分かりあうということはほんとうに難しい2009/02/01 23:41:57

教会の礼拝を終えて都内、わたしが昨年春まで住んでいた区の区民館でひらかれていた、ろう者のイベントに参加してきた。
お会いしたことのある人、手話通訳でご指導をいただいた方など、何人かと顔を合わせた。手話の世界というかろう者、難聴者の世界は意外と狭い。

いろいろ感じることの多いイベントだった。
ひとつだけ挙げるとしたら、立場を超えて分かりあうということはほんとうに難しいということだ。
どうしても人間は自分の経験はもちろん、見たり聞いたりした範囲でものを言ったり判断したりする。
自分と異なる立場、存在の人にどう、自分のそれを理解してもらうか。

自分ももっともっと謙虚にならなければ。

ただひたすら祈りたい。正しさを主張するとともに謙虚になって他者をみつめることができますように。

Super Bowl XLⅢ2009/02/02 23:36:18

現地時間で2月1日、フロリダ州タンパのレイモンド・ジェームズスタジアムでひらかれた、2008年シーズンのNFLチャンピオンを決める、第43回スーパーボウル、ピッツバーグ・スティーラーズ対アリゾナ・カーディナルズの試合は、逆転に次ぐ逆転の末、27-23でピッツバーグが6度目のスーパーボウルチャンピオンに。
ピッツバーグ・スティーラーズは1933年創立。当初はメジャーリーグと同じパイレーツを名乗っていたが、ピッツバーグが鉄鋼産業の街であることからスティラーズをチーム名に。NFLで数少ない、チアガールダンシングチームをもたない球団である。
第9回(1975年1月12日、ピッツバーグ16-ミネソタ6)、第10回(1976年1月18日、ピッツバーグ21-ダラス・カウボーイズ17)、第13回(1979年1月21日、ピッツバーグ35-ダラス・カウボーイズ31)、第14回(1980年1月20日、ピッツバーグ31-ロサンゼルス・ラムズ19)、第39回(2006年2月5日、ピッツバーグ21-シアトル・シーホークス10)。そして今回第43回大会の計6回スーパーボウル勝利は32あるNFLチームで最多。1996年1月28日の第30回大会、ダラスに27-17で敗れたのがあるだけだ。

ゲーム記録を見ると、ファーストダウン獲得回数が20-23(ピッツバーグ、アリゾナの順)。パスによるファーストダウン獲得回数が12-20に対してランによるファーストダウン獲得回数は4-2。アリゾナのQB、カート・ウォーナーの持ち味である多彩なパス攻撃と、ランナーにボールを持たせるピッツバーグの違いだ。
プレー別獲得ヤードを見ても如実に表れている。
トータル獲得ヤードは292-407とアリゾナがリード。ランによる獲得ヤードはアリゾナの33を超す、ピッツバーグの58。反対にパスによる獲得ヤードがアリゾナが374に対してピッツバーグは234。
もっと注目するのはキッキング。アメリカンフットボールはボールをけらないと思うだろうが、タッチダウン後のフィールドゴールではない、攻撃権を放棄するパントというキックプレーも重要な位置を占めている。なぜなら攻撃権を放棄するためにけるということは、いい位置からの攻撃をさせないか、ということだ。だから遠く(よりフィールドの奥深くへ)高く(滞空時間があればあるほど、相手チームの選手がボールを持って走る前にブロックすることができる)。
そこで両者を見ると、3回、46・3ヤードのピッツバーグに対し、アリゾナは5回、36・0ヤード。回数が多くても距離を稼げなければ意味がない。
さらにパントリターンは2回5ヤード、2回34ヤード。アリゾナがリードしている。意外なのはQBの被サック数(タックルされた回数)。ピッツバーグのベン・ロスリスバーガーが2回22ヤード喪失しているのに対して、カート・ウォーナーは2回で喪失ヤードはたったの3ヤード。これは驚きだ。鉄壁のピッツバーグ守備陣からアリゾナの攻撃ラインがよくQBを守った証と言える。

ともあれ、個人的にはこの43回大会、後世に残る素晴らしい内容だと言っていいと思う。
子どものころ見た、ブラックのヘルメットにブラックジャージのピッツバーグは、男っぽさムンムン、軟弱な男など寄せ付けない印象だった。
そのピッツのライバルが、わがオークランドだったのである。

……。悔しい。
2009年シーズンこそ、オークランドのスーパーボウル出場を期待したい。

次回のスーパーボウル、第44回大会は同じフロリダ州マイアミのドルフィンスタジアムで、2010年2月7日開催予定だ。

ただの離れ業ではなくて2009/02/03 21:02:35

昨日の第43回スーパーボウルについて、もう少し書いてみたい。

第4Qのロスリスバーガーからホームズへの逆転タッチダウンパス。
日本の新聞でも掲載された、ホームズのキャッチング写真は、ほんとうにつまさきだけピンと伸びている。
それを取り上げているのは当然のことだけれど、プロとカレッジの違いを知らないと、ただ単にすごいプレーとしか取り上げられない。言いかえるとフットボールについての知識や選手経験がある人には、あのプレーはただの離れ業なんかではないと思うだろう。

カレッジ(アメリカではNCAAルール)で、パスキャッチは片足がフィールドに着いていれば、残りがフィールドから出てもパスキャッチ成功とみてくれる。もちろんケースバイケースで、すべてそうだとは限らないけれど。
ところがプロは両足がフィールドに着いていなければならない。サイドラインやエンドゾーンぎりぎりでは、絶対に両足が着いていなければ、パス成功とは扱われない。
だからプロ入りしたばかりのルーキーはこの違いで苦しむことになる。

あのプレーはそういうプロとカレッジの違いを理解していれば、ただの離れ業なんていう扱いはできないはずだ。

もっともあの残り時間何十秒もない場面、迫ってくるアリゾナ守備陣のラッシュをかきわけてよくもまあ、ターゲットをみることができたものだ。よほど普段からのQBとWRのコンビネーション、息を合わせ、なおかつ追いつめられた状況、エンドゾーン間近という場面で、いかにあせらずあわてず、ターゲットとなるレシーバーをみつけ、レシーバーもパスカバーに入ろうとする守備バックスをかきわけられるか。ロスリスバーガーだけではなく、オフェンスラインの支えなしにはできなかっただろう。もしオフェンスラインがしっかりQBを守ってくれなかったら、パスを投げることはできなかっただろうし、投げてもしインタセプトでもくらったら、もうおしまいだからだ。

まさにプロだからこそできる、離れ業ではない<スーパープレー>だ。

わたしにも何かがあるのだと思う2009/02/04 22:01:06

2月に入って少しずつ暖かさを感じるようになった。けさはいつもより2時間ほど早めに家を出た。途中空を見上げると曇り空だが、ついこのあいだまで真っ暗だったのが、明るくなってきた。
理髪店で散髪をしてもらう。まるでシュークリームのような頭からすっきりできて、ホッと一息。

昼食を同僚上司と一緒に。異動歓迎会というわけで楽しく会話を交わして過ごせた。

残りの人生、というにはまだ早いと言われるかもしれないけれど、だんだんそういうことをリアルに感じる年になってきた。若いときはまだそこまで切実に感じていなかったのが、おぼろげに、そして少しずつはっきりとしたかたちで、人生の終わりというかしめくくりというか、残された時間を見つめるということを考えざるを得なくなってきた。

なにをしてなにをしなかったか。つまらない人生で終わりたくない。何かを遺していきたいね。そのために、わたしにも何かがあるのだと思う。

ゆったりしたおだやかな気持ちと、確固たる目標をみつめつつ。

こころの底から2009/02/05 23:22:19

ここ数日、朝早くに自宅を出る。だいたい6時前後だろうか。
先月27日の記事にアップした写真はまだ暗かった。ところが昨日今日はもう明るくなっていた。

新聞には沖縄でもう桜が咲いているとあった。
そんな時期になったのか。

で、今日。
仕事の合間にごく軽い過眠症、眠気を感じたけれど、それ以外はたいしたことはなく、集中して一日を過ごせた。
いつ以来だろうか、卓球を終えてから空腹を感じ、軽食をとってしまった。

卓球でもソングダンスでもステップワークが大事なのだけれど、意識していくようにしたい。卓球では台の左右に飛んできた打球を打つとき、反復横跳びの要領で足を運ぶ。あるいはネット際と左右どちらかにきた球への対応は、右へ来たなら左足を軸にして三角形を描くように動く。けれど思うように足が動かない。年のせいもあるけれど(笑)いったん身についてしまったくせがなかなか直らない。
今日はそんなことを練習内容に加えてみた。

こころの底から集中しながらおだやかに、ゆったり過ごして。休む時は休んで。
明日もまた、よりよく一日を生きよう。

あわてることはないよ2009/02/06 22:28:22

ベートーベンのピアノソナタ第14番作品27の2、「月光」を聴きながら書いている。なんとなく第1楽章と第2楽章が印象に残る。

昨日あれだけやったあとで、けさ、太ももの前部がとても痛い。突っ張ろうとすると張る。筋肉痛だろうからあまり気にしないことにしているけれどね。どうせ1~2日たてば元に戻るから。

おだやかな気持ちが続いて、今日も終日ゆったりと仕事に向かうことができた。

なにものにも左右されず、かといって断固として動かないというような頑迷さではない。
わたしの歩みはかならず見ている方がおられるのだから、というような、泰然とした気持ち、だろうか。

いま先日購入した、海援隊のアルバム「3年B組金八先生 Theme Song Collection」を聴いている。うーん。世代だからだろうけれど、第1シリーズの「贈る言葉」、第2シリーズの「人として」、第3シリーズ「声援」まではなんとかついていけるけれど、そこからさき、新しいのまではもうだめ。
でも覚えたいからねえ。なんとかやってみようか。

明日は朗読と手話サークル。

いいものをつくりたい いいものを遺したい2009/02/07 23:22:53

2週間ぶりの手話サークルと先週に続いての朗読のクラス。
朗読のクラスでは講師は「情感のこもった読み方をされましたね」と講評してくださった(というのはあとから聞いた話)。

例年に比べてかなり早いのだけれど、9月の舞台に向けて取り組みを始めている。今月末の旭川行きもそのひとつだ。

なぜだろう。
やっぱりいいものをつくりたいから。やってよかったねと言われたいし、できたら昨年来てくださった方、あの人この人に、また来ていただきたい。

今日の新聞に、「虹と雪のバラード」が取り上げられていた。
その記事中にこんなくだりがある。

「この曲にかかわった関係者はヒットなんて考えなかった。後世に残る堂々としたいい曲を作ろうと考えてその通りになった」

最近になって強く感じていることがある。
人生は一度限り。だれもがたった一度の人生という舞台の上に立っている。そしてだれもが舞台の上で光り輝く可能性をもっている。
わたしはどうしたいだろう。
だれかのために生きたい。大切な存在のために生きたい。それがかなわないなら、つまらない人生ではなく生きてきてよかったといえる、堂々と終わりのときによかったねと言ってもらえる何かを遺していこう。名誉だとか富だとかではなく、仕事も朗読も舞台も、取り組んだことひとつひとつがいいものであるように。
無名のままでもいいから、きれいな夕焼けのように、後世に残る堂々としたいいものを遺そう。

評価なんて、神さまにおまかせしよう。

誰とも会わず 会話も手話もしていない一日2009/02/08 18:30:45

テレビとミニヘルメット
今日は朝食と昼食をとりに出かけた以外は、一歩も外に出ていない。それどころかほとんど会話も手話もしていない一日。

テレビが壊れてしまい、ほとんどDVDと衛星放送しかみることができなくなってしまったのだが、冷蔵庫もついでに機能不足で、思い切って両方とも買いかえることにした。
今日はその配達日。
配達のかたが来られる時間が教会から戻る時間と重なるため、礼拝を休んで終日自宅で過ごした。しかたないね。ひとりだから。

誰とも会わず、テレビを見るか、先日録画していたスーパーボウルをみたり手話レッスンのテレビ番組をみたりしてひとりで過ごす。ちょっと精神的には厳しいけれど。

実は昨日からものすごい疲労感があっていまも体調がすっきりしない。かなりやせたなと自分でも思う。

これから夕食を、と思うけれどさて。

明日からまた、新たな始まり。

どっちなんだい?2009/02/09 22:29:14

雑誌や新聞を読んで、最近まで見られなかったとはいえテレビからは毎日のように、景気の悪い話が飛び込んでくる。今週出ている雑誌も「リストラにあわないために」などという記事が出るほどだ。

なのに今日の新聞夕刊には「経済状況は他国に比べたら傷は浅い」とこの国の首相が発言したという。

いったいどっちなんだい?

記事によれば「今の段階で銀行倒産はない。自動車の大会社でただちに政府の資金がなければ、この3月に倒産するような自動車会社は、この日本にはない」とも言ったそうな。

けれど雇用だとかいろいろ問題が言われているのは、どういうことだ?

政治はちゃんと現実を見ているのだろうか?

手を取り合って生きていかなくてはいけない2009/02/10 22:01:27

昨年再結成した、女性ボーカルグループ「SPEED」のメンバー、今井絵理子さん。
一面識もない方だけれど、4歳の息子さんはわたしと同じ感音性難聴だという。その今井絵理子さんをとりあげた雑誌『婦人公論』を読んだ。

昨年再結成するまでのエピソードが放送されたテレビ番組を見た。今井さんの息子さんは、歩行がおぼつかない足取りだった。
感音性難聴は聞こえないことに加えて、平衡感覚がとれないことがある。わたしも蛇行した歩き方をしてしまうことがあるが、耳の中の平衡感覚機能がうまくとれないからだ。大学時代にサークルの先輩と並んで歩いていて彼女をあやうく車道に押し出しそうになったことがある。そのときは笑ってゆるしてくれたけれど、いまでも初めてみる人からしたら、なんだあれは? と思う人もいるだろう。そんなときは笑ってもいいから、聞こえないためにバランスがとれないのだということを知ってほしい。

記事に話を戻そう。
今井さんは、4年前生まれてきたわが子が耳の聞こえないことを知って泣いたという。夫も自分もミュージシャン。なのに音を歌を聞かせてあげられない。一日だけ泣き明かして、それからは子どもの耳のことで泣くのは一切やめた。そして母親の自分が笑顔でいなくては。前向きに明るく生きていかなくてはと思っているという。

今井さんはこうも語っている。
「わたしの夢は、障がいは個性だということを認め合い、共存できる社会を作ること。夢を実現させるためにわたしに何ができるのかを考えながら、こつこつ活動を続けていきたい」
今井さんが黒柳徹子さんと対談したときに、黒柳さんはこう語ったそうだ。「いまは障がいをもつ人と健常者に分けて学校を作っているから差別が生まれるし、大人になったときにコミュニケーションを取り合うのが難しい」。黒柳さんが子どものころは、障がいのある子どもも障がいのない子どもも同じ学校に通っていた。そのなかからコミュニケーションの方法もわかっていた。黒柳さんは「昔のようにみんながいっしょに通える学校があったらいいのにね」と今井さんに語った。
分けたほうがいいのか一緒がいいのか。結論は出ない。
ろう学校を経験していないわたしには、結論を出す資格などないかもしれない。
けれど、一緒ならば、お互いが違うからこそ認めあい、手を取り合って生きていかなければならないことを、理屈ではなく肌身で見につけることができるのかも知れない。いま振り返ってみると、普通学校でも、少しでも早い時期に手話を覚えていたらなあと思う。

障害者の解雇倍増 厚労省、経団連に雇用確保申し入れ
http://www.asahi.com/national/update/0210/TKY200902100305.html

なんということだろう。
これでは、まるで経営者や企業にとって、都合のいい調節弁として扱われているではないか。いったい障がい者の雇用労働を何だと思っているのだろう。

これでは、とても「障がいは不幸ではない」と胸を張っていえるどころではない。

なんとも、怒りを覚える。