害者であることが明記された。

思い出すのは、強制収容所を回っている同時刻に、中学生とおぼしき若者の集団をみた。聞けばドイツからやってきたという。彼らには責任がないかもしれないが、祖父、いやその父らが行った行為を見聞きして、どんな思いだっただろう。しかし、忘れることがあらたな暴力の始まりにつながる。だから苦しいことだけれど、はっきり見て確かめることが、未来への希望につながる。生きたくても生きることを許されなかった多くの人たちのためにも。

社団法人日本ユネスコ連盟 世界遺産リスト
http://www.unesco.jp/contents/isan/whlist.php?area=%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91

UNESCO  World Heritage
http://whc.unesco.org/

願わくは、アメリカからも、ヒロシマ・ナガサキを訪れる人が多く出てほしい。

こころをきれいにしよう。2007/07/03 22:05:39

ようやく梅雨らしくなったかなという感じだが、からだがものすごくだるかったり疲れたりする。湿気と気温の両方から痛めつけられているような感じさえする。

疲れたなと思ったときは無理をしないで休む。当然のことだけれど、ついつい無理をしがち。無理をすると判断力も落ちるし事故につながる。

きついなと思ったら窓の外を見てこころをきれいにしよう。
そうすればまたきっと、力が戻ってくるから。

追いつめられたような心理状態2007/07/04 23:33:29

以前のこのページで、酒飲みのからだの状態を疑似体験できるゴーグルに触れ、身体障碍者や妊婦のそれを疑似体験できるセットがあるということも知った。きこえないということ、これは補聴器をつけてみたとか耳に栓をしてみたとか疑似体験はできるかもしれないが、本質的なこと……つまりどういう心理状態、こころの状況になるかということ……は分かりにくいかもしれない。

昔うつ病を患っていたころを思い出してみる。

他人の言動が気になる。悪口を言っているのではないか、嫌われているのではないかとか、とても疑心暗鬼になり、周囲とうまくとけこんでいかず、追いつめられたような心理状態だった。

お互いに手話ができればいいのだけれど、まわりは聞こえる人ばかりのなかで聞き取るのに精いっぱい。口の動きをじぃ~っと見て、何を言っているのか瞬時に判断する、といえば聞こえはいいが実際は、「何を言っているんだろう」と不安で不安でしょうがない(こういうときの「しょうがない」は用法、意味ともに間違っていないよね 笑)。それが積み重なっていくとだんだん周りが信頼できない、という孤独感につながり、さらには「周りは自分を受けいれていない」という猜疑心につながっていく可能性もある。

わたしと一度でも直にお会いしたことのある方なら、たぶんすぐにはわたしが中途難聴者だとは分かりにくいだろう。なにせ普通に明りょうに話せるから。そのギャップがあるからますます、わたしのこころは追いつめられてくるのだ。

でもいまはどうだろう。
手話を身につけた。ま、人のことは自分ではコントロールできないことなのだと、いくぶん割り切るというか悟るというか。人は人だから、とわたしを嫌いあるいはかかわろうとしない人のことは気にならなくなった。

世界中の人がわたしを嫌うなんてことはありえない。
クリスチャンとしては、世界中の人がわたしを捨てたとしても、わたしを導いてくださるのは神さまだからと、神さまに捨てられることほどこわいことはない、神さまはどんなときでもわたしをみておられるのだと信じている。

しかし、聞こえる人ばかりの社会のなかでは、中途難聴者は、こころにとても疲れを感じる。コミュニケーションの難しさゆえに生じることだ。

すべてにテーマをもっていないと2007/07/05 23:55:19

毎週木曜日の卓球練習。

いつも練習には集中している。そのためついつい本気になってしまい、感情があらわになってしまう。う~ん。感情をコントロールするのはまだまだ未熟だなと実感。

それでも、以前はからきしだめだった、スピンのかかったボールを力まずにかえすことができたし、いまさかんに練習しているバックからのスピンをかけたボールもかえすことができた。
やはりテーマをもって練習しないとだめだね。卓球だけに限らない。日々の生活すべてにテーマをもっていないと。

まもなく、川崎球場と等々力競技場を会場に、第3回アメリカンフットボールワールドカップ・川崎大会が開幕する。日本は3連覇がかかるが、今回はスウェーデン・ドイツ・フランスのヨーロッパ強豪に加えて、3回目にして初めて本場・アメリカが参戦する。

いい年して携帯にくっつけたのは卓球の、ラケットのミニチュアと、第3回アメリカンフットボールワールドカップ・川崎大会の日本代表選手をデザインしたキティーちゃん。

……(^_^;)。

同じ苦悩を抱える仲間だからこそ2007/07/06 23:59:09

「一日の苦労はその日一日で十分である」

あれもこれも。昨日がこうで今日はこうだったから、明日はこうなるだろう、こうなるのではないか。
そんな不安がいつもわたしを襲ってはそのたびに強い不安と恐怖にかられていた。うつ病のころは毎日が苦痛でしかなかった。薬の副作用のためからだにある機能がなくなったり低下したりして、はたしてこのさき、快復したとして希望が見いだせるのだろうかとも。半端ではない不安があった。

で、いま現在である。

手話を身につけたり、卓球だの手話ソングダンスだの朗読だのといったことを始めてから、かなり気持ちが楽になったことを実感している。まだ時おりきついなと思うこともあるが、そんなときは自分の気持ちを空からながめるように「そうだよね。きついものはしょうがないよね」とありのままに受けいれられる。「一日の苦労はその日一日で十分である」という聖書の言葉はまさにそのとおりで、強い不安と恐怖や済んだこと終わったことはもう神さまにまるごと預けるしかないのであろう。

いま思い出した。
朗読を続けてこられた理由はなんだろうとふり返って、講師のこの言葉があったからだ。「感情の出し入れがうまく表せるようになった」「からだ全体をいっぱいに使って表現しているのがとてもいい」。まわりはみな聞こえる人ばかりのなかだったから、聞こえないことを言うのではなく、できることを指摘してくださったから続けてこられたのだ。

しかしわたしにとって大切な存在。
それは「聞こえない」という同じ苦悩を抱える仲間である、聴覚障碍者や手話を中心に会話ができる仲間である。もちろん手話ができない、普通に聞こえる人たちが大切な存在ではない、ということではない。普通に聞こえる人たちが圧倒的多数であり、わたしたちが少数者である以上、分かりあえるということにおいて壁が生まれる。だからこそ少数者としていま置かれている状況をはっきり伝えていくことが何よりも大切なのだ。

同じ苦悩を抱えているから、とはいってもそれだけで分かりあえるものでもない。完璧に分かりあえるなどというのは困難なことなのだ。
手話もそう。
通じなかったりうまく伝わらないもどかしさを双方が抱えている。だからこそ分からなかったら分からないとはっきり伝えて、分かりあえるように歩み寄ろう。分からないからと切り捨ててしまうのは簡単。でもそれでは解決にならないから。

自然体で語りたい2007/07/07 23:02:44

千の風になって
今日から始まる朗読のクラスは、本来使うと決めたテキストではなく、ステージ発表に向けた各自のテキストを使い指導を受けることになった。

今回は当初、O・ヘンリーの『最後の一葉』か、絵本『だいじょうぶだよ、ぞうさん』、文語体聖書のいずれかを使うつもりでいた。
ある晩、『アンネの日記』はどうだろう、プロフットボール選手の自伝『スーパー・ランナー』、がんとたたかった子どもたちの絵本『雲のむこうに虹がある』は? という声がきこえてふいに目が覚めた。ほんとうはそんな声はしなかったのかもしれない。目が覚めたのはたまたまであり、昔読んだ本を思い出しただけなのかもしれない。しかし、初めは読むどころか候補にさえ挙げていなかった、これら3つを思いだし、目が覚めてすぐに本棚から取り出し、そして最終的に、『アンネの日記』に決めた。

音楽も同様だった。
初めは昨年と同じようにベートーベンの曲から選択するつもりで、ピアノソナタなど、2つのCDを購入した。しかし、『アンネの日記』に決めてからは、しっくりこない、合わないという思いがよぎった。
中学から高校時代にかけて見た、テレビ朝日系の科学ドキュメンタリー番組『COSMOS』。故カール・セーガン教授(コーネル大学惑星研究所所長)をホストに、宇宙のチリから生まれ、意識を持つに至ったわたしたちの宇宙への興味と発見の歩みと、宇宙の広大さ深遠さを語ったこの『COSMOS』で使われた、ヴァンゲリスの『イグナチオ』。このシンセサイザーによる、静かな音楽をBGMに、『アンネの日記』を読もうと思う。

そして今日。
『イグナチオ』とベートーベンの『第9』合唱部分などを収めたCDを、朗読の先生に発表会で使う曲として提出した。
肝心の読む方は、「日記なのだからもう少し淡々と、語りかけるように」というアドバイスをいただいた。
終わってから友人、手話サークルの方にご相談して、アムステルダム(アンネの隠れ家)アウシュビッツ(アンネが一時収容された強制収容所)ドレスデン(大空襲の被災地)を写したスライドを使うか。スライドではなく、単に平和の象徴としての十字架を大きく映して、横で手話を交えてわたしが語るか。
朗読の先生からのご返事がないいま、なんともいえないが、もしスライドの使用、手話を交える、この二つがゆるされたなら、いつも以上にもまして、しっかり準備と練習を怠りなくこなし迎えよう。
          
アンネ・フランク(1929年6月12日生まれ、1945年2月末から3月半ば? に死去)。もし生きていたら今年78歳。
どこかでみている、聞いていると信じて、真理子さんと、アンネに聞いてほしい。そんな思いを込めて、自然体で語りたい。

障碍が異なるということ または障碍の多様性2007/07/08 22:37:07

今日の礼拝はひさしぶりに前日の疲れが残ったまま出たために、とてもきつく疲れた。しかし説教を書いてメモを取ってくださる方もやはり疲れていらっしゃるご様子。慣れないことをお願いしているのだから、わがまま勝手なことは言えない。
疲れているのにもかかわらずサポートをしてくださる方に、ほんとうにこころからの感謝を捧げたい。

午後から地域の難聴者仲間と都内を歩いてきた。
「灯台もと暗し」とはよく言ったもの。訪れた場所は意外にもわたしの知っている場所だったが、実は今回初めて足を踏み入れた。緑がたくさん残っていて、鳥も飛んでいる。都会のど真ん中にまだこんな自然が残っているとは、驚いたとともに、とても強く感動したのはいうまでもない。

難聴者仲間といっても実にいろいろである。
手話勉強会で顔を合わせている方がほとんどだが、両耳に補聴器をつけて、補聴器を外すとまったく聞こえないわたしから、補聴器を外しても聞こえる方、片側だけに補聴器をつけている方、補聴器の必要性は感じているけれど近距離、顔を近づけたら聞こえるという方。障碍のレベルはさまざまなのだ。さまざまだからこそ多様性があり、それゆえにお互いを知る積極的な取り組みが欠かせない。

わたしも経験したことだけれど、横に立たれると口の動きが読み取れず不安になる。だから顔と顔を向かい合って話してほしいと、何度もお願いしたことがあるのだけれど、周りはなかなかそういうことに気づかなかった。
電車内で手話を使っておしゃべりをする光景はもうめずらしくもなくなり、「なんでこの人たちは手を動かしているんだろう」と奇異の目で見られることもなくなった。手話の社会における認知が深まったことがとてもうれしい。

今度はわたしたち難聴者である。
知り合って何度も話している仲間ならともかく、やはり相手によってはまた聞こえのレベルによっては、横に座るよりは顔と顔を向かい合わせてほしいと思う人もいるだろう。なぜなら、そうすることで口の動きがはっきりわかり、何を言っているのかわからないという不安にかられることが減るからだ。わたしも、横を向かれるよりは顔を向き合った方が手話が読み取りやすく、自然に話せる。

今日の仲間に、補聴器の必要性は感じているけれど近距離、顔を近づけたら聞こえるという方がいらっしゃった。
相手の立場、レベルや障碍ゆえの心理に合わせて寄り添うようになりたいとどこかで書いたが、またいつかこの方と会うことがあったら、手話ももちろんだけれど、顔を向かい合わせて口の動きをはっきりさせ、ゆっくり話すようにこころがけたい。
障碍の多様性は、お互いを認め合うという、豊かな優しい気持ちをわたしたちに抱かせてくれるのではないだろうか。

宇宙のチリから意識をもって……2007/07/09 21:56:09

昨日からの疲れがまだ残っているのだろう。今日も一日疲れた。

さて朗読でテレビ番組「COSMOS」内で使われた音楽をBGMにすると決めて、もう27年も前になる、テレビ番組の原作本を取り出してみた。
いま読み返しても、示唆にとむところが多い。

カール・セーガン博士はこう語っている。

「私たちは、宇宙の片すみで形をなし、意識を持つまでになった。私たちは、自分たちの起源について考えはじめた。星くずが、星について考えている。100億の10億倍の、そのまた10億倍もの原子の集合体が、原子の進化について考え、ついに意識を持つに至った長い旅のあとをたどっている。
私たちの忠誠心は、全人類と地球に対するものでなければならない。私たちは、地球のために発言する。私たちは生き残らなければならない。その生存の義務は、私たち自身のためだけのものではない。私たちは、その義務を宇宙に対しても負っている。時間的には永遠、空間的には無限の、その宇宙から私たちは生まれてきたのだから……」

これを読んだ27年前も、ばくぜんと、身近な世界ではなく、広いユニバースという規模でみつめるべきだということを感じた。
さまざまな経験を積み、視野が自分たちの身近な世界から、広く地球規模へ目を転じてみると、27年前のセーガン博士が書いたこの言葉はけっして色あせることなくいまなお、強く問いかけている。

いま梅雨だが、九州は大雨が続いた。東京も降雨がなかったり、あってもどしゃ降りのようだったり。極端な気候が続いている。どこか地球全体がおかしくなっているのはまちがいないのだろう。

セーガン博士が書いているように、地球と未来、宇宙のためにわたしたちは生き残ることができるのだろうか……。

足は第2の心臓2007/07/10 08:22:21

5月から2カ月あまり、歩数計をつけて、東京・お江戸は日本橋からスタートしたと仮定してどこまで歩いたかを記録してみた。一昨日は18440歩。トータルで52万歩を少し上回る記録を残した。終了時点での到着地は、名古屋の少し手前になるという。

うれしいような悔しいような。

わたしはカーレースのインディアナポリス500マイルレースが好きである。フォーミュラワンもいいけれど、オーバルコースを最長500マイル、メートルに直して800キロを、時速400キロオーバーのスピードで走る世界にひかれる。

だがヒトはそんなに速くは走れないし、800キロを一気に走るのも無理だ。

じゃ、歩くのはどうだろう?

東京から800キロ先というと、下北半島か高知県あたりらしい。

インディカーのようにとんでもないスピードで走ることは不可能だけれど、東京を起点に800キロ、500マイルを目標に歩いてみようか。

足は第2の心臓。