水彩画展2015/04/11 23:53:43

毎年この時期に国立新美術館でひらかれている、水彩画展に、わたしの母が作品を出している。
この展覧会を見に、妻と一緒に行ってきた。

といっても個展ではなく、水彩画の全国団体の展覧会に1枚出展したのだが、それでもこうやって絵画を出展しているのにはわが母ながらすごいとしかいいようがない。

ほかのみなさんの作品もあわせて見たが、どれも甲乙つけがたい力作ばかり。こういう視点もあるかという驚きがあれば、色使いが斬新なものもあるなど、それほど美術に詳しくないわたしでもひきこまれるものが多い。

肝心のわたしは、スケッチデッサンならまあ好きだけど絵筆を持ってカンバスの前に立ってみろといわれたらとてもできない。学生時代、なにがいやって美術の授業が好きではなかった。
親には申し訳ないほど、美術のセンスがなさすぎる。

まあ見るだけでも十分楽しめればそれでいい。

物が豊かになっていく、その一方で2015/04/12 23:30:15

生活が豊かになっていろいろ物があふれ満たされるようになると、どうも脳はその満たされた快感というか満足感によって、想像力というか考えていく力を低下させていくのかもしれない。

そんなことを考えたのは先日の手話教室のこと。

会話文の表現で、貸本屋をテーマにしたのだ。
怪人二十面相、シャーロック・ホームズ。江戸川乱歩など少年雑誌の小説などを夢中になって読んでいた。わたしも例外ではない。

たしかにテレビっ子だったし、「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」もよく見ていた。「ケンちゃんトコちゃん」というテレビドラマの主題歌に「漫画 怪獣 レスリング」というくだりがある。そう、漫画、ウルトラマンやプロレスだ。これらはみなテレビでも放送されていた。娯楽と言えばテレビのほかに本、絵本や小説といったものがあった。それは読み手に想像をたくましくさせ、空想力やイメージをふくらませるものばかりだった。たとえば怪獣のからだのなかはどうなっているのか、という特集を興味津々になって読んでいた。それはたしかにありもしない、非現実的なものだけど、そういう怪獣のからだのなかの構造や臓器の配置などから、現実実際の生物とはどう違うのか、という生物学への興味に向かっていった人もいるのではないだろうか。

いまはゲームがあって刺激が多い。
それらをすべて否定はしないけど、あまりにも刺激色が強すぎてこれでもかこれでもかと、刺激を受けさせやすいものが多い。かえって受け身になって慣れっこになり、感性がマヒしてしまいかねない。

わたしといまの子どもたちの状況は異なるし一概に論じられないのを承知の上で、けれどいまの子どもの環境は、どこかわたしたちのころより、想像力というか考えていく力において乏しくなっているのではないだろうか。

ダメおやじとダメ男が裏の主役?2015/04/13 22:46:12

毎朝、一緒に出勤するのは、妻と一緒にNHKの朝ドラを見てから。

今月初めに再放送が終わった『梅ちゃん先生』、何度もここで書いた『マッサン』、そのあとに始まった『まれ』。
共通点が一つだけあるのをご存じだろうか。
このいずれも、ダメおやじあるいはダメ男がかならず一人は出てくるのだ。

『梅ちゃん先生』は、梅ちゃんの父親、建造とお隣近所の幸吉がときにけんかをして周囲を困らせる。『マッサン』は世界に誇るウィスキーを、と意気込む一面、先を読むことに欠ける政春。『マッサン』のあとに始まった『まれ』はでっかい夢ばかり口にして娘、希や妻からあきれられる徹。

みていると、男がだらしないというふうに描かれているが興味深い。
現実はそればかりではないのだけど、朝ドラが女性を描いたものが多いだけに、男もしっかりしていたら女性を描くのは難しいのかもしれない。

技術ができたことはうれしい。一方で懸念している2015/04/14 23:26:39

聴覚障害者の会議参加スムーズに 富士通がシステム開発
http://www.asahi.com/articles/ASH4G4KC4H4GULFA00S.html?iref=comtop_list_biz_n01

たしかに多人数がいる場面、手話が分からない人が多い場所で、わたしたちろう者難聴者はこれまで、居心地の悪さを何度も痛いほど味わってきた。発言がリアルタイムに表示されたり流されたりするのではないから、発言を理解できたと思ったら話題はもうとっくに終わっていたり次に移っていたり。

しかし、これがあるからできたから、完ぺきだとか、手話通訳や要約筆記がいらない、といった短絡な発想になってはいけない。
技術の進歩開発は喜ばしいことだけど、手話、要約筆記にはそれ相応の利点があり、長い時間をかけてつくられ、わたしたちろう者難聴者が取得し、使ってきた。
こういう技術があるから、手話や要約筆記は時代遅れ、という考えが安易に聴者のあいだに広まることをわたしは懸念している。

はたしてどうなるか2015/04/15 23:51:12

今日は大気が不安定でところにより突風や雷雨があるという天気予報。仕事のあいまに外を見上げると、気のせいかわたしの職場のビル近辺に黒い雲がかかっている。妻に聞くと新宿もそうだという。
「冗談じゃないでしょ」といいつつ、仕事を終えて妻と合流、用件を済ませて帰りについたが、結局何も起こらずホッとしている。

ところがよく考えると、2013年、14年、今年と「春一番」が吹いたというニュースを聞かない。震災翌年の12年はあったのに。
今年夏がどうなるか予測できないけれども、ついこのあいだバヌアツを巨大なサイクロンが襲ったし、南太平洋ではその前にも同じようにサイクロンによる大きな被害が出ている。シリアの混乱、ISの台頭など政治的宗教的背景もあるだろうが、もしかしたら異常気象による干ばつなどがあるのでは、という報告も伝えられている。

はたしてこの夏、さらには地球全体の気象がどうなっていくのか。
宮城・山形県境の蔵王山(1841メートル)で小規模な噴火が起きる恐れがあるとして、火口周辺警報を出したというニュース。地震も毎日のように各地で起きている。日本も例外ではない。

パニックになる必要はないが、冷静沈着に行動していきたい。

ミジンコの歴史からニンゲンをみつめてみる2015/04/16 23:07:30

日本のミジンコ、起源は北米のたった4匹 東北大研究
http://www.asahi.com/articles/ASH486J9FH48UNHB00T.html

へえ~と驚くばかりのニュースだ。

遺伝子型は4種類だけで、どれも北米にいる種の雑種だった。わずかな変異の頻度から日本に来た時期を逆算すると、全国に広く分布する2種類は700~3千年前。西日本の一部で採取された2種類はごく近年だった。

この記事にあるように、700~3000年前に日本にやってきたとすると、そのころ北米から日本にやってきた人がいたのか? という疑問もある。どうやって北米からやってきたのか、とても興味深い。

それに比べれば、人類の歴史などちっぽけなものだと思う。
そのちっぽけな存在が、今日もどこかで殺し合い憎しみあっている。

いのちにかかわることだけに2015/04/17 23:25:23

65歳女性、四つ子を妊娠 なぜ? 危険はないのか?http://www.huffingtonpost.jp/2015/04/15/mother-65-quadruplets_n_7067604.html

子どもが欲しいと真剣に思っている人たちやサポートをしている人たちのなかには「こういう人がいるんだからあきらめないで」という人もいるだろう。
でもよーく考えるべきだ。母体の健康と子どもが大きくなる時間と、自分の年齢がどうなっているかを考えよう。けっして賛美賞賛されることではないとわたしは思うのだが。いくら技術が進んで高齢出産が可能になったとしても、いのちにかかわることはとくに、慎重であるべきだ。

既視感ノスタルジーをおぼえた2015/04/18 23:27:34

「朗読のレッスン」、2015年度4月期は重松清さんの『オニババと三人の盗賊』(文春文庫「季節風 秋」所収)。

とある街の、「馬場文具店」の店主、人呼んで「オニババ」。
かつては近くの城北小学校ご用達文房具店だったが、近くに出来たショッピングセンター内の文具店にお客を奪われるなど、商売は下り坂。老体にむち打ってはいるが、息子から3世帯同居を勧められ、店も閉めたらどうだと言われるのに不機嫌きわまりない。

そんなある日、3人の少年が、毎年夏の終わりにひらいている、花火の在庫一掃セールの商品を万引きした。とっつかまえてひっぱたいて警察に突き出したい。怒りでふるえるが、突然足に痛みがはしり、倒れてしまう。一度は逃げ出した少年3人だが、文具店に戻って万引きの理由を話す。
そこから話は意外な方向にすすんでいく……。

と、このさきは本を読んでいただくとして。

読んでみると懐かしいなあ、こういう少年、わたしが子どものころにはよくみかけたような、いやわたしもそのひとりだったかもしれない、という既視感ノスタルジーをおぼえた。
レッスンの合間に考えてみたら、「ズッコケ3人組」といった少年小説だったか、こういう、どこか憎めない少年たちが昔はあたりまえだった。

いまは、と言いたいところだけどやめておこう。あまりにも時代が違いすぎるし、いまの子供たちが置かれている状況はとてもそんなのどかなものとはほど遠い。

だからこそなんだろう。こういう小説に懐かしさをおぼえるのは。

肝心の、わたしのコスモス朗読会に向けた取り組みだが、これを読んでみたいという案ができてきた。
あす以降、時間を見つけて台本づくりにとりかかろうと思う。
手話通訳士先生や「朗読のレッスン」の講師のご意見をいただいてから、手話訳や、わたしの朗読舞台構成などもはじめたい。

言葉の温かさに恥じないように2015/04/19 22:08:23

週末。

礼拝から帰って頼まれた買い物をすませるなどしたあと、今年秋、9月26日に開かれるコスモス朗読会の台本初稿をつくった。

まだ完成していないし、講師にも提出していないのでここでは触れられないが、今年は私が朗読を学び始めたときに感じた朗読の原点に立ち返って、かつ手話でも語るということになるだろう。

昨日手話サークルで、おなじクラスの仲間に、ある新聞への投稿記事をコピーして配った。

投書にあるような、なんて楽しそうなと見えるばかりが手話ではないけれど、わたしたちも人間であり、communication、言葉を交わすために手話を学び、手話で語っている。
朗読は語りであるけど、ある意味communicationでもある。舞台上の語り手が語り、お客さんがそれを聞き取り読み取り、語り手の思いや気持ちを理解する。

ネット上でもリアルの世界でも、ときとして罵詈雑言、相手を傷つけおとしめようとする会話や言葉が飛び交う今日このごろ。
この投書主が感じてくださった、手話の会話で心温まったという言葉の温かさに恥じないように、手話を使い語っていきたい。

明日が心配2015/04/20 23:01:02

雨と地震、といっても与那国島で震度4という。一時はテレビ画面に津波注意報が出たほどだ。
手話学習から帰る途中も雨足はひどくなかったが、油断は禁物、明日が心配。

コスモス朗読会の台本をつくり、手話通訳士と一緒に検討をしてほぼ完成原稿にした。
今週中に朗読の先生に郵送して、手話訳づくりは今週から始めることになる。