意識して手話を使っていかなくては2011/12/07 22:01:29

職場や教会など、手話のわからない聴者が多いところは、言葉は悪いけれどしかたない、と思う。けれど、サークルやろう者、難聴者、手話のわかる聴者がいるところでは積極的に手話を使っていかなくては。

仕事のあと手話サークルへ移動。話題満載で、海外旅行、フットボール、外国での食事、などなど尽きない。
その後場所を変えてレストランで、聴こえないということについて、ろうでもあり中途難聴でもあり、聴者でもあるわたしのややこしさ、などこれまた楽しい話ができた。

聴こえないわたしには、たとえばスプーンを食器にぶつけるときや冷蔵庫のドアを閉める音、歩く足音、といった生活音がわからない。聴者からみるとうるさい、やかましい、と思われるらしい。それを教えてくれるとありがたいのだが、言い方や感情によってはトラブルになることもある。

要するに、お互いの文化や生活の違いを理解していくということ。聴者からみたろう者・難聴者と、ろう者・難聴者からみた聴者。双方が自分を正当化するのではなく、双方が認め合えるようになれば、ずっとお互い居心地よく生きていられる。

手話脳をつくる。いいかれば積極的に手話を使うことができる場では、手話で表すことに意識と手を集中させることが大事。
ろうでもあり中途難聴でもあり、聴者でもあるわたし、補聴器をはずすとまったく聴こえない、無音のなかにいるわたしは、身につけた音声日本語と手話の両方で生きていくしかない。
だからこそ手話脳を育てていかなくては。