明日もまた2009/06/04 22:22:44

とりあえず、昨晩朗読原稿を4つ、案をつくり、朗読の先生と手話をご指導くださる手話通訳士にそれぞれメールでお送りした。

いま、聖書とは別に、こんな本を読み始めている。

「聖書をめぐる三十一夜話  現代に生きるイエスの言葉」
太田愛人 著 バジリコ刊   1500円(税別)

わたしをあなたの平和の道具としてお使いください
憎しみのあるところに平和を
いさかいのあるところに一致を
疑惑のあるところに信仰を
誤っているところに真理を
絶望のあるところに希望を
闇に光を 悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することを
わたしたちがみずから与えることによって受け
ゆるすからゆるされ
自分を捨てて死に
永遠のいのちをいただくのですから

これはフランチェスコによる「フランチェスコの祈り」として知られている祈りである。
ついついわたしたちは自分本位の、自分中心の祈りに陥ってしまいがちである。自分の希望をまず第一に持ってきて、その次に誰かのため、となってしまう。
フランチェスコの祈りを見ると、逆であることに気づかされる。
自分のことは後回し。まず神さまのために用いてください、理解されること愛されることより理解すること愛することを求めている。口先や理想ではこう言えても、なかなか実際にはそう言い切れる人はどれだけいるだろう。

「自分を捨てて死に」。ヨハネ福音書12章24節の「一粒の麦」を思い出すし、朗読テキスト「塩狩峠」のテーマでもある。
自分が死んでもなお多くの実を結ぶためには、どうあるべきなのだろう。
自分を第一にしない、と理想ではわかっているけれど、なかなか実現できることではない。
だからこそ、一日一日をどれだけ生きたか。大切にしてきたか。
明日もまた、新しい日がやってくる。