月が変わって2009/09/01 21:15:40

今日から9月。長月、秋らしさが感じられる。
風邪気味なのだけれど、熱がないのでだいじょうぶ。

まだまだ日中は暑さが感じられるだけに、体調管理に気をつけたい。

あと2週間とすこし後、である。

『渚にて』2009/09/02 20:47:04

いま、三浦綾子記念文学館で購入したCD『ひかりと愛といのち』Vol.1をかけている。本来はこの記念文学館でしか演奏できないものなのだけれど、特別に許可をいただいて朗読で使うことにした。「レクイエム」を使う予定である。

昨日深夜にNHKBS2で放送された『渚にて』という映画。ベッドに入る時間を過ぎていたけれど、はじめのほうだけを観たのみ。

全編モノクロだけれど、核戦争後のオーストラリア、という設定。メルボルン市内を馬車が走り、メルボルン市内の最初の場面で「MAZDA」という広告看板が映っていたのには驚いた。

この作品が公開された1959年と言えば、まだ冷戦真っ最中。ソ連とアメリカを中心に、核による抑止力、平たく言ってしまうと、お互いに多くの核ミサイル、核兵器を持ち、いつ頭上に落ちてくるかわからない。その恐怖が核戦争を呼び込まない、という考え方であった。劇中でも「共産圏に……殺された」というせりふがある。なまなましい対立の時代だったのだ。いまの若い人には想像できるだろうか。

時間がすぎて、第2次世界大戦から70年。
ポーランドで、第2次世界大戦開戦70年を祝う祝典がひらかれた。
だがこの国はナチスに侵略され、国内に虐殺のための強制収容所を建設された被害者である。ソ連とドイツにはさまれ、いくつもの辛酸を味わった。
70年たっても苦しみはいやされない。どころか、ポーランド国内にアメリカがミサイル迎撃基地を建設するなどという話が出るに及んで、一時は新たな冷戦か、とさえ言われた。

わたしはオバマ大統領の核兵器をなくそうという発言に同感である。
現実にはなまなかなことではないのは十分理解している。けれど、このままでいいのか、たとえば北朝鮮が核ミサイルをもったから、さあ日本も、というのはどうだろう。あいつがやったからこっちもやっていい、という理由が成り立つものだろうか。

いま一度、わたしは思う。
未来のわたしたちの子孫、子どもたちにこの星を渡すことができるだろうか。
理想といえばそうではあるけれど、戦いのない平和なくらしが営める世界を、子孫に贈ることができるだろうか。

機会があったら『渚にて』を初めからきちんと見てみたい。

なぜ壁になっているのだろう2009/09/03 22:38:57

仕事が終わってから新しい職場の人たちとのむ機会があった。
周りは聞こえる人ばかり。手話ができないので、筆談しか方法がない。しかし、筆談してくれた同僚は、筆談を専門というか、わたしの筆談のためだけに同席してくれたわけではない。彼ものみたいし、話がしたい。だから彼の邪魔、負担になってはいけない、と、聞こえなくても適当に相づちを打ったり話がわかっている「ふり」をした。「ふり」をするのはほんとうは精神的にもよくない。無理やりつくり笑いをして演じているようなもので、こころの底から楽しいとは思えない。だが、そういう場もしかたない。無理やりであってもそういう場と雰囲気を楽しむくらいの、おおらか、ゆったりした気持ちが必要なのかもしれない。

とまで書いて、今日のある新聞、夕刊にこんな記事が出た。

「聴覚障害者の政治参加を保障するためには、政見放送の手話通訳は欠かせない」。当然である。手話だけが政治参加を保障するための手段ではないのだけれど、たとえば字幕や要約筆記なども含まれるけれど、ここでは手話について取り上げたい。

ついでこう書いている。
「政見放送の収録に対応できる人数の手話通訳士を、各地で確保できるかどうかが壁になっている」。
なぜ壁になっているのだろう。その壁とはなんであるか。

ここにひとつの答えがあるかもしれない。
このあいだ購入した、障害者・保育・教育の総合誌『福祉労働』123号(現代書館)のメーンテーマは、「情報保障・コミュニケーション支援」である。

これに、「『情報保障』への、かくも遠き道のり」と題して、永井哲さんという方が文を書いておられる。
永井さんによると、手話通訳士の地域による偏りが大きいのだそうだ。具体的にいえば、2009年1月現在で、東京は522人。神奈川県が242人。埼玉県は157人。いっぽうで、佐賀県が4人、沖縄県は7人、福井県は8人、などと、地域による差が大きい。現状として手話通訳者の不足という問題がある。

とともに、政見放送以前に、手話通訳または手話に対する認識理解がまだまだ低いというのも事実ではないだろうか。
わたしも何度も経験したことだが、会議で手話通訳士の同席を求めても、機密が漏れるなどという口実(言い訳?)で断られる場合が多い、と永井さんも書いておられる。
手話通訳士や要約筆記者の名誉のためにもはっきり書いておくが、手話にしろ要約筆記にしろ、守秘義務が課せられていて、他者にもらしてはいけないのだ。裁判員制度で判決を下す前の評議などについて生涯守秘義務が課せられているのと同じくらいに。
そういうことへの理解が足りないから、手話通訳士になりたいとか目指そうという人が少ない。

今回のわたしの舞台でも、見に来る難聴者やろう者のために、手話通訳をおいてはどうか、と提案した。が、残念なことにいい返事は得られていない。永井さんは「講演会や演劇などで手話通訳は目ざわり」などという容認できない理由で拒否されたり見にくい会場のすみに追いやられたりすることがある、と書いている。聞こえない人が楽しめない舞台はつまらない。説明のために「サービス」と書いたけれども、本来はサービスなどという次元ではなく、予算の都合でつけられないというものではなく、当然の情報保障なのだ。手話通訳は聞こえない人にとって大事な情報保障である。これはいくら主張してもしすぎることはない。

手話はあくまでもコミュニケーションであり情報保障である。聴こえない人たちの、自己表現、何かを伝えるという幅広い意味で、聴こえない人たちによる手話ソング、手話演劇や手話落語だとか手話つき朗読だとかというものもある。いろんなことを言われるけれど、わたしは生あるかぎり、天に召されるまで、これからも手話ソングと手話つき朗読にこれからもチャレンジし続けたい。

この記事では福祉科などで手話を取り入れている高校がある、と書き、ついで「将来手話通訳士を目指したい」という高校生がいるのだとも書いている。だったら、その芽をつぶすことのないように、手話への理解がもっともっと広がってほしい。手話をおもちゃ程度に考えてほしくない。
聴こえない人にとって必要不可欠な存在である。目の見えない人が点字本や点字ブロックを必要としているように。

想像してみてほしい。
もし明日から言葉が奪われたり聞こえなくなったりしたら、情報が手に入らない、人とのつながりが断ち切られたら、あなたはなにを望んでいくのだろう。あなたはどうするだろう。

自分を信じきること2009/09/04 23:04:35

9月に入って最初の金曜日。
仕事の後で朗読の手話表現のご指導をいただいた。

おおむねろう者にも難聴者にも読み取ってもらえるだろう、とのこと。
だが、問題がないわけではない。

わたしは声だけの朗読のときもそうしているように、手話つきでも、直立不動ではなく、客席全体を見渡して、客席奥まで届くようにと、からだを動かしたり目線を奥へやったりしている。いちばんやってはいけないのは、原稿を見ようと下を向くこと。視線がお客さんに向けられていないと、お客さんに伝えたいことが伝わらず、まるで独りよがりになってしまう。そうではなく、お客さんひとりひとりとまではいかなくても、客席を見渡し、お客さんをじかに見ることで、伝えたいという気持ちを表したい。いい意味で客席と演じるわたしのあいだにキャッチボールをうながしたいのだ。
だが、そうするときに腕が流れてしまうことがある。腕を固定させること。

次には、メリハリをきかせることだ。
事故場面を3つにわけてみた。
事故が起きて客車内に緊張がはしる。信夫が凛とした声で乗客を制した。
客車を止めようとする。一度は速度が落ちるものの、なかなか思うようにいかない。あせる。そして50メートル前方に急勾配を発見、ふたたび客車を止める作業につく。
速度が落ちたいまなら、自分のからだで止められるかもしれないと判断して、身を線路と客車の間に入れた。そして――。
それらをゆっくり演じるのでも、あわてたり速くしたりするのでもなく、緊張と間をおいて読む。そうすることで、最後の2つの回想場面が生き生きと描かれていくのだ。

声は明日2回指導をいただき、手話はあと1回。
ここまでこれたのはわたしひとりではない。声、手話、両方の講師や通訳士の先生方、わたしにとって大切な人の存在なしにはありえなかった。
だからこそ感謝をこめて、自分を信じきること。
苦しいことが多かったけれど、自分を信じきることで神さまを信じ、いつかわたしも神さまのみもとへ行くまで、よりよく生きていきたい。
その始まり、ファーストステップが、今回の舞台である。

あきらめたらそこで終わりだ2009/09/05 23:41:54

午後から朗読のレッスンで、仲間と合同で発表会に向けた小練習。そのあと軽食をはさんで夕方からカラオケボックスに入って実技と声の指導をいただいた。

そこで出た課題は、ある意味、重い課題であった。
つまり発音である。

「麦」「名寄」という単語を発音する。ときにわたしのそれは「ムニ」であったり「ネヨロ」であったりするらしい。濁音のつもりが鼻濁音になっているのだそうだ。
みなさんからは「聴こえる人と同じくらいの発音だ」とおっしゃられるが、それでもこういうご指導をいただいたこと自体が、致命的とまではいかないにしても、やっぱり聞こえる人と比べると、難しいのかな、という気がする。正直言って恥ずかしかった。
けれど、あきらめたわけでもやめると言ったわけでもない。
わたしには手話がある。
あきらめないことだ。実際、やってみてきちんと濁音になったのだから、できないわけではない。あきらめたらそこで終わりだ。

写真は、朗読のレッスンで講師につけていただくピンマイク。
舞台上でも、手話の動きが制約されないように、ピンマイクがほしかったのだけれど、会場にはスタンドマイクしかなく、マイクに気をつけて音が入るようにしなければと思う。しかし気をつけ過ぎて手話が窮屈になってもいけない。

泣いても笑ってもあと2週間。
わたしはこれからもずっとこの朗読つき手話に取り組み続けたい。
今回、来てもらえるかどうかわからないけれど、誰よりも大切な、来てほしい人がいる。
もし来てもらえなかったとしても、この9カ月間取り組み続けた、ということはきっとどこかで実るのだと信じている。
誰よりも神さまがちゃんと見ておられるのだから。

2時間くらい眠らせてもらった2009/09/06 21:01:01

疲れたのだろう、よく行く銀座の本屋さんで眠らせてもらった。2時間くらいだろうか。

昨日のサークル後の居酒屋はあまり楽しくなかったね。

まあこんなものだと思うだけにとどめる。

銀座の本屋さんで手話辞典を注文した。早く届くといいのだけど。

少しうれしい2009/09/07 22:20:17

気分が重苦しい週明け。誰もいない職場へ出勤する途中、携帯にメールの着信があった。
それは、劇場の音響スタッフの厚意で、ピンマイクをお借りできることになった、というものだった。

少しだけ気持ちが軽くなった、ような気がする。
スタンドマイクを気にしてしまうとどうしても動きが小さくなって窮屈になるような不安があった。

劇場のスタッフの方にも、ご指導くださる講師先生にも、こころから深く感謝お礼を申し上げたい。

昔はあたりまえだったけれど2009/09/08 22:24:52

わたしが小学校から高校時代にかけて、学校では教室やトイレを掃除するというのは至極当然にあたりまえのことだった。
学校という、公共の場でありかつ、仲間、先生とある時間をともに過ごし、勉強、学問の知識だけではなく、校則などの社会ルールを守り、さらにはともに学ぶ場である学校の大切さを、掃除という方法で学んできたのではなかったか。

ところが最近は、用務員(この言葉もあまり用いられないそうだが)さんや業者に任せて、児童や生徒が掃除をすることが少なくなってきたのだ、という。
それではいけない、社会ルールを学ぶべきだ、と、トイレや教室を掃除しよう、というプログラムがある小学校があるという。

もちろん反対意見もある。
衛生上、よくないという保護者からの声や、一方的な昔ながらの強制や押し付けでは身につかない、という意見がある。

けれど、どうだろう。
自分たちが使う教室やトイレは、家に帰ればそのまま、リビングのテーブルであったり部屋の机であったりふろ場やトイレではないか。
もし、強制や押し付けがよくないとしたら、学校ではなく家庭で教えてはどうだろう。学校に対する批判ならまだしも、家庭でできることがあるのに、むしろそこから始めるべきなのにそれをせずに、学校に非難の目を向けるのはいかがなものだろうか。

いろいろなことを掃除から教わった。掃除のうまいへただけではない。
高校生にもなればずるく立ち回るやつがいて、特定の生徒しかやらないなんてこともあったけれど、それはそれでまた、やらなかったり逃げ回ったりした生徒も何年か経てば家庭をもつ。そのときに自分の家を掃除してきれいにすることと向き合わなければならない。避けたり嫌がったりしてきて、自分の家の番になったとき、彼らはどうしただろう。

あこがれのクラスメートと一緒に掃除をしたときの甘酸っぱい思い。チョークのついた黒板を力いっぱい水でふいたこと。
そんな遠い昔の記憶さえも妙に懐かしくなってきた。

ノンアルコールビールが楽しみ2009/09/09 23:30:38

まだ9月にはいって10日もたたないのに、外は6時を過ぎるともう暗くなってしまった。「光陰矢の如し」をつくづく実感させる。

コンビニにはおでんが並ぶようになった。それに比べて、アイスクリームは、昨年ほど暑さが感じられなかったからか、売れ行きがよくなかったときく。
あまりおでんは好きではない。むしろなべ料理のほうがどちらかといえばホッとする。石狩ナベとかジンギスカン、なべ料理ではないけれど、もんじゃやお好み焼きもこれからの季節にはおなかを満たしてくれるに違いない。

舞台が終わったら、冷蔵庫に一本だけ置いてあるノンアルコールビールをあけるのをいまからとても楽しみにしている。
つまみは、なんにしようかな。焼き鳥にキュウリなんかいいね。

久々にラケットを握った2009/09/10 23:42:33

一日、風邪気味ですっきりしない体調。会議に出ても話がほとんど聞こえず、とても疲れたのだけれど。

久しぶりに卓球の練習に参加してきた。
2人だけの練習だったのだが、速い打ち合いが何度も続き、楽しい。気のせいか練習中は風邪を忘れていられた。

ラケットを横にして、球を打つ瞬間にひじ鉄をくらわすように横にずらしてスマッシュを打ってみた。球が思った以上に、速く、飛んでいく。
台にべったり張り付いて緩い球、ネット際の球にも対応できた。

疲れもあることだし、また風邪を早く治したいから、今日はこのへんで。