無関心こそは愛の反対である2013/10/12 21:32:21

東日本大震災から、2年と6カ月が過ぎた。
連休をどう過ごそうか、妻と夏からいろいろ相談を重ねて、またちょっとした意見の食い違いもあったが、いま宮城県仙台市に来ている。日本基督教団東北教区センター<エマオ>が取り組んでいる、被災者支援ボランティアのためだ。

けさ6時に起きて昨日購入したおにぎりやサンドイッチをおなかに収めてすぐ、仙台市錦町にあるエマオに移動。簡単なボランティア活動の説明を受けて車で移動した。はじめに訪れたのは、若林区荒浜地区。あの日9メートルの巨大な津波が押し寄せ、186人のいのちが失われた。
農林水産省の農地復興事業のため大型トラックが行き交うほかは、草と荒浜地区に建つ小学校の校舎だけ。荒浜地区の海水浴場はいまも遊泳禁止になっているという。

車でエマオの倉庫があるビニールハウスへ向かい、自転車でボランティア活動の目的地、Sさん宅に到着。Sさんは81歳のご高齢だが両耳に補聴器をつけているほかは、まったく壮健そのものに感じられる。
 
午前中のボランティア内容は畑に種をまき、ミニビニールハウスをかぶせる作業。昼食の後、土を掘り起こして縦2㍍、深さ50㌢、横5㍍に土を馴らす作業だった。
雨が降り出して作業を終え、自転車から車を乗り継いで錦町に戻り、ほかの作業をしていたボランティアワーカーやエマオのスタッフらと、交流と反省の会を計2時間、夕食を1時間ほどもった。

いろんな話が出た。
宮城県の地名には「白石」「伊達」というように北海道の地名と同じものがある。つまり北海道と宮城のつながりはそれだけ深いものがある。
ボランティアは、支援してやろうという上から目線でやっているのではない。あわれみの気持ちで来ているのでもない。ボランティア活動を通して、自分の生きる意味や、想像もつかない巨大震災にどう向き合うか、被災者とともに生きるとは、といったことを考えさせられ、さらにはそれまで出会ったこともないワーカーと深いかかわりをつくるなど、大きな成長を遂げていく。

話を荒浜地区に戻す。
大きな仏像とともに、犠牲になった186名の氏名と享年が記された慰霊碑があった。
そのなかには男女さまざま。90歳の人もいれば、わたしと同世代、40歳という人、4歳という人もいた。
生きていれば、いろんな夢があっただろう。結婚もしたかっただろうし勉強もしたかっただろう。生きていたらいろんな体験ができ、希望も喜びも楽しみもあったはずだ。
しかしあの日、一瞬にして生を断ち切られてしまった。

わたしたちができること。
被災者のために、そばにいること、と軽々しくは言えない。
けれどこれだけは言えるかもしれない。
生きたくても生きられない人がいた。その人たちに恥ずかしくない人生を生きようとする義務が、わたしたちにはある。いのちを断ち切られた人たちのぶんも、いまからでも遅くない、精いっぱい日々できることをやり遂げよう。

もうひとつ。
Sさんとの会話で、津波で墓が流された。骨が入ったつぼは残ったけれど、墓がないからご先祖様に申し訳ない、と言っている、と。
わたしたちは一人のいのちが失われると目を向けるが、多くの人となるとなかなか想像力を働かせにくい。
そして墓がないという人々の悲しみや、震災を思わせるものがなくなるとサァーッと興味も関心ももたなくなり目を向けようとはしない。
それではいくらお金をかけようがハコモノを建てようが、復興にはほど遠い。
ネットやテレビであの日の出来事を知ることはできる。だがそこに生きていた人、生きている人の声はわたしたちには届かない。
ひとりでも多くの人が、いまからでも被災者のもとに来て話を聞いたりじかにこの目でみてほしい。

無関心こそは愛の反対である。