集中しているからかな2006/04/26 23:36:19

 仕事もプライベートも集中していると、痛みも苦しみも忘れられるというか感じることがない。それだけ、気持ちを張りつめているのだろう。

 携帯電話やメールなど、コミュニケーション手段やツールがあるというのは便利なものだけれど、しかしそれに引きずられてしまっては本末転倒のように思える。
 今日の新聞朝刊にいまどきの高校生の、携帯メールでのやりとりからセックスにいたるまでの恋愛事情が取り上げられていた。
 わたしの高校時代は携帯電話なんてなかったし、コミュニケーションというと電話か手紙しかなかった。それだけ時間がかかるということはわかった上で、デートだの告白だのということにチャレンジしていたのだけれど、いまの若い人たちは手軽にコミュニケーションができる半面、その間隔が長いと「間が持たない」といってあっさり関係を切ってしまうのだそうだ。メールを送ってすぐに返事がなかったら気がないのだとあきらめてしまう。つきあうようになったらセックスも簡単にからだをゆるしてしまう。
 表面的な、ドライな関係なのだろうか。あっさりというよりは乾ききったような印象を、記事からうけた。

 自分のことに目を向けてみると、今日で携帯電話を持ち歩かずに過ごしたのは3日連続。3日前はニュース速報ばかりでメールは一通もこなかった。
 昔ならメールがこないと気になったけれど、慣れてしまったのか気にならない。なかったらないでいいんじゃないか。なかったからもうおしまいではないだろう。なくても生きていけるしいくらでも楽しみはほかにある。

 便利な社会になったということはモノがたくさんあるということであって、こころのありよう、豊かさということとイコールではない。
 しみじみ、わたしたちの生きている「いま」を考えさせられる。