生きづらさを抱えている人たちと隣人になりたい2015/02/28 23:15:18

知らないことが偏見や差別につながる、とこのごろ思う。
手話が分からない聴者にとっては「なにをしているのかわからない」から「手話を禁じよう」と、ろう者の「自分らしさ」を奪い、ろう者の生活存在を否定し、聴者に合わせようと無理強いさせた歴史がある。
これはろう者難聴者や手話に限ったことではなく、ハンセン病やその他の病気疾病障がい、さらにはLGBTや生きづらさをかかえて生きているマイノリティーと言われる人たち、もっと広げて考えるならば、戦争や貧困や宗教弾圧のために苦しんでいる世界や日本の人たち、全般にも共通して言えることだ。シリアやイラクやエジプトやヨーロッパのみならず、日本にもそういう人たちはいる。ISの非人間性暴力性が明るみになるにつれて、日本に10万人はいるといわれるイスラム教、ムスリムの人たちへの不理解、憎しみが新たな差別や生きづらさを生むのではないかと、危惧を抱いている。

わたしが話せてろう者だということは、聴覚障がいが分かりづらいという生きづらさである。同じような生きづらさを抱えている人たちと隣人になりたい。
ろう者の文化と聴者の文化が違う。どちらが正しいではなく、どちらも人間の営みなんだから認め合えるように理解を深めていこう。
手話朗読や手話落語、手話演劇やギターが、いっときでも、そういう人たちの楽しみ安らぎ希望になればいいなと、このごろあらためて思う。

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