悩み迷うだろう2009/03/04 22:03:29

5月からはじまる、裁判員制度。
わたしはまだ選ばれたという連絡がないけれどいつかは選ばれることになるかもしれない。

市民感覚が入ることによって、より公正な、ひらかれた裁判を目指す、というのはわかる。しかし法律にも裁判にも専門知識がない一般がはいることで、かえって報復につながらないか。そんな不安と危惧を正直言って感じる。

昨日の新聞に、宗教にかかわる人たちが悩んでいる、という記事があった。

クリスチャンとして、もしわたしが裁判員制度に選ばれたらどうするだろう。ましてかかわる事件が凶悪犯罪であり死刑をまぬがれないとしたら、それでも死刑は反対だ、と立場を貫けるだろうか。
わたしは基本的に死刑には反対の立場である。「目には目を」は報復ではない。神によっていのちを与えられた同じ人間であるわたしが、法律があるからといってほかの人のいのちを奪うことに加担していいのか。わたしに、ほかのひとのいのちを奪っていいという資格も権利もない。あるのはただひとつ、どんなにひどい悪人としても、究極にはより良い人間に変わることができる。人間のもつ、成長しよう変わろう変わりたいという意志を奪ったり否定したりしていいのか。

わたしだって25年前に洗礼を受けたけれど、はっきり言ってわかったうちにも入っていなかった。ただいろんな過ちや見苦しい失敗やうれしい成功やら、積み重ねてきてここまでこれた。だからいまがある。
同じように、人間には変わるきっかけがあるはずだ。アンネ・フランクではないけれど、わたしは人間の本質は善だと信じたい。

もうひとつ。
法廷に出た時、情報保障がどこまで得られるか。
手話通訳がいるだろうけれど、法律上の概念を表現する単語はどうするのだろう。

新しい手話の動画サイトのウェブサイトを見ると「なるほど」と思う表現があるいっぽうで、わからないだろうなあと感じる表現もあった。
前者はたとえば「論告」。指文字「ろ」を頭の上において、片手親指と人さし指をひらいて「レ」のかたちにして口から前へ言うように出す。「求刑」は両手を重ねて前へ出す、「求める」のあとに両手の中指と人差し指を交差する。「刑」のつくりを表わす。
反対にわからないかもしれないのは「伝聞法則」。片手人さし指を前から回して片方の耳へ当て、(伝え聞いた、という意味)もう片方の手の甲を前へ曲げて出す(指文字「ホ」)、耳にあてたほうの手の人差し指と中指で上から下へ、則の「リットウ」を表わす。

裁判員として参加するろう者、難聴者にとっては、手話も含めた情報保障が大事だ。かといって裁判の進行が遅れたり妨げられたりしてもよくない。
これからがほんとうにたいへんなことだろう。なにせ手話表現も含めた周知が欠かせないからだ。
全国手話研修センターのウェブサイト  http://www.com-sagano.com/

日本手話研究所 厚生労働省委託 手話研究・普及等事業新しい手話の動画サイト     http://www.newsigns.jp/