まだ何も始まっていない 何も起きていない2009/10/09 22:32:54

職場のほとんどが帰ったあと、少し残って片づけなければならないものをこなしているあいだに、速報で入ったのは「アメリカのバラク・オバマ大統領に今年のノーベル平和賞を与える」という、ノーベル賞委員会の発表のニュースだった。

たしかに、プラハで多くの聴衆を前に「核兵器をなくそう」と発言、今年9月の国連安全保障理事会でも率先して核兵器廃絶へのリーダーシップをとった。それらが平和賞受賞の理由なのだろう。けれども正直言って、今の段階でオバマ大統領にノーベル平和賞がふさわしいかどうか。まだ早いのではないか。同僚は「口だけでまだ何もしていないじゃないか」と言った。それにわたしも同感である。

だが。まてよ。
理想主義すぎるかもしれないが、これまでアメリカ大統領で、直接核兵器廃絶を訴えた人がいただろうか。旧ソ連も含めた核兵器削減交渉に取り組んだといっても、やはりアメリカは人類最初の核兵器開発国であり人類の上に落とした最初の国である。そのことをオバマ大統領は認めてチェコ・プラハでの演説で「核兵器を使用した唯一の国」としての米国の道義的責任に触れたのではなかったか。

先日関西を訪れたときに、かつてご指導ご教示をいただいた牧師と昼食のさい、「いつまでも『誰が悪い、あれが悪い』と言っていては先に進まない。どこかで(国内の批判はあるだろうが)日本の首相が真珠湾へ、アメリカの大統領が広島へ来ることはできないか」と牧師に話した。わたしの脳裏に浮かぶのは、1962年、コンラート・アデナウアー連邦首相がフランスを訪れてシャルル・ド・ゴール大統領とともにラーンス司教座教会の荘厳ミサに出席したこと。ワルシャワのゲットー記念碑を前にひざまづいた、ヴィリ・ブラント連邦首相の姿が、1972年に西ドイツとポーランドの関係正常化につながったという。そしていまも忘れられない、ドレスデンの聖フラウエン教会でみた、空襲で焼けただれた十字架と、空襲に参加したイギリス空軍パイロットの息子が教会再建のさい寄贈したという十字架。

国際社会や外交は魑魅魍魎の世界でもあり、理想論など吹き飛んでしまう厳しい現実があるのもわかっている。
だが、だからといって何もしないままではいつまでたっても、平和はやってこない。

まだ何も始まっていない。何も起きていない。
けれども何かを起こすことはこれからでもできるのではないだろうか。
起こそう、実現させようと思った瞬間に、なにかが始まる。